森の踏切番日記

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三島由紀夫の『小説読本』を読んで~小説とは何か?

9月の読書録04ーーーーーーー

 小説読本

 三島由紀夫

 中公文庫(2016/10/25:2010)

 ★★★★

────────────────────

 

本書は、三島由紀夫の小説論・創作方法論を中央公論新社が独自に編集し2010年10月に刊行した単行本が文庫化されたものである。

昭和23年~25年の20代前半から昭和40年代の晩年までの三島の作家人生全般にわたる文章が収められていて、三島の小説に対する考え方や取り組み方が分かる内容になっている。

 

特に、三島が実際にどのようにして創作していたのか、その方法を明かした文章は興味深い。「わが創作方法」によると、長編小説を書く場合は、まず主題を発見し、次に環境(ミリョウとルビが付いている)を研究し、構成を立てる。そして、書き始めるのと同時に、それまでの準備をすべてぶち壊すのだという。これは、たいへんエネルギーのいる作業だと分かる。

「私の小説の方法」によると、短編では最後の場面、長編では最も重要な場面のイメージがはっきり浮かぶまで待つことが大切だとしている。必ずしも「最後の一行が決まらないと書き出せない」ということではないようだ。

一方、「法律と文学」や「私の小説作法」によると、作家は作品を書く前には主題をはっきりとは知っていないという。「主題」とは犯罪の「証拠」のようなものであり、三島にとって小説とは、容疑(仮定)から出発し、論理的に追いつめ、証拠(主題)を固めて、犯人(作中人物)を追いつめていくようなものであるようだ。

推理小説は、はじめから主題が作家に分かっているから何ら興味を抱かないのだそうだ。三島に云わせると、推理小説は、「要するに拵え物である」ということになる。

確かに、謎解きだけのパズルのようなミステリは、小説としてはつまらない。三島は、たしか、松本清張を念頭に置いていたのだったか。私は、松本清張は小説として面白いと思うが。

文庫版の巻末には、平野啓一郎による適切な解説があり参考になる。安部公房との対談で、三島が「無意識というものは、絶対におれにはないのだ」と語ったという逸話には、ちょっと笑った。

 

 


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三島由紀夫(本名:平岡公威)

1925年(大正14)1月14日~1970年(昭和45)11月25日

 

 

小説家はなりたくてなれるものではない。大抵後で考えれば自分で仕方なしになったという感じを持っている。

(「作家を志す人々の為に」冒頭)

 ※初出・『蛍雪時代』昭和25年9月

 

 

今年の8月に『美しい星』を読んだのだが、思いのほか面白くて三島由紀夫を再認識した。それで、他にも何か読んでみたくなり、たまたま書店にあった本書が目に留まったので読んでみることにした。

三島由紀夫は「楯の会」のイメージが強くて、どちらかというと苦手なタイプで、有名な作品をいくつか読んだ程度なのだが、『美しい星』と本書を読んで印象が変わったというか、小説家としての三島由紀夫に対しては苦手意識が薄れたようだ。今後は三島作品を読書テーマに加えようかとすら思った。今月は『夏子の冒険』という小説を読んでいる。

 


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小説家は、自分の内部への関係と、外部への関係とを同一視する人種であって、一方を等閑視することを許さないから、従って人生に密着することができない。人生を生きるとは、いずれにしろ、一方に目をつぶることなのである。

(「小説とは何か」)

 

 

本書に収められた随筆の中で最も長いのは、昭和43年から昭和45年の自決直前にかけて順次発表された「小説とは何か」で、本書の半分の分量を占めている。晩年に書かれたこの随筆は、三島由紀夫という小説家を知る上で、本書の中でも最も重要な文章だろう。

※以下、特に注意書きがない場合は、「小説とは何か」からの引用です。

 

 

フィクションとしての小説は、

(一)言語表現による最終完結性を持ち、

(二)その作品内部のすべての事象はいかほどファクトと似ていても、ファクトと異なる次元に属するものである。

と定義づけることができるであろう。

 

 

この中で『美しい星』の後半のクライマックスである人類の運命に関する論争の場面について「成功したとは云いにくい」と言及しているのが印象に残った。 

著者が云うには、欧米社会のように抽象的論争そのものを娯しむ文化のない日本においては、論争を小説中に取り入れることを諦めてしまっている。これは、日本語では抽象語が生活の伝統と背景を欠いているため、イメージを限定させてしまうからだという。

「美しい星」における論争は、いかにも日本人らしい論争である。互いに論点が噛み合わず、双方が自らの主張を言い放しで、最初から論争をする気がないかのような、相手をやり込めることだけが目的であるかのような、まことにお粗末な論争とは呼べない論争であった。そして、最後には相手を罵倒して立ち去るという幼稚さである。こうした言葉や態度の軽薄さと内容の深刻さのギャップが、かえって効果的で、これはこれで面白いなと感じた。

 

円城塔が「円城塔の文学散歩」第10回(共同通信社配信)で、『美しい星』を「手が届かないのは承知してなお、そこに手をかけてしまったことで生まれた小説」だと評していた。円城塔は、この小説を「大変奇妙な小説」だと書いているが、「あんたが言うかw」と笑ってしまった。

 

 

どんなに深刻な会話であっても、地の文に比べれば、魂の重みが軽いような気がするのは、私が単に日本人であるためかもしれない。会話にはどうしても浮薄な性質が抜け切れぬように感じられるのは、一番重要なことは口に出して語らないというわが文化伝統のせいかもしれない。

 

 

この「小説とは何か」には、様々な小説が紹介されていて、その面白さが解説されているが、その幅の広さには驚かされる。

中でも、著者が柳田国男の『遠野物語』を再読して、その中に「小説」を見出したという件りが興味深かった。著者が例として挙げているのは第二十二節の小話だが、これは印象深い話で、私も覚えていた。

 

 

二二 佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族の集まり来てその夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に坐り、母人は旁に炭籠を置き、をりをり炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かがみて衣物の裾の引きずるを、三角に取り上げて前に縫ひつけてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも目覚えあり。あなやと思ふ間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取りにさはりしに、丸き炭取りなればくるくるとまはりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち臥したる座敷の方へ近より行くと思ふほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの声に睡を覚しただ打ち驚くばかりなりしといへり。

柳田国男遠野物語』)

 

 

三島が「小説 」を見出したのは、太字の部分である。この部分は、京極夏彦の『遠野物語 remix 』では次のようにリミックスされている。

 

 

 通り過ぎる際に

 死んだ人の裾が、炭取りに触れた。

 炭取りはくるくると、回った。

京極夏彦柳田国男遠野物語 remix 』)

 

 

文庫版では、最初の2行は203頁の終わりの2行で、3行目は204頁の初めの1行になるので、ページを捲らなくてはならない。京極夏彦のことだから、意識的にやっているものと思われる。京極夏彦のリミックス版は、柳田国男の『遠野物語』に小説を見出し、小説として仕立て直す行為に他ならない。

 

 

私が「小説」と呼ぶのはこのようなものである。小説がもともと「まことらしさ」の要請に発したジャンルである以上、そこにはこのような、現実を震撼させることによって幽霊(すなわち言葉)を現実化するところの根源的な力が備わっていなければならない。しかもその力は、長たらしい抒述から生まれるものではなくて、こんな一行に圧縮されていれば十分なのである。

 

 

小説は、戯曲とは違って、言葉がすべてなのである。三島は、「炭取りの廻らない」小説の多いことを嘆いている。三島はまた、『遠野物語』の序文を名文として絶賛している。

自分が小説を読むときに、この「炭取りの廻る」ところをきちんと読めているかどうか、小説の読み方について考えさせられた。

 

三島が芥川賞の審査をしていて、只一度、生原稿で読んで慄然たる思いをしたのが、深沢七郎の『楢山節考』なのだそうだ。たしか、押し入れの何処かにあったはずだが、「姥捨て」という重いテーマなので敬遠して読んでいない。一度読んでみようかという気になった。

三島由紀夫は、SF小説に理解があって、百編以上のSF小説を読んだというが(それほどSF小説を読んだ三島が自分なりのSF小説を書いてみようと思わないはずがない)、その中でも随一の傑作と称賛しているのが、アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』である。この作品を高校時代に読んだときには、あまりピンとこなかったが、キリスト教徒が読めばさぞかし不快であろうと、今ならよくわかる。三島によると、『楢山節考』と『幼年期の終り』の共通点は、読後感のいいしれぬ不快感にあるという。

 

 

この世には、ただ人を底なしの不快の沼へ落とし込む文学作品もあるのである。いわばこれを「悪魔の芸術」と呼ぶことができよう。

 

 

今年の8月に、筒井康隆の『創作の極意と掟』を読んだのだが、「序言」に、「小説とは何をどのように書いてもよい文章芸術の唯一のジャンルである」と書かれている。これは、森鴎外の「小説というものは何をどんな風に書いても好いものだ」という文章からきているようだ。鴎外に傾倒していた三島も、小説というものは「どう仕様もないほど自由」であり、「無限定の鵺のようなジャンル」であると、本書の各年代の文章で述べている。

 

 

概して近代の産物である小説の諸傑作は、ほとんど「小説とか何か」の、自他への問いかけであった、と云っても過言ではない。小説はかくて、永久に、世界観と方法論との間でさまよいつづけるジャンルなのである。

 

 

晩年の三島由紀夫が「理想的な小説」を見出したのは、江の島の海獣動物園のミナミゾウアザラシだった。えっ? ミナミゾウアザラシ? どういうこと?

三島は、ミナミゾウアザラシの小説的特性を次々と数え上げているが、「現代の小説はこのあらかたを失ってしまった」という。

 

 

彫刻が生の理想形の追求であったとしたら、小説は生の現存在性の追求であった。小説におけるヒーローは、劇におけるヒーローとちがって、糞をひり、大飯を食い、死の尊厳をさえ敢て犯すのだった。

 

 

ミナミゾウアザラシを見て、これだけのことを考えるとは、三島という人は四六時中小説のことを考える人だったのだろうと思わせる。ミナミゾウアザラシとは、結局、バルザックの小説を意味しているようだ。

ところが、そのような感想をもって帰宅した著者が読み耽った小説はミナミゾウアザラシとは真逆の小説だったりする。三島をしても、小説というものは、簡単に律しきられる存在ではないようである。

この「小説とは何か」の最後に、村上一郎の「広瀬海軍中佐」という一編を取り上げている。

 

 

しかしこの短編ほど、美しく死ぬことの幸福と、世間平凡の生きる幸福との対比を、二者択一のやり切れぬ残酷さで鮮明に呈示している作品は少ない。

 

 

この随筆を書き終えた後の三島由紀夫の行動を考えれば、「美しく死ぬことの幸福」という言葉は心に引っかかる。三島の最期を思うと、この随筆は三島の作家としての遺書であると云えよう。

小説に何をどのように書いてもよい「自由」があるということは、何を書かないか選択する「自由」があるということでもある。

 

 

「どう仕様もないほど自由」な小説というジャンルの中で、何かを書き、何かを書かずにいることで、三島は「自由」を行使する。しかし、到底、書かなかった小説を確定する一つの小説とは、自由でなければ選択でもない、何か不如意なものだと彼は語る。それは同時に、生きようと思えばいつでも生きられたはずの現実を、除外された、生きなかった現実として確定することでもある。

そして、その逆は? 行動の「完成」が、創作というもう一つの「現実」を紙屑にし、「破棄」する時にも、それはやはり抗い得ぬ、「オートマティック」なことなのだろうか?

平野啓一郎「混沌を秩序化する技術」)

 

 

三島に対する疑問は、まさにこの点にある。平岡公威にとって、「三島由紀夫」もまた、ひとつの「創作」であり、自らの意志で「完成」させたかったということだろうか。そして、平岡公威という「現実」を破棄したのだろうか。それは、美しい幸福な「完成」だったのかどうか。

 

 

この世には二種の人間があるのである。心が死んで肉体の生きている人間と、肉体が死んで心の生きている人間と。心も肉体も両方生きていることは実に難しい。

[中略]

生きながら魂の死を、その死の経過を、存分に味わうことが作家の宿命であるとすれば、これほど呪われた人生もあるまい。

 

 


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彼「日本を守るとは、天皇を中心とする、しと文化と伝統を守ることだ。(野次、高まる)お前ら聞けい。聞けい。よく聞けい。よく聞けい。こうしょう聞けい。男一匹が、いのちを賭けて諸君に訴えてんだぞ。いいか」

筒井康隆「ダンヌンツィオに夢中」)

※昭和45年11月25日の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での三島由紀夫の演説を収めた朝日ソノラマソノシートから、筒井康隆が聴取した通りに再録した文章の一節。

 

 

 

小説読本 (中公文庫)

小説読本 (中公文庫)

 

 

 

 

📄関連日記

🔘三島由紀夫の『美しい星』読んだら草生えたわ - 森の踏切番日記

🔘筒井康隆の作家としての遺書という『創作の極意と掟』 - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

 

池谷裕二『記憶力を強くする』再読(3)記憶力を鍛えるコツまとめ

9月の読書録03ーーーーーーー

 

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

 
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💡池谷裕二『記憶力を強くする』再読(2)脳は曖昧に乱雑に記憶する - 森の踏切番日記の続き

 

 

💡論理的な記憶力を鍛えよう💡

ここでは、本書に紹介されている論理的な記憶力を鍛える方法をメモしておこうと思います。

 

 

💮覚えたい対象に興味を持とう

海馬は、初めてのものに遭遇したり興味をもって対象をとらえたときに活動的になります。興味があることは覚えやすいということは普段からよく経験することですが、それが科学的に証明されたということです。

逆に、飽きたり冷めたりすると、海馬は不活発になります。年をとると、生きることに慣れてしまって感動も薄くなりがちですが、そうなると記憶力はてきめんに低下します。加齢とともに記憶力が落ちたように錯覚してしまう最大の原因はここにあるのです。

刺激の多い環境で生活すると、記憶に必要な神経細胞が増加します。その結果、記憶力は増強されます。そうすると、さらに多くの興味を持つことができ、好循環を生みます。つまり、脳は使えば使うほど、さらに使えるようになるのです

逆に、使わないと脳の機能は低下する一方です。脳にとって必要なのは、何にでも興味をもつ好奇心と探究心なのです。

 

喜怒哀楽などの感情の動きを「情動」といいます。情動は海馬のとなりにある「扁桃体」で生まれます。情動が絡む事柄は記憶されやすいことが分かっています。感情が動くから記憶され思い出となるわけです。つまり、情動を豊かにすると、記憶力が増すことになります。

恐怖も情動です。危険に遭遇すると恐怖を感じ強く記憶します。次に同じような状況になったときに危険を回避するために必要だからです。これは人間が進化する前の下等動物時代から持っている性質です。

こうした不安や恐怖といった負の感情を利用して記憶力を一時的に増強させるという方法もあるにはありますが、これは非常手段でしょう。というのは、記憶力はストレスに弱いからです。

 

適度な刺激と緊張感の持続が効率のよい学習をするコツなのです。

私はゲーム性を持ち込むことが多かったです。

 

 

💮記憶力VSストレス

記憶力にとってストレスは天敵ですが、脳はストレスを学習することができます。脳が現状にストレスを感じる必要がないと記憶すれば、つまり、現状に慣れてしまえば、ストレスは軽減されます。これも海馬の働きです。

記憶力が増強されればストレスが解消されます。ストレスにとっても記憶力は天敵なのです。

普段から記憶力を鍛えておけば、ストレスからのダメージも最小限に抑えることができます。

興味のあることは自己にとって好ましいことです。好ましいことをたくさん記憶して、ストレスに負けない強い脳を作りましょう。

 

 

💮よく理解して覚えよう

記憶とは、神経回路網(ニューラルネットワーク)に新たな神経回路のパターンを作りあげることであるといえます(前の記事を参照のこと)。そのしくみには「連合性」という性質があります。

この性質があるので、ものごとを互いに関連づければ覚えやすくなります。つまり、対象をよく理解した方が覚えやすいということです。

脳は理解していないことはうまく覚えられません。ものごとを理解して初めてしっかりと記憶に刻むことができるのです。脳は合理的にできています。無意味なことに余分なエネルギーは使いません。意味のない文字列や数列はなかなか覚えることができませんし、覚えてもすぐに忘れてしまいます。

 

 

💮法則性を見つけよう

たとえば、下の15桁の数を覚えてみて下さい。

 685840734641020

これは、脳にとってはムチャブリです。実は、上の数には隠れた法則性があります。それに気がつけば簡単に覚えることができます。

 

 

💮語呂合わせは有効な記憶法です

よくある例として、円周率πの語呂合わせがあります。

 3.14159265358979…

これは「サンイシイコクニムゴンサンゴヤクナク」と覚えたものです。つまり、「産医師異国に無言産後厄無く」 となります。(「無言」は「向こう」とも)

先程の15桁の数ですが、この円周率と足し合わせるとそれぞれの桁が9になります。つまり、円周率を覚えていれば、上の15桁の数も思い出せるわけです。パスワードなどに使えます。

 


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語呂合わせにもコツがあります。ただ見て覚えるのではなくて、声に出して覚えることです。なぜならば、視覚からの情報よりも聴覚からの情報の方が記憶に残りやすいからです。聴覚の方がより原始的な知覚なので耳の記憶の方が残りやすいのです。

お経に独特の節があるのも、その方が耳で覚えやすいからでしょう。文字がない時代には、知識は耳で覚えたものです。

また、言葉の意味を具体的にイメージすることも大切です。語呂合わせの意味している状況をなるべく具体的に想像するとよいです。

アインシュタインさんも言うたはります。


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「想像は知識よりも重要である」

 

 

💮できるだけ多くのことと関連づけよう

すでにある知識と覚えるべき情報を結びつけることを「精緻化」といいます。語呂合わせも一種の精緻化です。

「精緻化リハーサル」は、たとえば新しい単語を、知っているいくつかの単語とひとつのイメージとして組み合わせて覚えるようなことでしょうか。

「英単語はセンテンスで覚えるべし」と、英語の先生によく言われたものです。

「維持リハーサル」は、たとえば電話番号を何度も唱えて機械的に覚えるようなことでしょうか。

「精緻化リハーサル」の方が理解が深まり、長期記憶に移行しやすくなります。「維持リハーサル」は、一時的な記憶には有効です。

私は、「薔薇」を「草の下に人が二人土の中で回っている。草の下は微妙の微」と覚えています。これも一種の精緻化です。

 

 

味や匂いや触感と関連づけて覚えるのも有効だと思います。五感をフル活用しましょう。振りをつけて覚えるのも有効だと思います。全身をフル活用しましょう。

私の経験としては、体の部位や身近なものと結びつけたりストーリー化して覚える連想記憶法はかなり効果的な記憶法です。

 

 

💮自分の経験と結びつけよう

エピソード記憶になりやすいからです。意味記憶よりもエピソード記憶の方が忘れにくいですし、思い出しやすいです。

 

 

💮覚えた知識(意味記憶)を人に説明してみよう

そうすることでエピソード記憶になりやすいです。また、頭の中が整理されて、理解が深まります。

 

 

ただし、エピソード記憶は次第に意味記憶に置き換えられてしまいます。歳をとると脳には意味記憶の割合が増えていきます。これが、加齢とともに度忘れが増える原因です。

意味記憶は何らかの「きっかけ」がないと思い出せません。脳の中には、きちんと記憶が保存されていますが、思い出せない記憶は、鍵を無くした引き出しの中の宝物のようなものです。

 

 

💮知識を詰め込むなら当日の早朝に

やむを得ず知識を詰め込まなければならないときは、知識が必要な四時間前までに詰め込む方が覚えている確率が高いです。一日経つと半分以上忘れてしまいます。二日経つと四分の三以上忘れてしまいます。また、徹夜の一夜漬けは逆効果です。

 

 

💮無理に記憶を詰め込むのは逆効果

たとえば英単語のような類似した情報を無理に詰め込むと、新しい記憶が古い記憶を妨げる確率が高まります。また、新しい記憶が曖昧になり、混同や勘違いをおこすことがあります。これを「記憶の干渉」といいます。

 

 

💮短期間の復習がとっても大切

たとえば英単語を30個暗記するとき、一度覚えて何割か忘れても、もう一度覚えなおすと、覚えてる単語の割合が増えるものです。

脳に入った情報は海馬で一時的に保存されます。海馬で記憶が整理整頓されて記憶すべき重要な情報だけが側頭葉に送られます。そうなると長期記憶になります。

海馬に記憶が保管されている期間は長くても一ヶ月程度です。ですから、その間に何回か復習をして、この情報は記憶すべき重要な情報だと海馬に知らせるのです。

(前の前の記事を参照のこと)

 

 

💮十分に睡眠をとり夢を見よう

夢は、昼間あったことを思いおこす行為です。昼間経験したことを再生して、記憶を反芻して整理しているのです。(この過程は目が覚めるとほとんど覚えていません)

夢は脳の情報を整え、記憶を強化する必須の過程なのです。

つまり、睡眠はものごとをしっかりと覚えるための大切な行為なのです。

何か新しい知識や技法を身につけるためには、覚えたその日に6時間以上眠ることが欠かせないという研究結果もあるそうです。

 


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💮後悔せずに反省しよう

脳は失敗を繰り返しながら記憶を作るようにできています。ですから、人間には失敗がつきものなのです。気にすることはありません。失敗を次に活かせば良いのです。

 

 

💮急がば回れ

脳には、手順をきちんと踏んだ方がより早く覚えられるという性質があります。何かを習得するとき、最初から難度の高いことにチャレンジするよりも、基礎から少しずつ難度を上げていく方が結果的には早く習得できる確率が高いです。

 

 

💮まずは、大ざっぱにとらえよう

まずは大局を理解しておくことが大切です。初めは細部を気にせずに、おおまかに理解しましょう。細かいことはその後で少しずつ覚えていけばよいのです。

アイドルグループも、最初はどの子も同じように見えるものです。興味を持てば区別がつくようになります。私は興味がないので指原莉乃しか分かりません。

 

 

💮記憶には相乗効果があります

ある事象の理解の仕方を覚えると、よく似た他の事象に対する理解の仕方までが上達します。ここでも記憶の好循環がみられます。

スポーツが得意な人は、他のスポーツもすぐにマスターできます。英語が得意な人は、他の言語のマスターも容易にできます。数学の解法をマスターすれば、似たような未知の問題に応用がききます。

つまり、脳が記憶するとき、「事象」を記憶するだけではなく、「理解の仕方」も記憶しているのです。ひとつのことを記憶すれば、ほかのことの法則性を見出す能力も身につくのです。

したがって、脳は覚えれば覚えるほど、さらに性能が向上するのです。

 

 

💮得意科目(種目)をひとつ作ろう

上のことから分かるように、ある科目(や種目)をマスターすると、他の科目(や種目)の習得も容易になります。どの科目(や種目)も均等に勉強(練習)するよりも、好きな科目(や種目)を重点的に勉強(練習)する方が長い目で見れば効果的です。

 

 

💮手続き記憶が天才を作る?

「理解の仕方」を覚えるということは、「手続き記憶」にあたります。手続き記憶は記憶の最下層に位置する原始的な記憶なので、もっとも忘れにくい記憶ということになります。

手続き記憶は潜在記憶なので、覚えることも思い出すことも無意識になされます。事象の「理解の仕方」も無意識に記憶されます。

ゲームのルールや自転車の乗り方は、手続き記憶なので一度覚えてしまえば、必要なときにはすぐに思い出すことができます。

一方、非常に強固な記憶なので、たとえばスポーツで癖のあるフォームを一度身につけてしまうとなかなか修正することはできません。

将棋や囲碁のプロ棋士は、エピソード記憶と手続き記憶を駆使して棋譜を覚えています。

「天才的」といわれる能力は、一般的に、潜在的な手続き記憶が基盤になっています。

 

記憶の相乗効果には、一般的に「累積効果」があります。つまり、学習の効果は指数関数的なカーブを描いて上昇します。

(2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, 256, 512, 1024, 2048, 4096 … のような感じ)

ですから、最初はなかなか効果が目に見えてきません。しかし、そこを通り抜けると、グンと伸びていくわけです。

天才と凡人の差は大きいですが、天才どおしの能力差はさらに大きいことも分かります。どのような分野でも、レベルが高くなればなるほど、各個人の能力差が広がっていきます。

 

上のように、相乗効果が現れるには多少時間がかかります。結局のところ、何かを習得するとき、もっとも大切なことは「継続は力なり」ということになります。なかなか結果が現れないからといって、すぐにあきらめてはいけません。

 


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💮結局は「やる気」の問題

以上のことから、記憶力を増強させるためには、

「好奇心」と「努力」と「忍耐力」、そして、ちょっとした「コツ」が重要である

というように、本書は結論づけています。

結局は「やる気」がなければ記憶力は増強されません。

 

なんだ、当たり前のことじゃないか、という気もしますが、要するに、その「当たり前のこと」が科学的に正しいと裏付けられたということです。脳はそのようにできているということです。ですから、コツコツとやっていくしかありません。

人類は、大昔からちゃんと気づいておりました。

 学問に王道はない  

 

 


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🙀やる気にゃ~い

 

 

 

 

池谷裕二『記憶力を強くする』再読(2)脳は曖昧に乱雑に記憶する

9月の読書録03ーーーーーーー

 

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

 

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💡池谷裕二『記憶力を強くする』再読(1)海馬は記憶のための特殊装置 - 森の踏切番日記の続き

 

 

💡脳は曖昧に乱雑に記憶する💡

 

 

脳が記憶する方法

脳が記憶する方法には次の三つの特徴があります。

1.まずは大きく捉える
2.きちんと手順を踏んで覚える
3.何度も失敗を繰り返して覚える

 

脳が情報を記憶するとき、厳密には記憶せずに大まかに記憶します。厳密に記憶してしまうと融通がきかなくなるからです。

これは、AIの画像認識の技術開発の難しさを考えてみればよく分かります。

コンピュータは、融通がききません

人間の脳にはきわめて大きな柔軟性が与えられています。そのために試行錯誤を繰り返して記憶しなければならない面倒がありますが、臨機応変にものごとに対応することができるのです。

 

※「汎化(般化)」

心理学的には、ある特定の刺激と結びついた反応が類似した別の刺激に対しても生ずる現象のことです。

記憶の場合だと、たとえば、初めて見る種類の犬でも犬の特徴をそなえていれば犬だと分かるということでしょうか。

あるいは、同一人物の横顔、うつむき顔、眼鏡をかけた顔、化粧した顔などをすべて同一人物と判断できるということでしょうか。

AIの画像学習だと、上のような顔認識の場合、入力画像は1000万枚くらい用意する必要があるそうです。

(^_^;) を顔と認識するのも汎化でしょうか。人は顔認識が発達しているので、その副産物として、色んなものに顔を見てしまうのだと思います。

 

 

脳の可塑性

脳には、あるきっかけにしたがって変化を起こし、その変化を保ち続ける」という性質があります。これを脳の可塑性とよびます。

つまり、「記憶」とは、脳が学習して「知らない」状態から「知っている」状態に変化することといえます。

※「可塑性」の対義語は「弾性」です。力学的には、弾性はバネのように外力がなくなると元に戻る性質で、可塑性はバネを伸ばしすぎたときのように変形して歪みが元に戻らない性質です。

 

脳は緻密な神経回路網(ニューラルネットワーク)から成り立っています。脳はこの神経回路網を使って情報を管理しています。

「記憶する」とは、「神経細胞ニューロン)のつながり方が変化すること」なのです。

※専門的な定義は、「記憶とは、神経回路のダイナミクス(動力学)をアルゴリズム(演算手順)として、シナプスの重みの空間に、外界の時空間情報を写し取ることによって内部表現が獲得されることである」だそうです。

 


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ニューロン(neuron)の模式図

 


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シナプス(synapse)の模式図

シナプスは、ニューロンの信号伝達などの神経活動に関わる部位のことです。

シナプスにあるニューロンどうしの隙間を「シナプス間隙」といいます。

 

 

ニューロンを伝導してきた電気信号は、シナプスで化学信号に変えられ、次のニューロンへ信号が伝達されます。

伝達された信号は、次のニューロンで電気信号に戻され、またニューロンを伝導していきます。

そしてまた、次のニューロンへと信号が伝達されていきます。

この信号(神経情報)の流れは一方通行で、逆流はしないしくみになっています。また、先細り(減衰)しないしくみにもなっています。

 

ひとつのニューロンにいくつものシナプスがあり、いくつものニューロンとネットワークを作っています。

こうして作られた複雑な神経回路網の中を神経情報が流れていきます。この流れの道筋が変わること、つまり、神経回路の変化こそが記憶の正体なのです。

 

記憶は神経回路網にたくわえられますが、ひとつのニューロンが複数の記憶に使われます。記憶容量を確保するために、ニューロンを使い回しているのです。

その結果、さまざまな情報が雑居してたくわえられることになり、互いに相互作用をしてしまいます。

そのため、記憶が曖昧になるのです。間違いや勘違いをしたり、記憶が変わったり薄れたりする理由はここにあります。これは、脳の「宿命」なのです。気にすることはありません。

保存情報が相互作用するということは、「連想」や「創造」という行為を容易にします。私たちは、記憶が相互作用できる神経回路にたくわえられているからこそ、こうした「人間性」を持つことができたのです。

 

人が人らしくあるために、脳は曖昧に、そして乱雑に(!)記憶をたくわえているのです。

 

 

脳の自己組織化と臨界期

ヒトの脳は複雑なので、遺伝情報は神経回路網の結合の大まかな指示を与えるだけです。なので、初めはランダムにつながります。そのため、できたての脳はニューロンの数も結合も必要以上に多くなります。

それから「自己組織化」が起きて、外部情報や内部情報に合わせて不要な部分は消去し必要な部分を補い、スリムな脳ができていきます。つまり、脳の基本機能は自己組織化が進んで完成するのです。

脳が発達する過程で、ある時期にある特定の仕組みが発達します。この時期を「臨界期」といいます。視覚や聴覚は、早い時期に臨界期を迎えます。

言語を覚える能力は、6歳くらいまでがとくに高いことが知られています。バイリンガルになるには、8~9歳までに習得するのがベストだと言われています。ただし、幼児は言語を使わなくなればすぐに忘れてしまいます。

語学の臨界期は、それほど厳密ではないので、中学生から英語を習い始めても、苦労するだけで習得はできます。

※『脳・心・人工知能』(甘利俊一著・講談社ブルーバックス)も参考にしました。

 

 

記憶にも年齢に見合った記憶の仕方があります!

記憶は階層を作っています。この階層は成長とともに形成されていきます。より原始的な、つまり、生命維持にとってより重要な下位の階層から早く発達します。

記憶の階層は下から、「手続き記憶」「プライミング記憶」「意味記憶」(ここまでが潜在記憶)、「短期記憶」「エピソード記憶」となります。つまり、この順に発達します。

(前の記事を参照のこと)

幼少時の記憶がないのは、エピソード記憶の発達が遅れているためです。(海馬の成長も不完全)

10才くらいまでは意味記憶(知識)がよく発達していて、エピソード記憶(思い出)が優勢になるのは、それ以降になります。

 

逆に、年をとって健忘をきたす場合は、階層の上の記憶から消失していきます。エピソード記憶が衰えると、物忘れが頻発します。症状が進んで、意味記憶まで失われると、自分の身内も分からなくなります。服を着たり、箸を使ったり、歩いたりといった手続き記憶はなかなか失われません。体力的にできなくなるだけです。

 


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子供が知識欲が旺盛なのも脳の発達段階と関係があるのでしょうか。私も小4くらいまでの記憶は割と曖昧なのですが、読んだ本の内容はよく覚えていたりします。同じ本を飽きずに何度も読み返したものですから。

 

中学時代は、意味記憶の能力がまだ高いので、試験前の丸暗記作戦は有効です。高校生になると、エピソード記憶の方が優勢になるので、丸暗記作戦は通用しなくなります。量的にも無理があります。

 

私も中学時代の試験は丸暗記作戦でいきましたが、高校では丸暗記作戦は止めました。単に面倒臭くなっただけですけど。

 

成長して、エピソード記憶が発達するということは、論理だった記憶能力が発達するということです。ものごとをよく理解して理屈を覚えるやり方が効果的です。

 

つまり、大人と子供では有効な記憶方法が異なるということです。

 

それでは、論理的な記憶力を鍛えるには、どうしたらよいでしょうか?

次の記事では、本書が紹介しているその方法をまとめてみたいと思います。

 


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💡次の記事へと続く

 

 

 

📄関連日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池谷裕二『記憶力を強くする』再読(1)海馬は記憶のための特殊装置

9月の読書録03ーーーーーーー

 記憶力を強くする

 池谷裕二

 講談社ブルーバックス(2001/01/20)

 ★★★★

────────────────────

 

人工知能はいかにして強くなるのか?』(小野田博一著・講談社ブルーバックス)で、人間の「学習」と人工知能の「機械学習」との違いについて読んだのは、八月のことでした。そのとき、本書のことを思い出したので再読してみました。人間の場合は、「学習」と「記憶」とは不可分の関係にあるからです。

本書が刊行されたのは16年前になります。この16年間でこの分野もずいぶん進歩しただろうと思いますが、素人が基礎知識を確認するだけなので、これで十分だろうと思います。

今では、よく知られている話題も多いですが、復習の意味をこめて、印象に残った箇所をメモしておこうと思います。

 


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💡記憶力を強くする💡

 

鍛えた分だけ記憶力がつく?

脳にある神経細胞は増殖しません。そして、死んでしまった神経細胞は二度と復活しません。

つまり、年をとるほど神経細胞は少なくなります。

あなたの頭の中では、毎日、数万個の神経細胞が死んでいます。

使われていない神経細胞からリストラされていくのです。

 

最近では、よく知られるようになりましたが、

頭を強く打ったりすると、大量の神経細胞が死んでしまいます。
だから、

子供の頭を叩いてはいけない!

強く揺さぶってもいけません。

アホな子がよけいにアホになります。

 

アルコールも神経細胞の死を早めます。

睡眠薬覚醒剤などの薬物も、当然神経細胞を殺します。

血管がつまっても、神経細胞は死んでしまいます。

 

ところが、脳の中でも「海馬」だけは、年齢に関係なく神経細胞が増殖することもあります。

しかも、脳を使えば使うほど海馬の神経細胞は増えていきます。

脳を鍛えることで記憶を司る神経細胞を増やすことができるのです!

つまり、

鍛えさえすれば記憶力は向上するけれども、鍛えなければ記憶力は強化されない!

年齢は関係ありません。

 


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Right Hemisphere:右半球(右脳)

Hippocampus:海馬

※Hippocampusは、タツノオトシゴの学名でもあります。形が似ているから?

タツノオトシゴは英語では sea horse.

海馬は漢語です。 

 

 

短期記憶と長期記憶

記憶には、「短期記憶」と「長期記憶」があります。

一度に記憶できる個数が限られているのが短期記憶の大きな特徴です。

人間が瞬間的に把握して記憶できる対象の数は、せいぜい7個程度です。

例えば、10桁の数字を覚える場合、三つ程度のグループに分けて覚える方が覚えやすいです。これを「チャンク化」というそうです。

 

例えば、6482571903 という数字を覚える場合、このまま覚えてしまう人は、あまりいません。ほとんどの人は、

 64-8257-1903 

あるいは、

 648-257-1903

と区切って、グループに分けて覚えると思います。こうすると短期記憶の容量内に収まるからです。

 64-825-71-903

と四つに分けると覚えにくくなります。

 

長期記憶には、過去の自己の経験や出来事に関連した「エピソード記憶」(思い出)と抽象的な「意味記憶」(知識)があります。

短期記憶とエピソード記憶は意識的に思い出すことができますが、意味記憶は自我(意識)が介入しない「潜在記憶」なので、思い出すには「きっかけ」が必要です。

 

長期記憶には他に、体で覚える物事の手順に関する「手続き記憶」と「プライミング記憶」というものがあります。これらも潜在記憶です。

ライミングとは、先行する事象(過去の経験)が後続する事象(その後の経験)に影響を与える現象だと、私は理解しています。

 

突然で恐縮ですが、

ヒラヤマと10回声に出して言ってみてください。

 


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クイズです。
世界でいちばん高い山は? 

 


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このよく知られた遊び(10回クイズ)がプライミングの分かりやすい例として挙げられるようです。

高校時代のことですが、クラスの女子に10回クイズをしたことがあります。

「ピザって、10回言うてみ?」

「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ」

「ほな、この腕の曲がってるとこは?」

 

 

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「ヒザ」

「ア~ホ~、ここは、ヒジじゃ、ボ~ケ~」

「うわぁ~! ムッチャむかつくぅ~!」 

以上、エピソード記憶でした。

彼女は、本当に悔しかったようで、この事を後々まで覚えておりました。おかげで、私もこうやって、覚えております。

勘違いも記憶のうち。思い過ごしも恋のうち

ちなみに、先程のクイズの答えは、もちろんエベレスト(チョモランマ)ですね。

ヒマラヤちゃうで。

 


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「プライミング」は、情報の圧縮に役立っています。勘違いさせるためにあるわけではありません。

 

 

海馬の重要性

海馬の神経細胞は、脳内に大量に入ってくるさまざまな情報を取捨選択する記憶の管理人としての役割を果たしています。 

海馬は「エピソード記憶」と「意味記憶」に深く関係しています。

海馬は「記憶するとき」には重要ですが、「思い出すとき」には必要ではありません。記憶は海馬の中に保存されるわけではないからです。

記憶の保管場所は「側頭葉」にあります。

 


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左脳。ピンク色の部分が「側頭葉」です。

右脳の同じ箇所にもあります。

橙色が「前頭葉」、青色が「頭頂葉」、緑色が「後頭葉」、赤色は「小脳」、黄色は「脳幹」です。

 

 

大脳に入ってきた情報は、側頭葉を経由して海馬に入ります。情報は、海馬で処理され統合され整理され、記憶すべき情報が、再び側頭葉に戻されます。

海馬に情報が留まるのは、1ヶ月ほどだそうです。

 

海馬がほぼ完全な形になるのは、だいたい2歳から3歳くらいであると考えられています。だから、幼児期の記憶が無いのです。

海馬が完成していない幼児に英才教育を施すことも無意味なことです。

この時期の子供には、愛情をたっぷり注ぎましょう。そうすれば、記憶力のよい子に育つ可能性が高まります。

海馬がより豊かに成熟するそうです。

育児中の母親や妊婦のストレスが子供にとってよくないことは、言うまでもありません。

 

海馬を活性化させるには、

  • 硬いものをしっかり噛んで食べること
  • 他人とよく交際すること
  • 異性と接すること
  • 適度に体を動かすこと
  • 軽いダイエット

が良いという研究結果もあるそうです。

過度の飲酒、心身へのストレス、麻薬などは海馬の働きを低下させます。

(本書が刊行された2001年現在の情報です)

 

海馬は記憶のために特化した脳の中でも特殊な部位なのです。

 

 

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💡次の記事へと続く

🔘池谷裕二『記憶力を強くする』再読(2)脳は曖昧に乱雑に記憶する - 森の踏切番日記

🔘池谷裕二『記憶力を強くする』再読(3)記憶力を鍛えるコツまとめ - 森の踏切番日記

 

 

 

南海トラフ大地震が起きるしくみ 『日本列島100万年史』を読む(5)中国・四国・九州

9月の読書録02ーーーーーーー

 

 
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🐱近畿三角帯と阪神淡路大震災の話 『日本列島100万年史』を読む(4)近畿 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

第7章 中国・四国


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中央構造線

 

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西南日本の地質構造

出典:大鹿村中央構造線博物館subindex03中央構造線ってなに?
 

 

1.西南日本と南海トラフ

◾西南日本の顕著な地質構造は、「中央構造線」と呼ばれる大構造線である。これは、地質が大きく異なる境界の断層線で、プレートの沈み込み境界である南海トラフの北側200~250キロメートルのところを、南海トラフと平行に東西方向に走っている。この構造線を境にして、海溝側(南側)は「西南日本外帯」、大陸側(北側)は「西南日本内帯」と呼ばれる。

南海トラフは、陸に近接しているため陸側からの物質の供給が多く、堆積物に埋められて浅くなっている。そのため、深さは海溝よりも浅い4000㍍級となっている。

フィリピン海プレートは四国に対して西北西に斜めに沈み込んでいるため、中央構造線より南の岩盤はそれに引きずられて西へ、北側の岩盤は相対的に東へ動く。そのため中央構造線は「横ずれ断層」(右横ずれ)として活動する。

(同じような断層にインドネシアスマトラ島スマトラ断層などがある)

 

◾西南日本外帯では、押しつけられた付加体の跡が、帯状の地質構造になったと考えられる。これらの地質帯を海洋プレート側から、「四万十帯」「秩父帯」「三波川(さんばがわ)帯」と呼ぶ。

◽四万十帯は、白亜紀末から第三紀(1億4500万年前~260万年前)の間に大陸の縁に作られた付加体である。

秩父帯は、ジュラ紀(2億年前~1億4500万年前)の間に作られた付加体である。

◽三波川帯は、古生代から中生代ジュラ紀(5億5000万年前~2億年前)の間に作られた付加体の堆積岩が、白亜紀に変成作用を受けてできた岩石(変成岩)で形成されている。

※堆積岩や火山岩が高温や高圧を受けて化学反応によりできる岩石を変成岩という。三波川帯は比較的低温で高圧を受けてできた。

 

◾一方、西南日本内帯では、中央構造線のすぐ北に「領家帯」がある。これは三波川帯と同様に変成岩でできているが、三波川帯とは異なり、白亜紀にマグマから作られた花崗岩が地下深くまで運ばれ、高温変成を受け、再び隆起して地表に現れたものである。

➡さらに北には、「美濃─丹波帯」「舞鶴帯」「秋吉帯」「三郡帯」「隠岐帯」など、三波川帯よりも古い、古生代から中生代の堆積岩や、それが変成されてできた変成岩からなる地質帯が分布する。

※恐竜などの中生代以前の古生物化石は、これらの地質帯の堆積岩中から発見される。

➡これらは、日本列島がまだユーラシア大陸の一部だったとき、その沖合で海洋プレートが沈み込むことで形成されたものである。

➡西南日本の南北地形断面を見てみると、中国山地よりも外帯山地の四国山地の方が高いことが分かる。

「ブラタモリ」ファンの必読書? 『日本列島100万年史』を読む(1)日本列島の成り立ち - 森の踏切番日記を参照のこと)

 


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プレート境界と地震の震央と震源の深さ

震源は、赤い方が浅く青い方が深い)

出典:地震本部地震調査研究推進本部

フィリピン海プレートは四国に対して西北西に斜めに沈み込んでいる

 


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過去に発生した南海トラフ地震

出典:地震本部地震調査研究推進本部

南海トラフは、土佐海盆から駿河湾までそれぞれ140km~180kmほどの5つの区間に分けられる。(プラス日向海盆で6区間

 

 

🔘南海トラフ地震が起きるしくみ

◾過去の南海トラフ地震の記録から、南海トラフのある区間地震が発生すると、隣接する区間でも連動して大地震が発生することが分かっている。

➡連動する際のタイムラグは、ほぼ同時の場合もあれば、1日後、1週間後、場合によっては数年後となることもある。

➡この時間差で隣接する区間に巨大地震が発生し、最終的に南海トラフ全体にわたって地震が起こる。

➡このような活動がおよそ100年ごとに繰り返されてきた。

1854年安政東海地震(熊野海盆~駿河湾までの区間が動いた)の翌日に安政南海地震(土佐海盆・室戸海盆の区間が動いた)が発生した。

※1944年の昭和東南海地震(熊野海盆・遠州海盆の区間が動いた)の時は、2年後の1946年に昭和南海地震(土佐海盆・室戸海盆の区間が動いた)が発生した。

 

◽将来、南海トラフマグニチュード8クラスの地震が起きるのは、2045年あたりになると考えられるが、発生間隔に大きなばらつきがあるために、早くなるかも知れないし遅くなるかも知れない。

 

🐱2011年3月11日は、夕方、ラジオのFM放送をつけるまで地震があったことに気がつかなかった。あんな地震が起きるとは思いもよらなかった。この日が金曜日だったことだけは、何故か今でも憶えている。

 

◾この東北地方太平洋沖地震東日本大震災)は、専門家にとっても想定外の地震だった。この大震災をきっかけに、次に来るかもしれない「南海トラフ地震」では、想定外をなくすために、マグニチュード9の地震が起きることを想定し、対策が進められている。

南海トラフ地震の被害が最大になるのは、南海トラフのすべての区間が同時に動いたケース。その場合に起きる超巨大地震を想定して、浸水域の想定拡大や避難対策、防潮堤のかさ上げなどさまざまな対策が講じられている。

 


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プレート境界地震による津波の発生


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プレート境界地震による津波のしくみ

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 


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東北地方太平洋沖地震における地殻変動(上下方向)

(出典地震本部・提供元国土地理院

※青色が濃いほど沈降の度合いが大きい。

◽太平洋側、上から八戸0.5、岩泉15.0、山田48.4、岩手川崎28.1、牡鹿107.6、相馬30.5、いわき35.5、北茨城44.4、銚子14.8(単位cm)の沈降となっている。

◽八戸の北から秋田県山形県を通る等量線が±0のラインで、八戸の北、東通が0.9cmの隆起の他、このラインの左側(日本海側)では、ごくわずかに隆起している地域がある。

 


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東北地方太平洋沖地震における地殻変動(水平方向)

(出典地震本部・提供元国土地理院

◽水平方向にも、震源地に向かって震源地に近いほど大きく移動している。牡鹿の541.9cmを最大に、秋田県山形県でも1㍍以上移動している。

 

 

🔘巨大地震による地殻変動

◽巨大地震発生時に起きる地殻変動による広範囲の海底の隆起や沈降は、津波の発生や、沿岸地域の土地の隆起・沈降という現象として認められる。(上図参照)

➡過去の南海トラフ地震でも沿岸地域が沈降したことが記録されている。太平洋側に突き出た室戸岬足摺岬では、逆に地盤が激しく隆起したことが分かっている。

➡この岬の隆起は、先端の隆起が最大で内陸に向かって沈降する「傾動」を示す。

➡巨大地震のない通常時には、逆に岬の先端ほど大きく沈降し、内陸ほど隆起する。

➡このことから、通常時はプレートの沈み込みに引きずられて岬の先端部は一緒に沈降し、地震時にはプレート境界断層の活動で、上盤側は切り離されて反発し隆起する地震発生モデルが考えられる。

➡巨大地震によって隆起する量は、通常時に沈降する量よりも大きいため、その差がだんだん累積して岬は長期的に隆起していく。室戸岬では、平均すると1000年に2㍍の速度でこの隆起が起きている。

 

 


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衛星写真(上が北東になる)

※瀬戸内海は東から、紀伊水道、大阪湾、播磨灘、備讃瀬戸、備後灘、燧灘(ひうちなだ=四国のへこんだ部分)、安芸灘、広島湾、伊予灘、周防灘、と区分される。 

 

 

2.瀬戸内海と中国地方

◾瀬戸内海は、水深が60㍍よりも浅い海域が大部分を占める。最終氷期で海水面が低かった2万年前には、完全に干上がって陸地となっていた。

➡この時期には、岡山と香川の間の備讃瀬戸付近を最上流として、東西に流れる河川が形成されていた。

 

◾瀬戸内海の特徴のひとつは、「灘」と呼ばれる比較的広い海域と、「瀬戸」と呼ばれる島が密集した狭い水域が、約50キロメートル間隔で交互に並んでいることである。

➡瀬戸内海が陸地だった時代には、灘は盆地や低地だったところで、瀬戸は川の上流などの高い土地、あるいは渓谷が発達した地域だった。

➡このような地形ができたのは、中央構造線の活動と関連していると考えられる。前述の通り中央構造線より南側の部分は西方に、北側の部分は東方に移動する「右横ずれ」が起きている。

➡この右横ずれにともない、中央構造線より北側の部分に雁行状のシワができた。このシワの盛り上がった部分が瀬戸に、くぼんだ部分が低地である灘になったと考えられる。

(指で腕をつねった感じ)

 

※本書には、この他に出雲平野の変遷などが紹介されている。

 


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断層の種類


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地震は断層運動により発生します

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 

 

第8章 九州

1.九州シラス台地

◾南九州に分布するシラス台地は、大半が鹿児島湾の姶良カルデラから約3万年前に噴出した入戸火砕流によって作られた。

➡南九州は広く火砕流に覆われ、同時に噴出した火山灰(姶良Tn火山灰)は、東は東北地方から太平洋沖に、北は朝鮮半島にまで飛散した。

姶良Tn火山灰の火山灰層は、九州南部や高知県西部で50cm以上、近畿地方で20~40cmになる。

➡シラス台地は、比較的新しい地形なので浸食がまだそれほど進んでいない。シラス自体浸食されにくい地形であることと二次堆積物によって、平坦面が広く残っている。

 

 
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姶良カルデラ

※若尊カルデラなど複数のカルデラが複合したものと考えられる。

※約2万6000年前に桜島火山が誕生した。

(参考:姶良カルデラ - Wikipedia) 


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桜島


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NHKブラタモリ #50富士の樹海」より

 

 

🌋巨大火砕流をともなうような巨大噴火は、軽石の激しい噴出をともなうプリニアン噴火(プリニー式噴火)で始まることが多い。

➡マグマは爆発性の高い流紋岩質マグマで、ガスと軽石、火山灰の混じった噴出物は柱のように上空に上がっていき「噴煙柱」となる。

➡周辺の空気より高温なので、浮力を得てどんどん上昇する。

➡数千メートルまで上昇すると均衡状態になり留まるが、偏西風に乗って噴出物は東方へ流される。

➡その過程で、噴出物の降下が起こる。軽石な岩片など重いものは火口近くに厚く、火口を離れるにつれて小さく軽いものが薄く積もる。

➡この状態で噴出が弱まると、噴煙柱はどんどん縮小し、比較的小規模な軽石噴火で終息するが、噴煙柱が大きくなりすぎると、自重に耐えきれずに噴煙柱は倒壊もしくは崩壊してしまう。

➡すると噴煙柱を構成していた火山灰や軽石、岩片が地表を高速で流れる。これが、シラスを噴出する巨大火砕流なのである。

➡これにともなって、「火道」(マグマの通り道)の下からの圧力が開放され、マグマが大量に一気に噴き出し、火山の周囲に流れ広がっていく。

(炭酸飲料のペットボトルをよく振って蓋を開けた感じ)


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こんな感じw

 

※1991年の雲仙普賢岳噴火の際の火砕流は、溶岩ドームの一部が崩落して砕けたもの(溶岩崩落型)で、「熱雲」とも呼ばれる。

 

🌋巨大火砕流が発生すると、地下のマグマはほとんど放出されてマグマ溜まりに空洞ができる。

➡上部の岩盤がその重みで崩落。

➡地表にはカルデラと呼ばれる凹地ができる。

※大きな火口も同様のメカニズムでできる。直径が2km以上のものがカルデラ、それ以下のものは火口と区別しているだけ。

 


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カルデラ完成!!


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NHKブラタモリ #81十和田湖奥入瀬」より

 


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南九州の火山とカルデラの分布

 

 

🌋南九州には、更新世の中期(78万年前)以降にこのようなカルデラが多数形成された。

➡鹿児島の錦江湾は、姶良や阿多北などのカルデラの並びに海水が浸水したものである。カルデラ底の深さは、最深で水深200㍍ほど。カルデラ間は水深100㍍よりも浅くなるところがある。2万年前の最終氷期最盛期には海面が今より120㍍ほど低かったので、当時はカルデラ湖が南北に連なっていたかもしれない。

 

◽霧島、桜島、池田カルデラ開聞岳などの活火山は、いずれもカルデラの縁あたりに形成されている。これらの活火山はカルデラ形成後の中央火口丘とされており、火山の一生の最終段階にあるという。

 

◽地球では、海洋プレートが作り出され沈み込むことによって、常に地殻変動が起きている。この地殻変動によって火山活動が活発化し火砕流活動が集中して発生したり、沈静化したりするのではないかと考えられている。

 

🌋薩摩半島の南約50キロメートルにある薩摩硫黄島は、深さ400㍍の海中にある巨大な鬼界カルデラの一部で、縄文時代前半の7300年前に起きたカルデラ噴火で形成された。

➡海の中から噴出した数百℃の火砕流海上を時速100キロメートル以上の高速で渡り、南九州地域一帯を襲った。

➡この巨大噴火で、南九州に住んでいた縄文人はほぼ全滅したと考えられる。

➡それ以降日本列島では、このような巨大噴火は一度も起きていない。我々にとって未知の災害といえる。

➡このような巨大火砕流をともなう巨大噴火は防災の対象になっていない。被害が壊滅的で防ぎようがないからである。

 

自然には、まだ人類の力では対応できないものがたくさんあることを知っておくべきでしょう。

 


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1984年のマヨン山(フィリピン・ルソン島)の火砕流。噴煙は上空1万5000㍍まで上がった。
 

 


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🐱感想

地形は、長い時間をかけてゆっくりと変わりゆくものだけれど、時には一瞬で変わってしまうこともあります。

人間とはスケールが違うので、我々は大地は変わらないものだと、つい思い込んでしまうものです。

地球のスケールの大きさに比べたら人間の営みなどはささやかなものだ、という当たり前のことを改めて感じました。

人の一生は100円にもなりませんからねえ。

 


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近畿三角帯と阪神淡路大震災の話 『日本列島100万年史』を読む(4)近畿

9月の読書録02ーーーーーーー

 

 
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🐱南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

西南日本の成り立ち

🔘東北日本では地質構造が南北に延びているのに対して、西南日本では地質構造は東西に延びている。西南日本の成り立ちは、だいたい次のようになる。

(東北日本については箱根火山のカルデラの成り立ち他 『日本列島100万年史』を読む(2)北海道・東北・関東 - 森の踏切番日記を参照のこと)

 

◾2億5000万年前(中生代)以降から、ユーラシア大陸の端でプレートの沈みこみの場であったところに付加体が順次形成されて高まりとなった。

➡さらに、海底火山の噴火などの火成活動で花崗岩が形成されて高まりは陸地となり、西南日本の土台が形作られた。

➡1900万年前頃(新第三紀)に日本海が開き始めたことで日本列島はユーラシア大陸から分離、太平洋へ向かって移動。

➡1500万年前頃に現在の位置に到達。このとき、列島の西部は時計回りに回転、東部は反時計回りに回転した。その際、東西の境で折れ目になった部分が引っ張られて落ち込み、フォッサマグナ大地溝帯)になった。

「ブラタモリ」ファンの必読書? 『日本列島100万年史』を読む(1)日本列島の成り立ち - 森の踏切番日記を参照のこと)

➡西南日本は、約600万年前頃(中新世の末)から隆起運動を受け始める。隆起量や浸食量が、中部山脈地帯に比べて相対的に小さく、それ以前の中新世の安定した時期に作られた平坦面である準平原の遺物が広く残っていたため、比較的なだらかな地形が作り出された。

 

 

第6章 近畿


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1.近畿三角帯──京阪神と中京の地形

🔘近畿三角帯は若狭湾東部の敦賀付近を頂点として、淡路島とを結ぶ左辺と、伊勢湾とを結ぶ右辺、紀伊半島北部を東西に走る中央構造線を底辺とする三角形(上図赤線)のことである。

➡この中には、東海湖盆、古琵琶湖湖盆、大阪湖盆(大阪堆積盆地)という、それぞれ南北方向に細長く延びる三つの大きな堆積盆地が東西に並んでいる。

➡湖盆と呼ぶのは、これらの盆地には湖に堆積した砂や泥がたまっていて、海に堆積した地層が存在しないからである。

➡東の東海湖盆が最も古く、およそ600万年前(中新世末~鮮新世)に形成が始まり、古琵琶湖湖盆、大阪湖盆の順で形成されたが、互いに独立していて、つながることはなかった。

➡いずれも内陸の淡水湖だったが、約130万年前頃に四国紀伊半島間に紀伊水道ができて、海水準の高い時代には大阪堆積盆地に海水が入るようになり、海成堆積物と陸成堆積物とが交互に堆積するようになった。

 

🔘近畿三角帯には、南北に走る鈴鹿山脈や金剛・生駒山地、東西に走る和泉山脈、北東~南西方向に延びる比良山地六甲山地、北西~南東方向に続く養老山地や伊吹山地など、比較的小規模な山地が存在し、地形境界になっている。

➡これらの山地の両側の麓には活断層が存在し、両側から押されて隆起したり(地塁)、一方の断層のみが動いて土地が隆起し(傾動)、山地ができたと考えられる。

➡これらの隆起が始まった時期(活断層の活動開始時期)は新しく、多くの山地でおよそ50万年前(中期更新世前半)からで、これを「六甲変動」と呼ぶ。

 


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近畿地方の地形

(出典:2015年11月24日(火):第7回Nature Salon 「電力屋が見た自然保護」 - 兵庫県自然保護協会

 


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近畿地方活断層

(出典:都道府県ごとの地震活動 | 地震本部

 


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地塁(両側から押されて隆起した地形)

NHKブラタモリ #36京都・嵐山」の画像より

 

 

🔘東海湖盆は、伊勢湾西岸地域や濃尾平野~東濃・三河高原の地域にかつて存在していた。湖は東部の知多半島あたりから始まり、濃尾平野一帯へ広がった。東側から堆積が始まり西へ移動しながら縮小、伊勢湾西岸の養老山地と鈴鹿山脈にはさまれる北勢地域で約100万年前まで存在したのを最後に消滅した。

濃尾平野地殻変動は西側が沈降して東側が隆起する傾動運動で、「濃尾傾動地殻運動」と呼ばれる。約300万年前頃から沈降が始まり、約90万年前頃(前期更新世末)から沈降運動がいっそう活発化した。

➡12万年前の最終間氷期の海水準が高かった時代に濃尾平野に海水が侵入、熱田層という海成層を堆積させた。これが少し隆起して段丘となったところが現在の熱田台地である。

➡伊勢湾は水深が浅く、最深部でも水深39㍍しかないので、最終氷期には干上がって陸地になった。伊良湖水道(最深部110㍍)は、最終氷期に河川によって浸食されてできた渓谷が海底谷になったものだと考えられている。

 


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濃尾傾動地殻運動の模式図


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熱田台地

NHKブラタモリ #76名古屋・熱田」の画像より

 

 

🔘古琵琶湖湖盆は東海湖盆より少し遅れて、

約500万年前~400万年前頃、現在の上野盆地周辺から始まった。

◾断層活動で小さな盆地がいくつもできて低いところに水がたまり、大山田湖ができた(400万年前~320万年前)。このころは、亜熱帯性気候だった。

➡300万年前頃、再び阿山湖という湖ができて北(甲賀方面)へ広がった。浅い湖で、270万年前頃には北から埋まっている。

➡その頃、やや北に甲賀湖が出来た。安定した湖で、20万年ほど続いた。

➡250万年~180万年前頃、湖南から湖東地域にかけて蒲生沼沢地群が形成されたが、不安定な湖沼・湿地だった。

※沈降地域が北へ移動するにともない堆積盆地が移動、さらにそれを覆って扇状地が発達して湖盆の堆積は終わる。

➡100万年ほど前、今の琵琶湖を中心とした近江盆地が沈降地域になり、堅田丘陵あたり(大津市北部)に小さな湖ができる。これが現在の琵琶湖南湖になる。

➡40万年前頃、湖西の山地に沿った断層活動が活発化する。比良山地が盛り上がると同時に琵琶湖部分が沈降し始める。

➡30万年前頃には、今のような広くて深い琵琶湖ができた。

 


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琵琶湖湖底図

※琵琶湖の総面積は699平方キロメートル。周囲は241キロメートル。琵琶湖は北西部の方が深く、最大水深は103㍍。平均水深41㍍(南湖は4㍍)。

 

 

🔘大阪湖盆は、大阪湾から大阪平野周辺、京都盆地奈良盆地に広がる。

◾約300万年前(鮮新世末)頃に淡路島の東側の大阪湾で沈降運動が始まり、河成・湖成の地層が堆積した。やがて、堆積域は東や北に広がり京都盆地奈良盆地にも堆積した。

※大阪湖盆も内陸の堆積盆地だった。古琵琶湖湖盆とはつながっていなかった。

➡約130万年前に紀伊水道紀淡海峡が形成されて大阪湖盆に海が入ってきた。高海面期には、京都付近まで海が侵入した。

※その後、扇状地の拡大によって、京都に海が入ってくることはなくなった。

➡以後、海水準の変化にともない、海になったり、陸になったりしたので、海成層と陸成層が交互に堆積した。

鮮新世以降のこれらの堆積層を大阪層群と呼ぶ。

 

※縄文海進の時期には、上町台地生駒山地の間に河内湾が形成されて上町台地は岬のようになっていた。淀川と大和川(当時は北上していた)の流入により三角州が形成された。

弥生時代後期~古墳時代には上町台地から北方に砂州が発達し湾口がほぼ塞がれ、淡水化して河内湖となった。

➡淀川と大和川からの堆積物により、河内湖は次第に縮小していった。1704年の大和川の付け替え工事後、新田開発が進むと完全に陸地化した。

(参考:河内湖 - Wikipedia

 


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5500年前の大阪周辺


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NHKブラタモリ #53大阪」の画像より

 

 

🔘六甲変動とは、およそ50万万年前(更新世中期)から地殻の東西方向の広域圧縮が強まって、南北方向の逆断層や東西方向の横ずれ断層の活動が活発化した地殻運動のこと。

➡断層運動は、三つの堆積盆地の縁だけでなく、堆積盆地の中にも発生し、湖盆の堆積物を変位する傾動地塊が現れてきた。京都・奈良付近の河川の出口が狭められて、明瞭な盆地となった。

◽例えば、奈良盆地の場合、西側の縁は中央構造線から北に湾曲した金剛断層(20)や、生駒断層(15)によって東方に傾動隆起した生駒山のブロックによって、大阪湾に注ぐ大和川の出口が狭められ、盆地化した。(20と15は上の近畿地方の断層マップの断層の番号)

◽傾動地塊は、断層運動によって一方向に傾斜している地塊のこと。生駒山地は、大阪側が断層になっていて、奈良側の傾斜が緩やか。生駒山の標高は642㍍。六甲山地も傾動地塊。

 

 

2.神戸と兵庫県南部地震

六甲山地の最高峰・六甲山の標高は931㍍で、神戸の街に面した南東側斜面は急な崖になっている。この崖は断層がずれてできたものである。

➡断層が動くと地形的にずれが生じる。それが削られずに残っていれば、次の地震で同じ方向にずれが重なり、次第に崖などができていく。たとえば、六甲山もこのようにして何度もずれを重ねた断層によって、今の高さまで持ち上がった。

 

🐱1995年1月17日は、前の夜からなぜか眠れなくて、テレビの深夜放送を見て、それでも眠れなくて、仕方がないのでミック・ジャガーの日本公演のビデオを久しぶりに見ていたら、明け方に大きな揺れがきた。 あれから22年になるとは、月日が経つのは早いものだ。

 

◾その兵庫県南部地震阪神淡路大震災)は、六甲山の麓から明石海峡を渡って淡路島の北西岸に延びる全長71キロメートルの活断層「六甲─淡路断層系」の活動で引き起こされた直下型地震だった。前回のずれは2000年前だった。

➡最初に断層がずれ始めた場所、つまり震源明石海峡の下だったが、そこから北東と南西の方向に3本の断層が次々連動しながら「断層変位(断層のずれ)」を起こし、強い揺れが発生した。この間わずか10秒から20秒の出来事だった。

地表に顕著な断層変位が現れたのは、淡路島の北部に全長10キロメートル以上にわたって現れた野島断層である。このように地表に断層変位が見られる断層を「地震断層」と呼ぶ。

➡ところが、大きな被害のあった神戸の市街地には、このような地震断層は出現しなかった。地殻の変動がほとんど見られなかった神戸の街で大きな揺れが発生したのはなぜなのか?

 


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震央(×)と震源域(黄色)と野島断層(青線)

出典:File:Map of Great Hanshin Awaji Earthquake Ja.png - Wikimedia Commons

 


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震災の帯

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 

 

◾上の地図の赤い領域は、震度7の揺れを受けた地域で細長く延びているので「震災の帯」と呼ばれている。通常は地盤の弱いところに出現するのだが、神戸の場合は扇状地になっているので、地盤は決して弱くない。

➡では何故震災の帯が出現したかというと、次のような理由があることがわかった

➡神戸市の地下には、六甲山を作っている花崗岩の基盤と、その上に大阪層群と呼ばれる堆積層の2種類の地層が存在する。

➡一般に波は、軟らかい物質中よりも硬い物質中の方が速く伝わる。地震波も波なので同様の性質を持つ。

花崗岩の方が大阪層群よりも硬いため、地震波は下層の硬い花崗岩では速く伝わり、大阪層群では遅くなる。

➡そうすると、光が異なる媒質の境界面で屈折するように、硬い基盤を伝わってきた地震波も軟らかい堆積層との境で屈折する。

花崗岩の基盤は海側に向かって傾斜しているので、入射位置によって入射角・屈折角が異なる。そのため、凸レンズで太陽光が集められるように、ある地点に揺れが集まる現象が起こる。

➡また、市街地と六甲山地の境には断層が地下まで続いているので、断層で縦方向に基盤と堆積層の境界があり、六甲山側の基盤を伝わってきた地震波が堆積層に入り地表を伝わる表面波となった。

➡こうした地震波の干渉と増幅を「焦点効果」と呼ぶ。そのまさに焦点にあたるところが強い揺れのゾーンである「震災の帯」となったのである。


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2015年の「NHKスペシャル」の画像より。

※基盤から堆積層への地震波は、これだけではなく、入射位置の異なる地震波が屈折して震災の帯に集中した。

 

 

 


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🐱次の記事へと続く

 

 

 

 

 

南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部

9月の読書録02ーーーーーーー

 


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🐱箱根火山のカルデラの成り立ち他 『日本列島100万年史』を読む(2)北海道・東北・関東 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

第5章 中部

 

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富嶽三十六景凱風快晴」葛飾北斎

 

1.富士山はどうして美しいのか


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🗻富士山は言わずと知れた日本一高い山で標高は3776㍍。裾野面積も日本一で沖縄本島とほぼ等しい1200平方キロメートルに及ぶ。


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富士五湖は、西から本栖湖、小さいのが精進湖(しょうじこ)、西湖(さいこ)、河口湖、少し離れて山中湖。本栖湖から河口湖の北側が900万年前に日本列島に衝突して合体した御坂(みさか)山地になる。

本栖湖の南にある小さい湖が田貫湖本栖湖から西湖にかけての裾野が青木ヶ原の樹海。

◽富士山頂の南東に宝永火口がある。宝永山の標高は2693㍍。富士山の南東の裾野が御殿場になる。

◽富士山の南に愛鷹山(あしたかやま)がある。標高は1188㍍だが、連峰としての最高峰は北側の越前岳で、標高は1504㍍になる。

 

 

🔘富士山の成り立ち


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出典:日本火山学会第11回公開講座

 

🗻数十万年前には、現在の富士山の位置に小御岳(こみたけ)という火山があり、箱根火山や愛鷹山とともに活発に活動していたが、10万年前までには活動が沈静化した。

➡10万年前頃から古富士火山が火山活動を始め、スコリアと呼ばれる黒い軽石や火山灰、玄武岩溶岩などを大量に噴出した。

➡噴火のあと雨が降ると、噴出物を下流に押し流す泥流が発生する。この繰り返しによって泥流が下流に広がり、現在富士山のある一帯に広い扇状地ができた。

➡この時点で現在の富士山と似たような山容はできていたと考えられる。

関東ローム層には、この頃のスコリアや火山灰が堆積している。

 

🗻1万7000年前から、現在の富士「新富士」への移行期が始まる。この時期には、古富士とは異なる性質のマグマが流出した。溶岩を観察すると、黒っぽい地(石基)に長石の白っぽい大きな斑晶が多く含まれる麦飯石が見られる。(麦飯石は花崗斑岩や石英斑岩)

➡それ以降、1万1000年ほど前までは、古富士の爆発的な噴火と、新富士の溶岩をダラダラ流すような噴火が共存する時代が続いた。

➡この移行期終盤あたりでは時々、爆発的な噴火で軽石火砕流を出すような噴火「プリニアン噴火(プリニー式噴火)」があったことが分かっている。

➡大量に噴出された溶岩の一部は駿河湾まで到達した。武蔵野台地や相模原では、細かい火山灰が降ったので黒土(くろぼく)がよく発達して肥沃な土壌になった。

※黒土は関東ローム層の上層部にあたる。

 

🗻1万1000年前からの新富士の噴火活動で、新富士は現在のような円錐形の山容を形作った。

🐱ここで、2015年10月に3回にわたって放送された「ブラタモリ」の富士山シリーズを思い出した。縄文時代には、古富士の西側に新富士が並んでいたことになる。


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NHKブラタモリ #20富士山の美」より

※右が古富士で左が新富士

 

 


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富士山火口


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火口の底が八合目と同じ高さになるのだとか。

 
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NHKブラタモリ #21富士山頂」より

 

 

 

🗻縄文時代の終わりの約2900年前に、現在の御殿場にあたる富士山の東斜面(古富士)で噴火が発生し、それによって大きな山体崩壊が起きた。(古富士が崩壊した)

➡そのとき発生したのが第4章で取り上げられた御殿場泥流である。(前の記事参照)

 

🗻平安時代の864年 (貞観6) から866年 (貞観8) にかけて貞観大噴火があった。

 

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🐱ここで思い出されるのが、2016年10月15日放送の「ブラタモリ #50富士の樹海」です。 


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青木ヶ原樹海。方位磁石が狂いました。 


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この噴火で、溶岩流は富士山の北西山麓を広く覆い尽くし、北側にあった「剗の海(せのうみ)」の大半が埋没。残ったのが西湖と精進湖。溶岩流の跡(青木ヶ原溶岩)が森林として再生したのが青木ヶ原樹海で、周囲とは植生が異なる。


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貞観大噴火は大規模な割れ目噴火だった。


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NHKブラタモリ #50富士の樹海」

青木ヶ原溶岩を調べるタモリさん)

 

 

貞観大噴火の前には、800年 (延暦19) ~ 802年 (延暦21) にかけて「延暦大噴火」という大きな噴火があった。

※この他にも江戸時代までに10回以上の噴火の記録が残っている。

 


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噴火は山頂で起きるとは限らないという話でした。

 

 

🗻2017年現在、最も新しい噴火が1707年 (宝永4) の宝永大噴火である。この噴火の前には、プレート境界の大きな地震が相次いだ。

宝永大噴火は、第五代将軍綱吉 (1646-1709) の晩年にあたる。

◾1703年12月※グレゴリオ暦 (元禄16年11月※旧暦) 関東地方で元禄地震が発生。

➡1707年10月4日 (宝永4年10月28日) 九州から静岡までが震源南海トラフ震源)となる巨大地震、宝永地震が発生。各地に大きな被害をもたらした。

➡余震が続く中、49日後の12月16日 (11月23日) 宝永大噴火が起きた。大量のスコリアと火山灰が噴出、江戸市中にまで大量の火山灰を降下させた。

➡この噴火はプリニアン噴火で、御殿場では噴出物が2㍍も積もった。これは新富士が出来てから最大の噴火だった。

➡噴煙が上昇して空を覆うので、空が暗くなってしまい。江戸では、昼でも提灯を点けて歩かなければならなかったという。

新井白石の随筆『折りたく柴の記』によると、江戸にもはじめは雪のように白い灰が降り、やがて黒い灰が降り積もったことや、噴火の音や噴火にともなう雷の光が届いていたことが分かる。

 

◾御殿場周辺の農地はスコリアが厚く積もって埋もれてしまった。この地域を治めていた小田原藩主大久保忠増は自主復興を断念、領地は幕府直轄領となったが、長らく生産性は回復せず、80年後の天明の飢饉(浅間山の噴火が原因)を迎えることになった。

足柄平野の酒匂川には上流からスコリアが大量に流れてきたため川床が上昇、翌年の梅雨時には堤防が決壊し、大洪水が起きた。幕府は各藩に堤防の復旧工事を命じたが、作っては壊れ、作っては壊れを何十年も繰り返し、足柄平野地域全体が疲弊してしまった。

相模国足柄郡栢山村で生まれた二宮尊徳 (1787-1856) も幼少時に酒匂川の洪水で生家が被害を受け没落、苦労して家を再興した。



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画面下側が宝永火口。上から第一火口(大)、第二火口(中)、第三火口(小)。第一火口と第二火口の境界の右端のピークが宝永山。


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画面中央が宝永山。


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御殿場口から山頂を仰ぐ。


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NHKブラタモリ #20富士山の美」より


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姿を現した「古富士」


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東海道五十三次之内原」歌川広重

※原は現在の静岡県沼津市原。宝永山が描かれている。手前は愛鷹山

 

 

🗻富士山は宝永大噴火以降300年間噴火していない。これは富士山にしては長い休止期間なので、富士山はいつ噴火しても不思議はないと考えられている。

🌋あと30年以内には南海トラフ地震が起きると考えられるが、それに連動して富士山が噴火する可能性もあるという。

 

 

🔘富士山の地質学的背景

🗻火山は、プレートが沈み込んで深さ100kmに達した地点の真上にできるため、プレート境界の内側に帯状に火山が並ぶ火山フロントを形成する。フィリピン海プレートの下に太平洋プレートが沈み込むことでできた伊豆・小笠原弧の火山がこれにあたる。この北側の延長に富士山がある。

➡ところが、富士山は同時に、フィリピン海プレートが内陸側のユーラシアプレートに沈み込む場所でもある。プレートが沈み込んでいるまさに境界からマグマが出てくるという非常に珍しいことが起きているのだ。

 


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出典:静岡大学防災総合センター

フィリピン海プレートユーラシアプレートの境界に、太平洋プレートが沈み込むことで作られた火山フロントが交差する、世界的に稀な位置に富士山はある。

 


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出典:産総研:富士川河口断層帯の位置を陸・海で連続的(シームレス)に特定

※これは、南海トラフの延長上に富士山が位置しているということでもある。南海トラフ地震と富士山噴火の連動の可能性もある。

 

 
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🔘富士山が美しい理由

🗻普通の火山は、奥羽山脈北アルプスの火山のように、おもに山脈の上のような標高が高い場所にできるが、富士山の場合は、直下がプレートの沈みこみ帯になっているので高度が低いところにある。

➡しかも、周囲に高い山地がないために独立峰として自由に噴出物を出して、裾野を広げることができる。

➡さらに、富士山のマグマは玄武岩質のマグマで、高温で粘り気がないため、山の頂上から噴出すると滑らかに流れて非常にきれいな斜面をつくり、円錐形の美しい姿を形成する。

 

伊豆大島や三宅島、ハワイ島玄武岩質マグマで、このタイプは海に面した火山で見られる。

◽一方、箱根や多くの内陸型の火山の溶岩はほとんどが安山岩。(粘り気は中程度)

◽粘性の高い流紋岩質マグマは大爆発を起こしやすい。伊豆七島の中でも新島と神津島の火山は流紋岩質マグマを噴出する。

 

関東平野を覆う「関東ローム」と呼ばれる土壌は、主に玄武岩質の火山噴出物(スコリア)が堆積して風化したもの。鉄分が多いため、酸化して赤土になった。

武蔵野台地の地表部分に見られる黒土(クロボク)は、気候が温暖湿潤になった時期に降った火山灰の上に植物が生い茂り、黒色の腐植土になったもの。

 


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NHKブラタモリ #21富士山頂』より

 

 

 

2.日本アルプスと氷河

日本アルプスは、北アルプス飛騨山脈)、中央アルプス木曽山脈)、南アルプス赤石山脈)の総称。


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日本で二番目に高い山は、赤石山脈南アルプス)にある北岳で3193㍍ある。


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飛騨山脈北アルプス)にある槍ヶ岳は3180㍍。 

日本アルプスには他にも3000㍍級の山々が集っている。


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北アルプス飛騨山脈

 

 

🗻飛騨山脈木曽山脈では、最終氷期の最寒冷期だった2万年前頃と、それよりもさらに古い時期に氷河が拡大したとされる。

◽普通の川はV字型の谷を作るが、氷河はU字型の谷を作る。

◽氷河の浸食作用によって山脈付近に生じた広いすり鉢状または半円状の地形を「カール(圏谷)」と呼ぶ。

※カールは、ドイツ語の Kar から。英語、フランス語では、cirque という。英語の発音は[サーク]、フランス語の発音は[シルク]。[シルク]にはサーカスという意味もある。

◽また、氷河に含まれていた岩のかけらが集まってできた土手のように出っ張った地形を「モレーン(堆石)」と呼ぶ。

日本アルプスの2700㍍~2800㍍より高い山頂部に、このような氷河地形がいくつも残されている。

※北海道の日高山脈でも同様の地形が認められている。

 


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立山の山崎カール。手前はミクリガ池。

立山でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記


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※山崎カールは、日本で初めて確認されたカール。「山崎」は発見者の山崎直方にちなむ。


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中央アルプス木曽駒ヶ岳 (2956㍍)の南にある宝剣岳 (2931㍍) の千畳敷カール。

 

※実際のカールやモレーンは教科書のようには分かりやすくないので、素人には判別しにくい。

🔍堆積岩と地層

※山のことは山男に聞いた方が良いだろう。

🔍槍ヶ岳|北アルプス登山ルートガイド

 

 

 

🔘海外の氷河地形

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アラスカのモレーン(moraine)


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スイスのモルテラッチ氷河。縞になっている部分が土手状になったモレーン

モレーンは他に氷河の先端やカールの下部にも堤防状のモレーンができる。


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こちらはヒマラヤ山脈氷河地形

 

 

 

🔘氷期の日本列島は、海面の高さが120㍍ほど低かったため、瀬戸内海は陸地になっていたし、大陸から北海道までは陸続きになっていた。津軽海峡は完全には陸地になっていなかったと考えられる。対馬海峡もかなり幅が狭くなっていたと考えられる(前の記事の地図参照)。つまり、日本海はほとんど閉じ込められていたことになる。

➡これによって、暖流の対馬海流日本海に流れ込めなくなる。そうすると、日本海側の蒸発量が少なくなり、降雪量が少なくなる。

➡また、海水温も低かったため、台風や梅雨の影響も少なく、降水量も少なくなる。従って、日本列島は全体的に乾燥していたと考えられる。

氷期の日本列島の植物の分布は今とはかなり異なっていて、全体的に垂直方向に下がるとともに、水平方向にも南下していたと考えられる。

 


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立山連峰


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立山連峰剱岳 (2999㍍)


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剱岳に現存が認められた「三の窓氷河」

◾日本に現存する氷河は、立山山東面の御前沢氷河、劔岳の三ノ窓氷河と小窓氷河の3カ所。2009年~2011年の調査の結果、2012年4月に学術的に認められた。

🔍国内初の現存する「氷河」を立山連峰で発見!|立山の雪|とやま雪の文化|富山県

 


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こちらは、北アルプス梓川上高地、奥穂高

 

 


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🐱富士山は、やっぱり興味深いですね。

富士山が噴火をしないという理由はないとのことです。不謹慎かも知れませんが、見てみたいものです。

それと、日本にも氷河があるんです。このまま地球温暖化が進むとどうなるか分かりませんが。🐥

 

 


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次の記事へと続く