森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(3)

10月の読書録02ーーーーーーー

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

 

 


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三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(2) - 森の踏切番日記の続き

 

 

第二十三章~第三十章

札幌へ向かう野口君と不二子ちゃんの二人と別れた後、そのまま千歳に滞在していた井田青年と夏子さんにもコタナイ・コタンに例の熊が現れたという噂が伝わります。二人はコタナイ・コタンをめざします。

コタナイの村に着いた二人は、村長の家を訪ねますが、二人を出迎えた村長夫人の顔を見た夏子さんは顔色を変えてとびのいてしまいます。村長夫人は伝統的な口が耳まで裂けているような刺青をしていたのです。肌の色も土気色で死人のようでした。そんな姿で夕闇の濃い室内から現れたので、予備知識を持たない夏子さんが驚いたのも無理のないことだと思いますが、これがアイヌの人たちの心証を害する原因になってしまいました。 それに、あの人喰い熊を狩ろうというのに女連れで来たということも反感を買ったようです。どの家も泊めてくれそうにありません。

仕方ないので二人はランコシ・コタンへ行くことにします。夏子さんを連れてランコシ・コタンへ向かう井田青年の心中は如何に。夜道でカップルにありがちなイベントが発生したりします。夜遅くランコシ・コタンに着いた二人は、大牛田家に迎え入れられます。十蔵は井田青年をしげしげと見て目を潤ませます。夏子さんは、仏壇の秋子さんの写真がちっとも不二子ちゃんに似ていないので安心します。井田青年は秋子さんの写真を見つめながら怒りを新たにします。その夜、疲れとか苛立ちとか怒りとかで野獣化した井田青年を夏子さんがなだめたりします。

 

翌朝、十蔵がコタナイ・コタンへ説得に出かけますが、コタナイの村は無気力が支配していてうまくいきません。三日目の夜、帰りの遅い十蔵を案じていると、十蔵が黒川氏を連れて帰ってきます。黒川氏が万事話をつけてくれたのです。井田青年と夏子さんが黒川氏と十蔵とともにコタナイへ着いてみると、夏子さんは「あっ」とおどろきます。祖母、母親、伯母の三人が野口君とともにいたからです。三人は、取材のためにコタナイへ向かう野口君の車に強引に乗り込んで来たのです。

「夏子がいろいろお世話になりまして」と、母。

「はじめまして、松浦でございます。今後とも何分よろしく」と、祖母。

「まあ! 井田さんでいらっしゃいますか、お噂はかねがね」と、伯母。

三人は、井田青年が「良家の子弟」の特徴を備えていることを見て取って、安心したようです。この騒動をコタナイの村人は総出で見物していました。一行は村長の二号さんに迎えられて、四間ほどあるその別宅におちつきます。二号さんは、六十にちかい肥ったこぎれいな人で、秋田訛りの元芸妓です。その晩は何事もなく過ぎました。

 

明くる日は終日曇天でたいそう涼しい日でした。夜に入ると、一同打ち合わせ通りに配置について熊を待ちます。夏子さんは、井田青年とともに緬羊小屋の屋根に寝そべって熊を待ちます。手には村田銃を持っています。単なる気安めです。期待と不安が入り交じった夜が更けていきます。

奥様トリオの方は村長の別宅にいましたが、寝つかれずにおしゃべりをしていました。ここからは、狂言芝居のような滑稽さで笑わせられます。羊のヒィーヒィー鳴く声に気味悪がり、けたたましく犬の吠える声に取り乱し、そして、窓から大きな熊の顔がのぞいているのを目撃したとき、ついにパニックに陥ります。三人と女主人は、反対側の暗い三畳へ逃げ込みます。祖母は、片手にとろろこんぶのお椀を、片手に箸を持ったままです。

 

地鳴りのような音が起こる。家が揺れる。木の裂ける音が轟く。ついには、裏手の勝手口の引き戸が叩き割られる。硝子が床に落ちて、粉みじんに砕ける涼しい音がする。

三畳の入口の閉められた唐紙がぐらぐらと揺れはじめる。唐紙が前に倒れてくる。祖母が渾身の力をふるって、お椀ごととろろこんぶを投げつける。唐紙がとろろこんぶごと、四人の上に倒れかかってくる。生臭い猛毒のような匂いが立ちこめる。四人は意識を失ってしまった。

 

結局、熊は不味そうな四人には手をかけずに、廊下の板壁をぶち割って出ていきます。家に入る熊を見て夏子さんはパニクりますが、井田青年はそんな夏子さんの頭を思わずポカリと殴りつけます。家を出て羊を襲い始めた熊を、井田青年は見事に撃ち倒します。終わってみれば、あっけない最期です。青年が手を調べると指は四本でした。

 

奥様トリオにすっかり気に入られた井田青年は、秋子さんの墓参りをすませると、夏子さんたちとともに帰京することになります。

「東京へかえったら、いつ結婚しよう」

「そうね。いつでもいいわ」

青函連絡船の甲板で井田青年は結婚後の将来設計を目を輝かせて語ります。夏子さんは、そんな青年の目を悲しそうに見つめます。

井田青年のかたわらを離れて船室に戻った夏子さんが言い放った言葉に、祖母と母と伯母の三人は呆気にとられます。神秘的な沈黙が支配する中、物語は幕を閉じます。

 

 


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口の周りに刺青を入れているアイヌの既婚女性

 

 

 

松浦夏子の憂鬱

こうして、夏子さんの「冒険」は終わりました。コタナイのアイヌの協力を得られずに途方に暮れる辺りが、クライマックス前の試練といえますが、自力で解決したわけではないので盛り上がりに欠けます。クライマックスの四本指の熊との対決も奥様トリオのせいで喜劇的になってしまいました。井田青年は熊を一発で仕止めますが、あまりにもあっさりとした決着に本人も茫然とした感じです。夏子さんは傍観者に過ぎませんでした。

 

この小説は、

或る朝、夏子が朝食の食卓で、

「あたくし修道院へ入る」

といい出した時には一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静寂のなかを香煙のように歩みのぼった。

という場面から始まり、

「夏子、やっぱり修道院へ入る」

三人は呆気にとられて、匙を置いた。三つのコーヒー茶碗から立つ湯気ばかりが、この神秘的な沈黙のなかを、香煙のように歩みのぼった……。

という場面で終わります。三島由紀夫といえば、「小説は最後の一行が決まらないと書き出せない」という有名な言葉があるそうですが、この小説の場合は、明らかに冒頭部分と最後の場面が最初から決まっていたと考えられます。

一般に教養小説というのは、主人公が様々な体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のことをいいますが、夏子さんの場合は、このひと夏の体験を通じて内面的にあまり変化しなかったようです。結局、振り出しに戻っただけです。逆にいえば、内面を成長させるような出来事は何も起こらなかったと考えることができます。夏子さんの「冒険」はその程度のものだったのです。

 

夏子さんは、井田青年に恋をしたつもりだったのでしょうが、その恋には矛盾があります。

毅の目にはもう熊の姿しか映っていなかった。そういう毅を見ていることが、夏子にはうれしかった。そういうときだけ、彼を独占している心地がしたのである。

夏子さんは熊のことを考えているからこそ井田青年が好きなのであって、そこに夏子さんは介在しません。

二人にとってその熊は、仇敵なのか、それとも理想なのか、見分けがつかなくなっていた。

と、あるように、熊が象徴しているのは「理想」や「ロマン」といったものです。夏子さんのは、いわゆる「夢を追いかけてるあなたを見てるのが好き」というやつです。冒険物語の主人公に夢中になっているのと変わりありません。これが本当の恋ではないことは明らかなのですが、本人はその事に気がつきません。「冒険」が終わって、井田青年が平凡な将来設計を語りはじめると急速に冷めてしまうのも無理ありません。彼女は、井田青年に恋をしていたのではなくて、ロマンに恋をしていただけなのですから。彼女は、おとぎ話のお姫様のように「めでたし、めでたし」では満足できないのです。困ったお姫様です。

 

その後の夏子さんを想像してみます。このまま、すんなりと修道院へ行くとも思われません。気を取り直して井田青年と交際するのでしょうか。お嫁に行かずにずっとお嬢様のままでいそうです。彼女の内面を揺さぶるような大事件でも起こらない限り、彼女は何も変わらないような気がします。怪人二十面相みたいな人物が現れたら、喜んでついて行きそうです。そのうち、宇宙人と未来人と超能力者と異世界人以外は興味がないとか言い出しそうです。

 

この物語で、いちばん得をしたのは野口君でしょう。特ダネをものにできて、編集長から金一封を頂戴した上に、不二子ちゃんというカノジョまでゲットしたのですから。野口君は、夏子さんに失恋したり、奥様トリオに振り回されたりするうちに少しは成長したのかも知れません。思わぬ副産物です。

 

 

 

 


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三島由紀夫の祖父母、平岡定太郎となつ。

平岡なつの通称名は、夏子。気位が高く、気性が激しかったという。幼少期の三島由紀夫(本名:平岡公威)は、祖母の絶対的な影響下にあったという。

 

 

 

 

 

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(2)

10月の読書録02ーーーーーーー 

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

 

 


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三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(1) - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

第八章~第十九章

翌朝、札幌に着いた二人は井田青年の友人の野口君と合流します。野口君は、小肥りで若禿でかん高い声の新聞記者です。夏子さんは祖母と伯母と母親がいる函館の温泉に「ツイセキムヨウ」と電報を打ちます。行く先々で電報を打って安心させると同時に函館に足止めを食らわせようという作戦です。井田青年と野口君が待っている喫茶店に戻ると井田青年の姿が見えません。井田青年は、野口君に夏子さんを函館まで送り届けてもらうことにしたのです。もちろん、夏子さんはそれくらいのことであきらめたりはしません。夏子さんは、野口君をお供に札幌見物へ繰り出します。野口君は、なにげに幸せそうです。

夜になって、大胆にも夏子さんは野口君の部屋についていきます。安全パイに見える野口君にも警戒を怠らない用心深い夏子さんですが、きっと井田青年が現れるだろうと待ち伏せするつもりなのです。案の定、井田青年がやって来ます。井田青年は観念して夏子さんを自分の宿へ連れて行きます。夏子さんは別の部屋をとって、井田青年の部屋の鍵を取り上げ、逃がさないように部屋の外から鍵をかけてしまいます。夏子さんは自分の部屋でぐっすり眠りました。

 

翌朝、二人は野口君に見送られて札幌駅を発ち、熊が出たという牧場をめざします。牧場は、支笏湖を央にしてランコシ・コタンの反対側にあります。白老駅で降りて、2㎞ほど徐々の登り道を歩いて牧場に着いてみると、前日に熊が現れて馬を襲った後でした。二人は牧場主の森山家に泊めてもらって、熊がまた来る機会を待つことにします。夏子さんは森山さんから奥さまと呼ばれます。

その晩、井田青年は「現場」にいちばん近い牧夫小屋に泊まり込みます。夏子さんも強引についていきます。床の中で急に心細くなった夏子さんは、思わずとなりに寝ている井田青年の指先にふれます。こういう状況になったとき男子はどうすればよいのでしょうか、少し悩みます。相手にその気があるのかないのか。何もリアクションをしないのはかえって失礼なのではないかとか考えたりします。もしかしたら、いけるんじゃないか? 

井田青年は、夏子さんの手を強くつかみ、身をもたげます。

「だめ……、だめ……、ね、熊を仕止めたらそのときね。それまでは、絶対にだめ」

これだよ。青年は、二人の間にミッドランド銃を置いて、背を向けます。当時のお嬢様は結婚するまでは処女でいるのが当然ですから仕方ありません。つまり、「そのときね」というのは「結婚すること」を意味します。

その夜は何事も起きませんでした。夏子さんはほとんど寝つかれませんでしたが。二人は早朝の川原でキスを交わします。その日、熊が二里離れたとなりの牧場に現れて馬を二頭とらわれたという知らせが入ります。

 

二人は、となりのY牧場へ移動します。その途中で、不二子ちゃんに出会います。不二子ちゃんは、Y牧場の老牧夫の一人娘でした。彼女は野性的な美少女です。年は十六七に見えますが、体は成熟しています。夏子さんは少女に「女が女を見る目」を感じます。

牧場に着くと、不二子ちゃんの井田青年に対する献身的なサービスが始まります。朝から晩まで二人にくっつきどおしで、井田青年に馴れ馴れしくします。青年もまんざらではなさそうです。夏子さんは、イラっとします。

不二子ちゃんは、夏子さんとは真逆のキャラです。都会っ子と自然児、お嬢様と洗濯や裁縫をこなす家庭的な娘。良家のプライドの高さと庶民的な馴れ馴れしさ、色白と日焼けした肌、これは勝手な想像ですが、夏子さんはたぶん貧乳、不二子ちゃんは(夏子さんの主観では)成熟した肉体の持ち主です。夏子さんは、不二子ちゃんを見ていると、何かしら胸苦しくなるのでした。

二人がY牧場に着いてから二日後、野口君が現れます。編集長命令で夏子さんを連れ戻しに来たのです。函館に置き去りにされた、祖母、伯母、母親の三人が父親に連絡したところ、父親の親友の親友が野口君の新聞社の社長だったのです。

(野口君の主観では、不二子ちゃんは何の疾しさもない目の表情をしていて、体はほっそりしていて、北海道の冬にきたえられた手は大きくて、さわれば固そうです)

 

「帰るつもりよ」

「おどろいたな」

夏子さんは、不二子ちゃんを見ていて生まれてはじめて自分に欠けているものを意識し始めたのです。「恋が人を弱くする」という典型的な展開です。

夏子さんは、我知れず泣いてしまいます。夏子さんが人前で涙を見せるとは、未だかつてなかったことです。

「ねえ、不二子ちゃん、あなた井田さんが好きでしょう。私の代わりにあなたが熊狩りのお供をして下さる?」

夏子さんは女の直感で、不二子ちゃんの子供っぽい世話焼きの中に、女の親切を読みとっていたのです。不二子ちゃんは、井田青年をじっと観察してから、こう言いました。

「ふん、好きでもない」

これには一同大爆笑です。ということで、夏子さんは帰るのをやめました。恋をすると女の直感は鈍る傾向にあるようです。このとき夏子さんの言ったことを今風にリミックスするとこうなります。

「別に焼きもちなんか焼いてないんだからね! どこまでもついて行ったら悪いかなって、ちょっと思っただけなんだからね!」

 

そんなこんなで、二人の仲はかえって深まったりします。その夜、夏子さんを見る目がちょっとヤバい牧場主が酔っぱらって夏子さんの部屋に闖入して眠り込んでしまう騒動があったりします。夏子さんには、不二子ちゃんが熊に殺された秋子さんに似ているのではないかという不安があったようです。

翌朝、新聞社から野口君あてに、四本指の熊が支笏湖に現れて重傷者が一名出たという電報が届きます。Y牧場からは20㎞以上離れています。野口君には、夏子さんを連れて帰る途中で、帯広の病院に入院した重傷者を取材するよう社命が出ます。夏子さんは帰らないと言います。夏子さんを連れて帰らないとクビになるかもしれない野口君は半泣きです。そのとき、私が代わりに札幌まで行ってあげると言い出したのは、不二子ちゃんでした。井田青年と夏子さんも重傷者から情報が欲しいので四人で千歳まで行くことになりました。

 

千歳の病院では、四本指の熊に遭遇した重傷者の生々しい体験談が語られます。その描写は息がつまるような緊迫感があります。ここで初めて、夏子さんと読者は井田青年の仇が並々ならぬ相手だということを知ります。井田青年は熊を狩る決意を新たにします。

 

 

第二十章~第二十二章

井田青年と夏子さんの二人と別れて、野口君と一緒に札幌まで行った不二子ちゃんは、野口君のために編集長に事情を説明します。牧場を離れた不二子ちゃんは、年相応の少女という感じがします。

夏子さんの祖母、伯母、母親の奥様トリオが新聞社へやって来たときには、不二子ちゃんは、奥様トリオに怖じ気づいてうまく話せません。ここは彼女たちの扱いに馴れた野口君が事情を説明します。

奥様トリオは、姦しく夏子さんを心配しますが、こちらから「ケツコンユルス」の電報を打たない限り、夏子さんは帰ってくるまいという点で意見が一致します。それなら、皆で会いに行こうと祖母が言い出します。相手の男振りが気になり始めたのです。

野口君は井田青年から猟友会支部長に協力を求めるように頼まれていたのですが、それを知った奥様トリオは私たちが頼みに行きましょうと言い出します。彼女たちは、歯科医をしている支部長の黒川氏を口説き落とすために五日間通いつめます。その間に人喰い熊はランコシ・コタンから二里以上千歳川の上流(支笏湖寄り)にあるコタナイ・コタンに二度現れました。黒川氏は、ついに決断を下します。

 

 


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ガンを飛ばすヒグマ

 

 

 

おおぐま座を追いかけて

ここまでが、中盤のあらすじです。野口君はカンペキに三枚目で、夏子さんにすっかり参ってしまいますが、最初から叶わぬ恋で、あっさり失恋してしまいます。野口君には不二子ちゃんがお似合いのようです。

最初の牧場主は山ほど紙に盛った胃散を呑むほどの胃弱、編集長はズボンのお腹が機雷のようにふくれているビール好き、Y牧場の牧場主は政治家気取りの俗物、黒川氏は子供が付け髭を生やしたような小男です。作者は、これらの作中人物を軽妙かつ辛辣に細部を描写することによって人物像を浮かび上がらせています。

特に、夏子さんの祖母、伯母、母親の奥様トリオの描写は強烈です。祖母は、十九でお嫁に来てお姑さんに叱られて以来、いびきをかいたことがないのが自慢なのですが、祖母がいびきをかくことは皆が知っています。伯母は、事なかれ主義で、何かにつけてすぐに泣きます。母親は三人の中ではいちばん冷静で、「趣味のよいおばさま」と言われるように気を配っています。作者は、三人のブルジョア的な嫌らしさを事あるごとに辛辣に描写し笑いのタネにします。この奥様トリオが夏子さんを追いかけて珍道中を繰り広げるのもこの小説の面白さのひとつになっています。

 

黒川氏は、井田青年について、彼は熊ではなくてお星様を追っているようだと評します。

「狩人がねらうのは獣であって、仇ではございません。獲物であって、相手の悪意ではありません。熊に悪意を想像したら、私共は容易に射てなくなります。ただの獣だと思えばこそ、追いもし、射てもするのです。[後略]」

秋子さんを殺したのが人間だったとしても、仇を取るのかということでしょうか。

熊を殺したところで、秋子さんが生き返る訳ではありません。仇討ちは死者のためのものではなく生者のためのものです。井田青年も相手が人間だったら仇を取ろうとは考えなかったでしょう。彼にとってこれは、自分の中で区切りをつけるための儀式のようなものなのでしょう。彼はそこにロマンを感じてしまったようです。そういった意味では自己陶酔的で、彼と四本指の熊の間には最早秋子さんは存在していないように思われます。特に、夏子さんと出会ってからは、熊を狩ることは、夏子さんと結婚するための条件に変わってしまいました。彼のあの目の輝きはロマンを求める者の目であって、夏子さんはそれに共鳴してしまったようです。

 

 


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🐻次の記事へと続く

 

 

 

 

三島由紀夫のラブコメ小説を読む~『夏子の冒険』(1)

10月の読書録02ーーーーーーー

 夏子の冒険

 三島由紀夫

 角川文庫(1960/04/10:1951)

 ★★★☆

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この小説は、昭和26年(1951)、三島由紀夫が26歳のときに「週刊朝日」に連載し、年末に刊行された娯楽色の強い小説です。三島は、この連載の前には問題作『禁色』の第一部を発表しています。年末からは、半年にわたる世界一周旅行に旅立ち、転機を迎えます。


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函館市トラピスチヌ修道院

 

 

第一章~第七章 

主人公の夏子さんは、二十歳の良家のお嬢様です。いつも黙りがちで熱っぽいところがあって、どちらかというと南方系の顔立ちをしています。すこし腫れぼったい瞼が目つきにいいしれぬ眠たげな色気を添えています。

夏子さんは、ミッション系の女子高を卒業しているのですが、その在学中から降るほどの結婚の申し込みを受けていました。卒業後は、夏子さんのまわりに男の姿を見ないときはない、というくらいにモテモテでした。

昭和26年頃といえば、良家のお嬢様は、四年制大学なんかには行かずに、さっさと良縁を持つのがお決まりのコースという時代でした。けれども、夏子さんは、言い寄る男どもをことごとく振ってしまいます。彼女には情熱家の血が眠っているのです。彼女の中に眠っている烈しく強力な情熱家の血は、それと同じくらい烈しく強い情熱としか共鳴しないのです。ありふれた将来設計しか語らない都会の男どもでは、夏子さんの意にかないません。

「まるで袋小路の行列だわ」

いくら探しても望む男が見つからず、すっかり絶望した夏子さんは、家族に宣言します。

「あたくし修道院へ入る」

つまらない男と結婚するくらいなら一生神様にお仕えした方がマシだと思い込んでしまったのです。

一度言い出すときかない夏子さんの強情な性格を熟知している家族は困惑してしまいます。学校へ相談に行った父親は、入会後半年間の志願期間の間に帰りたくなればいつでも脱退できるときいて、娘はどうせ帰ってくるだろうという希望的観測のもとに、娘の修道院入会を承諾します。

夏子さんは梅雨明けと同時に函館へ発つ手筈を整えます。彼女の祖母と伯母と母親がお供に付き添い、函館近郊の修道院まで見送ることになりました。

函館へ向かう出発の夜、夏子さんは、たくさんの見送り人に囲まれた上野駅のホームで猟銃を背負った一人の青年を見かけます。夏子さんは彼の目のかがやきを見たとき思わず心の中で叫びます。

『ああ、あれだわ』

 

夏子さんは、青函連絡船の遊歩甲板で再び青年を見かけます。

海をじっと見詰めているその目の輝きだけは、決してざらにあるものではなかった。その目は暗い、どす黒い、森の獣のような光を帯びていた。よく輝く目であったが、通り一遍の輝きではない。深い混沌の奥から射し出て来るような、何か途方もない大きなものを持て余しているような、とにかく異様に美しい瞳であった。午前の海峡の明るい光りを見つめているようで、その実もっと向うの定かならぬ影を追っているような深い瞳である。

夏子さんは、今まで言い寄ってきた男どもにはない青年の目を見て感動し、この目こそは情熱の証だと確信します。けれども、女性から見知らぬ男性に話し掛けるなどというはしたない真似はできません。夏子さんは本心では修道院になんか入りたくはありません。救いの手を求めていたのです。夏子さんは苦しげに扇をあおぎます。

そのとき海風が、扇を強引に奪い去って行きます。それを見た青年が、とっさに扇を取ろうとしますが間に合うはずもありません。これがきっかけで二人は自然と会話を交わすことができました。短い会話でしたが、夏子さんは青年の名が井田毅だということと函館での宿の名前を知ります。

 

函館に到着した夏子さんたち家族は郊外の温泉に宿泊します。翌朝、夏子さんは入念にお化粧をして勝負服を着て出かけます。これから修道院に入るのに勝負服がスーツケースに入っていたのは、浮世の最後の一日を最初から楽しむつもりだったのでしょう。

夏子さんは、井田青年が宿泊している宿を苦もなく見つけ出し彼を誘います。

「今日はね、あたくしが浮世にいる最後の一日なの」

二人は函館山へ散歩に行きます。道すがら、青年は北海道へ来た目的を明かします。

「僕はね、仇をつけ狙ってるんです」

そんなロマンチックな言葉を聞いて、夏子さんは目を輝かせます。青年の仇は熊でした。函館山の頂上の砲台跡の廃虚で、青年は、なぜ熊を仇と付け狙うことになったのか、夏子さんに語ります。

 

それは、二年前の秋のことでした。青年は学生でした。実業家の父親から質実剛健に育てられた彼は、猟友会の会員だった父親の影響で狩猟免許を持っていました。その年の春、彼の父親は脳溢血で突然亡くなりました。青年は、父の形見となったミッドランドの二連銃を携え、学生時代最後の猟季を過ごすため、ぶらりと北海道へ旅立ちました。これまでとは違って、勝手気ままな一人旅でした。青年は、念願だったアイヌの村に泊まるために、千歳から一里ほど隔たったランコシ・コタンへ向かいました。ランコシ・コタンでは、大牛田家に好意的に受け入れられました。大牛田十蔵には三人の娘がいましたが、そのうち真ん中の十六歳の秋子はアイヌではなく和人の娘でした。

 

「和人って何のこと?」

「和人って、内地人のことさ」

それまで、ですます口調だった青年は、うっかりタメ口になります。このタメ口に夏子さんは盛り上がります。いつもの取り巻きのBFにやるように、青年の膝に手をかけて揺すぶりながら、こう言います。

「それ好き! 夏子、そういうの好き! ます口調なんかやめて『だよ』っておっしゃって」

このモテモテのお嬢様は、自分がどういう態度をしたときに、男がどう反応するか熟知しております。あなどれません。ここから青年はタメ口で語ります。夏子、一歩前進です。恐ろしい子

 

ある日のこと、十蔵は、車からふり落とされた貴婦人を助けました。彼女は赤ん坊を抱いていました。十蔵はその貴婦人を家に泊めてやりますが、赤ん坊をおいたまま夜の間に居なくなってしまいました。残された赤ん坊が秋子だったのです。

一週間後、千歳から20㎞ほど離れた山中の崖下に転落していた自動車から男女の死体が発見されました。女の方があの貴婦人でした。男の方は、札幌の金持ちの一人息子でしたが、事業に失敗して破産していました。女の方は月に一度ほど東京から男に会いに来ていましたが、結局正体は分かりませんでした。華族の娘だったのでしょうか。

 

夏子さんは、このロマンチックな話にすっかり夢中になってしまいます。

「すごいお話ね。夏子、そういうお話大好き。夏子もそういうことしてみたいわ」

まったく、困ったお嬢様です。

 

井田青年は、すすめられるままに一週間も大牛田家に滞在しました。その間、秋子と日に日に親しくなっていきました。青年は、秋子と結婚しようと心に決めてランコシ・コタンを去りました。

ところが、帰京して十日ほどのち、突然悲劇がおとずれます。秋子が人喰い熊に殺されたという手紙が届いたのです。猟友会の会員たちが二週間追い回しましたが、結局その熊を仕止めることは出来ませんでした。アイヌの間では、人を喰う熊は四本しか指がなくて、そういう熊は悪い霊の化身だと信じられていましたが、その熊も四本指でした。

傷心の井田青年は、死んだ父の倉庫会社へ入りましたが、あきらめきれず、秋には一週間の休暇を取って北海道を訪れました。なんとか仇をとりたいと願ったのですが、猟友会の協力が得られず断念するしかありませんでした。

今年の六月に入って、札幌で新聞記者をしている友人から四本指の熊が出たというニュースが青年のもとに届きました。青年は、早速休暇を取って北海道へやって来たのです。

 

こんな話を聞いてしまっては、夏子さんはもう我慢できません。あたくしもつれて行ってと駄々をこね始めます。バブル時代に『私をスキーに連れてって』という映画がありましたが、夏子さんの場合は『あたくしを熊狩りに連れてって』です。でないと、睡眠薬を呑んじゃうから。

青年は、感じやすいお嬢様に刺激的な話をしてしまったことを後悔します。正直言って、足手まといにしかなりません。女連れで熊狩りなんかあり得ません。青年は大人の思案で、体よくまいてしまう方法はないかと考えます。

夏子さんは、この青年のあとを追ってゆくこと、それこそが情熱のあとを追ってゆくことだと決意を固めてしまっています。彼女は大胆な行動に出ます。

「おどろいたお嬢さんだ」

「これでいいでしょ。つれてってね」

青年と読者をおどろかせた夏子さんは、青年につれて行ってもらう約束をとりつけます。ところが、青年は、翌朝発つと嘘をついて、夏子さんを置いていくつもりだったのです。ところがところが、夏子さんの方が一枚上手でした。青年が今夜の夜行で発つことを調べ上げます。

その晩、八時半の夜行の三等車の座席に青年の姿がありました。ちょっと残念な気もしますが、あんな派手なお荷物を背負い込んでどうするんだと自分に言い聞かせます。

 発車のベルが鳴りだした。ふとやさしい声をきいて、毅は物思いからさめた。

「ここ空いております?」

 彼は、顔をあげて、あっと言いそうになった。ボストンバッグを提げ、青いカーディガンに女仕立のズボンをはいたその乗客は、夏子であった。

 何を云うひまもなく、汽車は一瞬あともどりするように揺れて、動き出した。……

こうして夏子さんの冒険が始まりました。

 

 


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津軽要塞・御殿山第二砲台跡

(出典:津軽要塞 - Wikipedia

 

 

 

夏子さんの勝負服

ここまでが、この小説の導入部のあらすじです。三島由紀夫のおもしろい小説を書こうという意気込みが伝わってくる文章です。26歳でこれだけの完成された文章を書くのですから驚かされます。ディテールを積み重ねてリアリティを生み出す手腕にうならされます。たとえば、引用した「汽車は一瞬あともどりするように揺れて、動き出した」という部分ですが、単に「汽車は動き出した」としないところに目を見張ります。汽車に乗ったことがある人なら分かると思いますが、発車のときのあの感覚がはっきりと感じられます。しかも、青年の心理を暗示しているかのようです。この小説は単なる娯楽小説ではありません。

昭和26年といえば、9月にサンフランシスコ講和条約が調印されました(発効は翌年4月28日)。この小説は、日本国が独立を取り戻す、まさにその時期に連載されました。日本人は敗戦のショックから立ち直り、前年から始まった朝鮮戦争の特需で産業界は活況を呈しておりました。この小説には時代背景は直接描かれてはいませんが、そういった前向きの明るさが感じられます。

我が家の押し入れには、祖母や伯父が遺した昭和の小説本がしまってあるのですが、三島由紀夫石坂洋次郎など昭和20年代、30年代の小説を何冊か読んだことがあります。その中で印象に残ったのが、戦後の新憲法下での新しい女性像を描いていることでした。戦争の前後で大きく変わったことのひとつに女性の地位があります。この頃の通俗的な小説には、そうした新しい理想の女性像を提案する役割もあったのではないかと思います。

この小説の夏子さんもまた、そうした新しい女性像として描かれているように思います。彼女の祖母と伯母と母親の古い女性たちは夏子さんの破天荒な行動に右往左往するばかりで、その様がコミカルに描かれています。

世の人は、安定を志向する人と冒険を志向する人に分かれると思います。農耕民族タイプと狩猟民族タイプといってもよいでしょう。夏子さんは明らかに後者です。夏子さんが求めるのは、冒険とロマンです。

夏子さんは、戦争を経験してはいますが、おそらくそれほど不自由することなく育ったのではないかと想像します。だから、ありふれた人生を送ることが、どれだけ大変なことか想像もつかないのだと思います。彼女の持っている熱情は、危うい一面も持っていると思います。

東京生まれで東京育ちの夏子さんにとって、当時の北海道は地の果てに近い感覚ではなかったかと思います。函館の女子修道院は、そんな地の果てにあるところが、夏子さんの琴線に触れたのではないかと思います。北海道まで行けば、もしかしたら冒険とロマンが待っているかも知れない、もし何も起こらなければ、あきらめて修道院に入ろう、そういう淡い期待を持っていたのかもしれません。夏子さんの勝負服には、そんな意味があるのではないかと思いました。

 

 


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支笏湖

🐻次の記事へと続く

 

 

 

 

まとめ読み『デート・ア・ライブ』(13)~(15)

9月の読書録12~14ーーーーー

 デート・ア・ライブ(13)~(15)

 橘公司

 ファンタジア文庫

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〈HOSHIMIYA Mukuro〉

 

 

今年の7月に『デート・ア・ライブ』の第1巻から第12巻までをまとめて読んだのだが、8月に最新巻が出たので、残りも一気に読んでしまうことにした。そこで、9月に『アンコール』の方をまとめて読んで、それに合わせて、刊行順に本編の第13巻から第15巻までを読んだ。今月、ようやく第16巻と最新巻の第17巻を読み終えた。こちらの感想を書くのは、もう少し後になりそうだ。

 

 

 

デート・ア・ライブ (13) 二亜クリエイション (ファンタジア文庫)

 

🔘デート・ア・ライブ (13) 二亜クリエイション (ファンタジア文庫)

(2015/10/25)★★☆

 

今回登場する精霊の二亜は、時崎狂三が探し求めていた二番目の精霊で、長らくDEMインダストリーに監禁されていた。前巻で移送途中に、偶然にも五河士道が助ける形になって、自由の身となった。

二亜はアキバ系のかなり濃いキャラで、精霊の中では、明らかに異質な存在だ。精霊も二亜で十人目になるが、キャラをかぶらないようにしなければならないので、キャラ設定もだんだんと難しくなる。二亜のキャラは、作者にしてみれば身近で描きやすいキャラなのだろう。これまでのキャラよりもリアリティがあるというか、少しナマナマし過ぎないか。この手のキャラが出てくると、そろそろ煮詰まってきたかと思ってしまう。

このシリーズの問題点は、レギュラーの登場人物が増えるに従って、それぞれのキャラの存在感がそれだけ薄くなることにある。キャラの設定が単純で言動がパターン化されている上に、それぞれのターンが簡略化されて、マンネリ化しているように思う。

今回、一番地味なネガティブキャラの七罪に新たな特技が発覚する。それぞれの精霊の見せ場を作らなければならないので大変だ。七罪のネガティブキャラは結構気に入っているので、出番が増えるのは喜ばしい。

今回のエピソードは、ありがち過ぎないか。アマいしヌルいし。こういうのは、もう飽き飽きしているので読んでいて退屈した。シリーズ当初と比べるとずいぶん方向性が変わってしまったものだ。これは、既定路線なのか、流れでこうなったのか、こじんまりとまとまってしまったという印象。

敵対勢力DEMインダストリーの目的も徐々に明らかになりつつあり、ボスキャラ(アイザック・ウェストコット)がパワーアップ。DEMがデウス・エクス・マキナDeus Ex Machina:機械仕掛けの神)の略であることが明らかになる。8月に『アスラクライン』を読み返したところなので、少し笑った。元は演劇用語なのだが、たまに変なところで見かける。

と思ったら、第3巻でDEMに「デウス・エクス・マキナ」とルビがついていることに後で気がついた。すっかり忘れていたのな。f(^_^)

最後に、二亜から物語の根幹にかかわる爆弾発言があり、次巻へと続く。

 

 

 

デート・ア・ライブ (14) 六喰プラネット (ファンタジア文庫)

 

🔘デート・ア・ライブ (14) 六喰プラネット (ファンタジア文庫)

(2016/03/25)★★☆

 

前回は年末のエピソードで、初日の出の場面で終わった。今回は初もうでの場面から始まる。二亜は、二番目に古い精霊だけあって実年齢はかなり上だし、オタクキャラは破壊力抜群だし、精霊の中では確実に浮いている。こういう強烈なキャラを投入すると、登場人物間のバランスが崩れてしまいかねない。

二亜もまた、人間が精霊化した存在だということで、精霊はもともとは皆人間だったのではないかという疑惑が持ち上がる。そろそろ精霊の謎が明らかになりそうな気配。

敵対勢力がパワーアップしたのを受けて〈フラクシナス〉もグレードアップし〈フラクシナスEX〉となり、搭載AIにも対話機能が追加されたが、今どきのSFでは対話型AIは当然だろう。導入が遅いくらいである。

それにしても、敵対勢力のボスキャラが手に入れた全知の魔王〈神蝕篇帙=ベルゼバブ〉は不完全とはいえ厄介な能力だ。これがあるといろいろ楽しめそうだ。欲しいなあ、これ。物理的な破壊力よりも、全知の情報収集能力を敵のボスキャラに持たせるところは今どきの感覚だなと思った。 

今回の精霊は、天使の能力で自らの心を閉ざして宇宙空間を漂う超引きこもり少女・六喰。こちらも厄介だ。彼女は、自らの心に文字通り「鍵」をかけて、喜怒哀楽の情動を封印してしまっている。

一般に「心を閉ざす」というのは、人間関係を拒絶することだろう。本当に心に「鍵」をかけてしまうと心の機能が停止して意識を失ってしまう。そうなれば、動物のように本能的に生きるか、ロボットのように機械的に生きるしかなくなる。彼女の場合は、感情に「鍵」をかけたという方が正確だろう。そして、誰とも交わらない宇宙空間に引きこもっているのだ。彼女が過去に大きく心を傷つけられる出来事に遭遇しただろうことは容易に想像できる。

後半の緊迫した展開から、〈ベルゼバブ〉の能力によって物語空間に閉じ込められた士道と精霊たちが童話などのキャラに扮してドタバタを繰り広げる「遅延」がある。よくあるパターンだが、まあまあ微笑ましかった。ある程度効果はあったと思う。

しかし、自分を美化したマンガのキャラと対面するなどという羞恥プレイによく耐えられるものだ。士道は、よほど無神経なのか鈍感なのか。正直言って、ちょっとキモい。

 

 

 

デート・ア・ライブ15 六喰ファミリー (ファンタジア文庫)

 

🔘デート・ア・ライブ15 六喰ファミリー (ファンタジア文庫)

(2016/09/25)★★☆

 

これまでに登場した精霊のうち、最初の方の十香、四糸乃、八舞姉妹は純粋な精霊として登場したが、士道の義妹の琴里、クラスメイトの折紙、アイドルの美九、マンガ家の二亜は人間が精霊化している。七罪については人間だった過去は語られていないので精霊の方に入るか。狂三については16巻・17巻で触れることにする。今回、六喰も人間が精霊化したことが明らかになる。

美九の場合は男性不信、七罪の場合はコンプレックス、二亜の場合は人間不信が背景にあった。そういった彼女たちをデレさせるのは、恋愛というよりも人間性の問題になってくる。

このシリーズの性格上、物語が進行するにつれてハーレム化するのは必然だけれど、恋愛絡みだと修羅場にならなければ嘘になる。士道と彼女たちのつながりが人間としての信頼に基づいている限り、士道は誰にも手を出せそうにない。必然的にハーレムの主は案外つまらないものだということになる。

六喰の場合は、幼少期の家族の愛情を独り占めにしたいという独占欲が肥大した結果、ささいな出来事を深刻に受けとめ過ぎて心を閉ざしてしまったという感じだ。だから、彼女の心は開かれても子供のままで、独占的に愛情を求めてしまう。キャラとしては、子供っぽいし、個性的ではないし、魅力はあまり感じない。

天使の能力で閉ざされた六喰の心は、天使の能力で開くしかないということで、十香たちの協力で六喰の心の「鍵」を開くことに成功したまではよかったのだけれど、心を開いた六喰は士道を独占するために、天使の能力を使って、士道を知る人々から士道に関する記憶に「鍵」をかけてしまう。

精霊たちやクラスメイトたちから不審者扱いされ途方に暮れる士道。士道を独占できてご機嫌な六喰。この危機を救ったのは休眠していたあのキャラだったという展開は、無理矢理な感じがしないではないけど、面白かった。この休眠キャラの普通さは、逆に新鮮で好感が持てる。『長門有希ちゃんの消失』みたいな雰囲気があると思う。

十香の反転体も久し振りに登場。十香は反転体の方がキャラもイラストも数段良いように思う。十香の反転体が主役のダーク・ファンタジーとか読んでみたい。十香の反転体は、精霊の根源である霊結晶(セフイラ)について、重要な情報を明らかにする。

このシリーズは、10巻・11巻がひとつの山になっていて、12巻から15巻まではダレ場がずっと続いている感じだ。シリーズ物は情報を小出しにするのが鉄則だけれど、つなぎのエピソードに魅力がなければ間が持たない。部分的に面白いところはあるけれども、小説としての全体の出来がよいとは思わない。この巻のラストで時崎狂三が再登場して、ようやく話が動いてくれそうだ。

 

 


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〈Dark Tohka〉

 

 

 

📄この記事の続き

🔘『デート・ア・ライブ16 狂三リフレイン』のあらすじと感想 - 森の踏切番日記

 

📄関連日記 

🔘まとめ読み『デート・ア・ライブ』(1)~(12) - 森の踏切番日記 

🔘まとめ読み『デート・ア・ライブ アンコール』(1)~(6) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を再読して思い浮かんだこと

10月の読書録01ーーーーーーー

 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 フィリップ・K・ディック

 浅倉久志・訳

 ハヤカワ文庫(1977/03/15:1969)

 ★★★★

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最終世界大戦後、地球は放射能灰に汚染され、生き残った人々の多くは他の惑星へ植民した。一方、残留者の大多数は市街地に集住していた。人間以外の動物はほとんど滅んでしまったこの世界では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。

サンフランシスコに住むリック・デッカードは、所有していた本物の羊を破傷風で死なせて以来、人工の電気羊で誤魔化していたが、どうしても本物の大型動物が欲しくてならない。だが、逃亡したアンドロイドを廃棄処理するバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)のリックにとって、本物の大型動物は高嶺の花だった。

そこに、火星から8人のアンドロイドが地球へ逃亡しサンフランシスコに潜伏したという情報が入る。そのうち2人は主任のデイヴ・ホールデンが処理したが、ホールデン自身も重傷を負ってしまった。リックは、上司のハリイ・ブライアント警視から残り6人のアンドロイドの処理を依頼される。この6人を処理すれば、莫大な懸賞金で念願の本物の大型動物を手に入れることができる。リックの決死のアンドロイド狩りが始まる。

 

 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 

 

本書は、言わずと知れた映画『ブレードランナー』(1982年) の原作小説である。映画の方は、細かい設定や展開が原作とはかなり異なっていて、よく似た別の作品と考えた方がよい。小説には小説の良さがあるし、映画には映画の良さがある。どちらも、それぞれの分野で名作である。今月の初め、懐かしくなって、久し振りに読み返してみた。小説も映画も超有名作なので、ここでは細かく触れることはせずに、再読して思い浮かんだことをダラダラと書き留めていくことにする。

 

 


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この小説では、「エンパシー (empathy) 」という言葉がキーワードになっている。エンパシーには「感情移入」という訳語があてられているが、難しい言葉である。よく似た言葉に「シンパシー (sympathy) 」がある。どちらも「共感」という意味があるので違いが分かりにくい。

シンパシーの方は、「同情」「思いやり」「あわれみ」という訳もあてられる。どちらかというと、上から目線というか、他人事という距離感がある。エンパシーの方は、「他人または他の対象の中に自分の感情を移し入れること」という意味がある。他者の身になって他者と感情を分かち合う、他人事ではなく自身のこととして感じるということだろうか。シンパシーには、そこまでの一体感はない。

 

 


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この小説のアンドロイドは有機的アンドロイドという設定なので肉体的には人間そっくりであり、大多数の人間よりも知能が高い。肉体を改造して強化することも可能である。映画では、アンドロイドという語感に機械的なイメージがあるのを嫌ってレプリカントという言葉を造語した。

リックは、「フォークト=カンプフ検査法」を使って人間とアンドロイドを識別する。逃亡したネクサス6型アンドロイドを識別する方法は他にない。このフォークト=カンプフ検査法は、感情移入度を検査することによって、アンドロイドを識別するのである。アンドロイドには感情移入能力がない。つまり、人間とアンドロイドの違いは感情移入能力の有無しかないというのが作者の主張なのである。

 

 

この小説と並行して、三島由紀夫の『夏子の冒険』という小説も読んでいた。その中に狩猟家が出てくるのだが、次の一節が印象に残っている。

狩の目的の動物の中に何かの「心」を想像すること、それは心が心を狙うことであり、人間同志の殺し合いと同じことになるというのであった。

だから、「狩る鳥や獣に余計な感情を想像しない」というのである。 

 

 

また、今週読んだ吉村昭の『高熱隧道』で、トンネル工事中に起きた落石事故で同期の同僚が頭骨を粉々に砕かれて死んだのを目の当たりにして放心状態にある技師に先輩技師が殴り飛ばしてから言った次の言葉が印象に残っている。

「おれたちは、葬儀屋みてえなもんだ。仏が出たからといって一々泣いていたら仕事にはならねえんだ。おれたちトンネル屋は、トンネルをうまく掘ることさえ考えていりゃいいんだ。それができないようなら今すぐにでも会社をやめろ」

「いいか、このことだけはおぼえておけ。仏が出てもその遺族たちのことは決して考えるな。それだけでも気分は軽くなるんだ」

いちいち感情移入していては仕事にならないのだ。人間が最も非人間的になるのは戦場だろう。戦場で味方の死を一々悲しんだり、敵に感情移入していては、戦争にならない。

 

 


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リックは、ある種のアンドロイド、魅力的な女性アンドロイドに感情移入してしまう。狩る対象に余計な感情を想像してしまったのだ。彼は、アンドロイドを追跡する過程で知り合った別組織のバウンティ・ハンターであるフィル・レッシュにアドバイスされる。

「まず、彼女といっしょに寝て──」

「それから殺すんだ」

この部分の前の会話も気に入っている。

「むろん法律違反さ。だが、セックスのたいていのバリエーションは法律違反じゃなかったかね? それでも、人間ってやつはそうする」

「もし──セックスでなく──愛だとしたら?」

「愛はセックスの別名さ」

 

 

リックは、レイチェルとセックスをする。精巧なダッチワイフに射精するようなものである。ヒトのオスの場合、気持ちよく射精できれば、何だって良いのではないか。レイチェルがセックスの後で、「さっきはよかった?」と尋ねるところが面白かった。

レイチェルの方は、リックにアンドロイド狩りをやめさせることが目的だった。逃亡したアンドロイドの中にレイチェルそっくりのアンドロイドがいる。レイチェルは量産型なのだ。レイチェルを殺そうとするが殺せなかったリックは、レイチェルそっくりのアンドロイドを殺せそうにないと思うが、なんとか任務を完遂する。映画と違って、アンドロイドは案外あっけなく殺されてしまう。

よくわからないのは、リックと別れた後のレイチェルの行動である。リックの住居へ向かったレイチェルは、リックが手に入れたばかりの雌山羊を殺して去ってしまう。意趣返しなのか、山羊に対する嫉妬なのか、それとも、何か「アンドロイドなりの理由」があるのか。

 

 


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アンドロイドに「感情」と「記憶」を持たせることは可能だろうが、それは作り物の感情と記憶に過ぎない。たとえば、アンドロイドに作り物の恋愛感情を持たせることはできる。人間が恋愛するときの感情のパターンをデータとして学習させて、真似させればよいのである。アンドロイドが人間のように恋愛するわけではない。ペットを溺愛する人と同じで、全ては人間側の思い込みに過ぎない。人間の感情移入能力は架空のキャラにさえ恋愛をすることができるくらい柔軟性があるが、それはエンパシーではなく、ナルシズムかエゴイズムだろう。

人間の記憶のメカニズムは、人工知能の記憶のメカニズムとは本質的に異なるが、人工の記憶を作り出すことは可能だろうし、人間に人工の記憶を植え付けることも可能だろう。SFではよくある話である。そうなると、記憶とはいったい何かということになってくる。この小説では、リックもレッシュも自身が本当に人間かどうか疑心暗鬼を生じる場面があるが、自己の記憶が信用できないものだとしたら、アイデンティティの崩壊につながりかねない。

 

 


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問題は、アンドロイドに「心」はあるのかということになる。「心」とは「意識」であると考えてよいだろう。「意識」は、複雑な情報処理の過程で脳内のニューラルネットワークを流れる電気信号のパターンの時間変化から生じると考えてよいだろう。

それでは、人間の脳と同様のニューラルネットワークを人工的に構築することができれば、そこに意識が生まれ、心が宿るのだろうか。人間の脳や心自体もよく分かっていない現状では想像するしかないが、人工知能に「心」が生まれても不思議はないという。生物は必ずしも心を持っているわけではない。人類も進化の過程でどこかの時点で心を獲得したのである。意識が生ずるには多数の情報の統合する能力が必要だという。

心を持つということは、他者もまた心を持っていることを認識することであり、他者の立場で物事を理解する能力があるということである。この小説のアンドロイドは心を持っているようには思われない。映画の方のレプリカントは、長く生きると感情が芽生えてしまうという理由で4年しか寿命を与えられていないのだが、レイチェルや反逆レプリカントのリーダーのロイには、心が宿っているように思われる。

人工知能が獲得する心が我々の心と同じようなものであるとは限らない。アンドロイドには、アンドロイドなりの「心」が芽生えるかも知れない。それが、我々の心とは異質なものであったなら、我々は彼らと心を通い合わせることができるだろうか。

 



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小説のレイチェルには、生殖能力はない。

「アンドロイドは子供は生めないわ。それは損失なのかしら?」

と問う。

「わたしにはわからない。わかりようがない。子供を生むのはどんな気持ちのもの? そういえば、生まれてくるのはどんな気持ちのもの? わたしたちは生まれもしない。成長もしない。病気や老衰で死なずに、蟻のように体をすりへらしていくだけ。また蟻がでたわね。それがわたしたちなのよ。あなたじゃない。わたしのこと。ほんとは生きていないキチン質の反射機械」

映画のレプリカントは、遺伝子工学の進歩で作られたという設定なので、限りなく人間に近い存在といってよい。生殖能力を持っていても不思議はない。

人間そっくりレプリカントが心を持ち生殖能力を持つならば、それはもう新たな知的生命体といってよいのではないだろうか。

 



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人工知能が人間の知能を凌駕し、社会に大変革が起こる技術的特異点2045年頃に訪れるという説があるが、映画『ブレードランナー』が2019年の設定で、続編が30年後の2049年の設定になっている。前作公開から35年になるのに合わせたのだろうが、近い年になっているのが興味深い。

 

 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 

 

 

 

 

まとめ読み『デート・ア・ライブ アンコール』(1)~(6)

9月の読書録06~11ーーーーー

 デート・ア・ライブ アンコール

 (1)~(6)

 橘公司

 ファンタジア文庫

 (2013/05/25~2016/12/20)

 ★★☆

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今年の7月に『デート・ア・ライブ』の第1巻から第12巻までをまとめて読んだのだが、8月に最新巻が出たので、残りも一気に読んでしまうことにした。そこで、9月に第13巻から第15巻までを読んだのだが、それに合わせて『アンコール』シリーズもまとめて読んだ。

デート・ア・ライブ アンコール』シリーズは、おもにラノベ雑誌に掲載された「デート・ア・ライブ」の短編に書き下ろし作品を加えた短編集のシリーズである。本編のストーリーとは直接関係のない、日常的なユルい話ばかりなので、本編とは別になっている。

 


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TOKISAKI Kurumi

 

 

アンコール[2013/05/25]

雑誌『ドラゴンマガジン』に掲載された「十香ゲームセンター」「折紙インポッシブル」「四糸乃ファイヤーワークス」「琴里バースデー」「八舞ランチタイム」と書き下ろしの「狂三スターフェスティバル」が収録されている。

この中では、「折紙インポッシブル」が、鳶一折紙の変態ぶりが遺憾なく発揮されて良かった。デレた時崎狂三が見られる、書き下ろしの「狂三スターフェスティバル」も印象に残る。

他愛のない話が多いが、「四糸乃ファイヤーワークス」のお尻ペンペンの場面だけ異様に浮いている。あとがきによると、編集者のアイディアらしい。もしかしたら、ラノベ雑誌の編集者はアタマがおかしいのではないかな。

 


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Yoshino

 

 

アンコール2[2014/05/25]

雑誌『Newtype』に掲載された「士道ハンターズ」、『ドラゴンマガジン』に掲載された「未確認サマーバケーション」「未確認ブラザー」「天央祭コンテスト」、『ドラゴンマガジン』の付録小冊子として発表された「精霊キングゲーム」、書き下ろしの「エレン・メイザースの最強な一日」が収録されている。

前作よりパワーアップした本書でも、「未確認サマーバケーション」「精霊キングゲーム」と折紙が暴走する作品が面白い。折紙の変態キャラは、本編の制約がない短編の方が書きやすいのだろう。書き下ろしの「エレン・メイザースの最強な一日」は、エレンが天敵である亜衣麻衣美衣の三人娘に散々な目にあう話だが、本編で一度やったネタなので二番煎じだし、よくある展開だし、突っ込みが足りない。

 


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TOBIICHI Origami

 

 

アンコール3[2014/12/25]

ドラゴンマガジン』に掲載された「美九オンステージ」「士織ペナルティ」「七罪ティーチング」「真那リサーチ」、Amazonの全巻購入特典リーフレットの「キャットカフェ・ア・ライブ」、書き下ろしの「精霊メリークリスマス」「狂三サンタクロース」が収録されている。

この中では、書き下ろしの「狂三サンタクロース」が良かった。以前登場した眼帯時代の狂三のほかに、包帯時代や甘ロリ時代のいろいろこじらせている狂三も登場して楽しませてくれる。

他の精霊はキャラが単純なので、どうしても言動がパターン化されてしまうのだが、狂三の場合は、「分身体」が過去の狂三を投影した存在なので、狂三本体と分身体の会話は、狂三の性格が重層的に表現されることになる。それにより、キャラが複雑になることで面白味が出てくるのが良い。

キャットカフェ・ア・ライブ」はショートストーリーだが、狂三の猫好きキャラは、その後の本編の展開にも活かされているので見のがせない。 

 


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アンコール4[2015/08/25]

デート・ア・ライブ』アニメ一期のブルーレイ&DVDに付いていた特典小説「十香ワーキング」「四糸乃ハイスクール」「折紙ノーマライズ」「狂三キャット」「真那ミッション」「琴里ミステリー」と書き下ろしの「十香リバース」が収録されている。

特典小説の方は、時系列的にはアニメ一期で描かれた時期が終わった辺りまで、本編でいうと第4巻までの設定になっている。

特典小説だからか、他愛のない話が多くて小説としての完成度は高くないのだが、「狂三キャット」だけは出来が良い。本編では、妖艶で冷酷なキャラとして描かれている時崎狂三が、迷い猫のためにムキになるところが可愛げがあって微笑ましい。

この特典小説は、2013年の発表であり、『アンコール3』の「キャットカフェ・ア・ライブ」も同じ頃に書かれたものと思われる。どちらが先に書かれたのか知らないが、この時期に狂三の猫好きキャラが固まったようだ。

「狂三サンタクロース」も狂三の可愛げのあるところが描かれていて、分身体は狂三の深層心理を表現しているように思われる。こうした『アンコール』シリーズで描かれた狂三の本編とは異なる一面は、本編にうまくフィードバックされて、本編の狂三の造形に良い影響を及ぼしていると思う。

 


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TOKISAKI Kurumi

 

 

アンコール5[2016/05/25]

ドラゴンマガジン』に掲載された「折紙カウンセリング」「令音ホリデー」「白銀アストレイ」「白銀マーダラー」「精霊スノーウォーズ」と書き下ろしの「精霊ダークマター」が収録されている。

この中では「令音ホリデー」の出来が良かった。ありがちなネタだが、展開が面白かった。私生活は謎に包まれている村雨令音だが、ますます謎が深まるばかりである。

「白銀マーダラー」もありがちだが、アニメにすると面白いネタ。書き下ろしの「精霊ダークマター」も、ありがちな闇鍋エピソードだが、闇といえばあの精霊ということで、彼女も割とかまってちゃんだったりする。この巻は全体的に手堅くまとめたという印象。

 


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MURASAME Reine

 

 

アンコール6[2016/12/20]

ドラゴンマガジン』に掲載された「精霊ニューイヤー」「二亜ギャルゲー」「精霊アニメーション」「精霊オンライン」「精霊オフライン」と書き下ろしの「六喰ヘアー」が収録されている。

この中では「二亜ギャルゲー」が良かった。新しいアイディアではないが、展開が面白かった。この巻は、全体的に低調な印象。こういうネタには飽きてしまったというのもある。

二亜は短編向きのキャラだが、二亜が加わったことによって、方向性が変わってしまったようだ。ていうか、こういう方向へ誘導するために二亜を投入したと云えるか。

「六喰ヘアー」は、無理あり過ぎだろう。

 


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📄関連日記

まとめ読み『デート・ア・ライブ』(1)~(12) - 森の踏切番日記

まとめ読み『デート・ア・ライブ』(13)~(15) - 森の踏切番日記

 


 

 

 

藤野可織の『ファイナルガール』~女は度胸なのだ

9月の読書録05ーーーーーーー

 ファイナルガール

 藤野可織

 角川文庫(2017/01/25:2014)

 ★★★☆

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藤野可織は、以前から気になっていた作家の一人で、一度小説を読んでみたいと思っていたのだが、なかなか機会がなくて、今年の9月にようやく『おはなしして子ちゃん』を読むことができた。これが、期待以上に面白くて、すっかり気に入ってしまったので、引き続いて本書も読んでみた。

本書には、7編の短編が収録されているが、いずれもユニークな作品である。

 

 

 

ファイナルガール (角川文庫)

 

 

 

まず最初の「大自然」では、次の一節が引っかかった。 

「芸術は人工物です。人工物に対して、自然がある。ふつう、私たちはそのように考えがちです。でも、よく考えてみてください。人工物、芸術をつくるのは、私たち人間ですよね。人間って、なんですか? そう、動物です。動物は、自然の一部です。つまり、私たち自身の肉体もまた、自然なのです。

 さて、芸術作品をつくるとき、手や目といった肉体のほかに必要なものはなんだと思いますか? そう、こころです。では、こころというものは、人工物ですか、自然ですか。どっちだと思いますか? そうですね、自然ですね。この作品をつくった芸術家も、そのように考えました。それで、肉体という自然を使って、こころという自然を思いのままに表現したものが芸術作品なのだから、芸術作品はどれも例外なしに大自然なのである、と考えたのです」

面白い屁理屈である。「芸術」を「石油化学工業製品」と置き換えてみると分かりやすい。人間の肉体も心も「非人工物」だが、人間が作り出した物は「人工物」なのだ。私は「人工物」もまた「自然」の一部だと思う。つまり、「人工物」は「自然」と対立するものではなくて、

{人工物}∪{非人工物}={自然}

だと思う。ファーストキスは甘酸っぱくはない。

 

 

「去勢」は、十七歳の夏以来ストーカーにつかれている女性の話。「憑かれている」と表現した方がよいかもしれない。不気味だが実害があまりないので、主人公にとって環境の一部になってしまっている。メタフィクション的に考えると、このストーカーは読者自身だと見なすことができる。小説の主人公にとって読者とはストーカーのような存在に違いない。そこに思い当たると、夢の中で犯罪を犯したときのような気分になる。

 

 

「プファイフェンベルガー」のマイケル・プファイフェンベルガーは映画俳優である。下の早口言葉を3回続けて言ってみよう。

〈赤プファイフェンベルガー青プファイフェンベルガー黄プファイフェンベルガー〉

言えねえ。とにかく、この短編はプファイフェンベルガーに尽きる。作者がプファイフェンベルガーという名前にはまって書いたんじゃないかとすら思われる。プファイフェンベルガー主演の映画のタイトルを想像してみる。

『ターミプファイフェンベルネーター』

『トータルプファイフェンベリコール』

『プファイフェンベレデター』

『プファイフェンベルランボー』 

『リーサルプファイフェンベルポン』

『ダイプファイフェンベルハード』

『沈黙のプファイフェンベルガー』

もうやめとこ。

 

 

「プレゼント」の小林は、デートしてキスしたら、虫歯の味がすると言われる。しかも、今から歯医者に行こうと言われ、十六歳のナツミ行きつけの小児歯科に連れて行かれる。

小林は、二十一歳で彼女のカテキョーである。大学の友人からは(ペドフィリアの)「ペド」とからかわれている。小林は友人に対して優越感を持っている。お気楽な性格だ。

歯を抜かれたくらいで喪失感を感じるのは大袈裟だと思う。小林は、よほど恵まれた生活をしているのだろう。彼は抜歯した歯をポケットに入れていたのだが、ナツミと別れた後確認したら歯がなくなっていた。彼女は、記念に彼の何かが欲しかっただけなのかもしれない。

 

 

「狼」の主人公(俺)が五歳のとき、両親とともに郊外のマンションに引っ越した日に、一人でお留守番をしていると、狼が訪ねてくる。狼は、独りのとき、来そうだなと思ってしまうと、やって来るものだ。

狼を倒すために必要なものは腕力ではなくて胆力である。どんなに肉体を鍛えても胆力がなければ狼を倒すことはできない。

 

 

「戦争」の主人公(私)は、サイモンの死をずっと悲しんでいる。サイモンは、「ハリー&レニーシリーズ」という小説の脇役である。彼女は、現実の人の死は悲しまない。彼女が生きている世界は戦争下にある。彼女は爆撃で死んだ「あなた」の死を悲しむことができない。彼女は、サイモンの死だけを悲しみ続けている。

私も、人は死ぬものだと思っているので、人の死をあまり悲しまない。もし悲しむならば、すべての人の死を同等に悲しまなくてはならない。私には、そんなことはできない。

彼女は、自己防衛的に感覚を麻痺させているのかもしれない。現実の人の死は受け入れがたい。サイモンはその代用なのだ。

 

 

最後は表題作の「ファイナルガール」である。リサは幼い頃にシングルマザーだった母親を亡くした。彼女の住むアパートが連続殺人鬼に襲われたのだ。リサはたったひとりの生き残りだった。母親の機転で助かったのだ。以来、彼女は何度も連続殺人鬼に襲われるが、その度に連続殺人鬼をたったひとりで打ち倒し、ひとりだけ生き残ってきた。このリサと連続殺人鬼の闘いの描写は秀逸である。さすがホラー映画好きの作者だけのことはある。

この短編集に登場する男性陣は、皆、どことなく頼りない。「去勢」のストーカーにしても、「プファイフェンベルガー」の伊藤にしても、「プレゼント」の小林にしても、「狼」の俺にしても、「戦争」の亮輔にしても。それに対して、女性陣は、皆、肝が据わっている。「ファイナルガール」のリサは、その最たるものである。彼女たちは、最早男なんかあてにしていない。これが現代社会を象徴しているとしたら、まったく困った時代になったものだ。

 

 

 

ファイナルガール (角川文庫)

ファイナルガール (角川文庫)

 

 

 

 

 

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