森の踏切番日記

ただのグダグダな日記です/2018年4月からはマイクラ日記をつけています/スマホでのんびりしたサバイバル生活をしています/面倒くさいことは基本しません

高知でブラタモリ(2/3)

ブラタモリ』#85高知(2/3)

~高知の町はなぜ龍馬を生んだ?


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🎵よさこい よさこい🎵

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🐢高知でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記の続き


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どうでしょう。


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1998年復元。


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ペギー葉山

じゃなくて


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よさこい➡夜さり来い➡夜にいらっしゃい

という意味だそうな。 


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せっかくなので歌ってみる?


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🎵坊さんかんざし買うを見た


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どうでしょう。


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タモリ「のど自慢にでようかな」


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近江ちゃん、歌の意味を知ってた。


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純信とお馬な。


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なんかたどたどしい。


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草彅「二人は駆け落ちするんですが」


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へえ。


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とっても余談。


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バスターミナルになっている。


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川に出た。


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近江「えっ、そんなに長い…」

高知下町浦戸湾風俗絵巻

長さ10㍍の絵巻には、江戸時代の高知の城下町と堀の様子が描かれている。 


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おきゃく🎵

皿鉢に献杯・返杯、しばてん音頭じゃき。

みたいな?


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川の結節点。すべての物資が集まってきた。

堀の先をさらにたどると、


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浦戸湾に出る。


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長宗我部さんのお城は、ここにあった。


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この人な。


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高知城辺りからは直接海を見ることができないけれども、


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こともある?


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タモリ「怪し~い!」


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きましたね!


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天然の良港です。


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この地形、どうやって出来たんでしょう。


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ステキな場所♥


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タモリ「お~ すごい浜ですね、ここは」

近江「すごいですね!」


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これにも理由があるんです、実は。


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緑色岩。


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また出た、チャート。


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近江ちゃん、うれしそう。


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そこまで覚えた。


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京都、秩父に続いて、今年三回目の登場だものね。


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こちらは、緑色頁岩。

陸からの火山灰が風で運ばれて海の底にたまったもの。


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黒色頁岩。


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草彅「海の底に積み重なった地層でした」


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高知沖の場合は、フィリピン海プレートです。

大陸プレートとの境界が南海トラフ

南海トラフは陸に近いため陸からの堆積物が多いので、水深約4000㍍と海溝よりも浅めです。


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付加体といいます。


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付加体は、陸から遠く離れた海域で堆積した細粒な深海底堆積物と、陸側から南海トラフに運ばれたやや祖粒な堆積物で構成されています。

沈み込みの際、新しい堆積物は古い堆積物の下に潜り込むような形になります。

その結果、古い堆積物はどんどん隆起していきます。

 


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さらに成長すると、東北地方の北上山地のように山地になります。

さらに成長すると、造山帯として、アンデス山脈やロッキー山脈のように山脈を作ります。


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高知の南部は、地質的に新しい「四万十帯」に属します。


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草彅「プレートの力なんです」

 


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秩父は、地質的により古い「秩父帯」に属していますが、石灰岩のでき方も同じ原理でした。


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#79秩父

 


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実験コーナー🎵


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マーガリンとバターナイフ。

地質学の先生は食品を使うのが好きやき。


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マーガリンが海洋プレートでバターナイフが高知のつもりやき。


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近江(マーガリンは食べられないなあ。パンはないのかなあ)


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グググググ


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おお~


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シワシワ。


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実験成功。今回は分かりやすかった。


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付加体は、成長することによって「外縁隆起帯」という盛り上がりを作ります。

この高まりの陸側には、沈み込む海洋プレートによって、上盤側(大陸プレート)が引きずられて少し沈降した「前弧海盆(深海平坦面)」が形成されます。

高知沖では、薄いピンク色の部分が前弧海盆で、土佐海盆といいます。

フィリピン海プレート南海トラフに対して斜めに沈み込んでいるので、外縁隆起帯が屈折しています。

その結果できた土佐海盆の形に沿って、高知県太平洋岸の湾曲が出来ているようです。

※『日本列島100万年史』山崎晴雄・久保純子著(講談社ブルーバックス)より

 

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比較的新しい地形なのでしょうね。


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徐々に盛り上がるので、川の出口が作られたのでしょうか。


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どうでしょう。


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無理矢理やなあ。


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もんぜよ。


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次の記事へと続く

 

 

 


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📄関連日記

🔘「ブラタモリ」ファンの必読書?~『日本列島100万年史』を読む(1) - 森の踏切番日記日本列島の成り立ち)

※付加体についてはこちらを御覧下さい。

🔘箱根火山のカルデラの成り立ち他 『日本列島100万年史』を読む(2)北海道・東北・関東 - 森の踏切番日記

🔘南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記

🔘近畿三角帯と阪神淡路大震災の話 『日本列島100万年史』を読む(4)近畿 - 森の踏切番日記

🔘南海トラフ大地震が起きるしくみ 『日本列島100万年史』を読む(5)中国・四国・九州 - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

 

高知でブラタモリ(1/3)

ブラタモリ』#85高知(1/3)

~高知の町はなぜ龍馬を生んだ?


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近江(銅像が桂浜にあるということは、龍馬さんは桂浜生まれ?)

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今回は高知に来ております。

有名な桂浜。


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近江ちゃんは高知生まれ。


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東京育ち。


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小学生の頃は夏休みに帰省すると真っ黒になるまで遊んでいたとか。

プロフィールで読んだ記憶がある。


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ダンモでビータ。


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知らね。


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近江「広いですね~」


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漂流して伊豆諸島の鳥島に流れ着いた人はおりましたなあ。


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ですよねえ。


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台座の高さが8.2m、像の高さは5.3mだそうな。確かにでかいな。


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長崎の風頭公園坂本龍馬像は、台座が1.5m、像が3.2m、総高4.7mだそうな。


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ちなみに、上野の西郷どんは像の高さが3.7mだそうな。

 


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坂本龍馬「ちょっと太ったかな~」

 


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短銃を仕込んでいるんじゃなかったっけ?

懐中時計だったかな。うろ覚え。


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今回のお題。


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今回の案内人。高知痕跡学会会長(会員1名)でもある。怪しげ~。


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このイメージで言ってないか?


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天保6年11月15日(西暦1836年1月3日)生まれ。

慶応3年11月15日(西暦1867年12月10日)没。

11月15日前後には、桂浜の龍馬像の横に展望台が設けられて、龍馬像の目線の高さで眺望を見晴らすことができるというイベントがありましたな。


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草彅「そして、幕府を倒す薩摩や長州の動きを後押ししました」


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タモリ「いう事ですか? テーマは」


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龍馬が日本を動かすことのできる英雄になったのは、江戸時代の高知の町づくりと、その町を成り立たせる地形が関係していると主張する案内人。


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近江ちゃん、半信半疑。


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草彅「今日は高知でブラタモリ!」


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桂浜から高知城へ移動。


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高知城天守から龍馬を生んだ城下町を確認。


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高知城は初代土佐藩主・山内一豊が築城。


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こいつか。仲間由紀恵は千代ね。2006年か。

龍馬伝は2010年か。


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天守から東側を見る。


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北側は間近に四国山地が。

四国山地の最高峰は愛媛県にある石鎚山で標高は1982㍍。近畿以西の西日本最高峰。

ちなみに、中国山地の最高峰は、兵庫県鳥取県の県境にある氷ノ山で標高は1510㍍。全体的に、中国山地よりも四国山地の方が高い。


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四国山地の南側と北側とでは、気候も風土も飲酒量も全然違うという話。


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西側を見る。


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そして、南側も山。


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桂浜は見えない。


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なぜか謝る。


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高知の城下町は山に取り囲まれた場所にある。


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坂本龍馬はどこで生まれた?


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近江ちゃん、興味なかった?


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上町一丁目


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関係がある?


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なんとかつなげていきたい?


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無理矢理かい!


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タモリさんが案内されたのは龍馬の生家とは反対側の商店街。


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帯屋町。壱番街。クジラが泳いどる。


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ダンモ(➡早稲田大学モダンジャズ研究会)のビータ(➡演奏旅行)で高知に来たことがあるけど記憶に残っていないタモリさん。


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なんと、案内人もダンモだったとは。

タモリさんの15年後輩だそうな。ということは、昭和35年生まれくらい?

近江ちゃんも早大出身だから、早大トリオだわ。


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商店街から脇道へ。


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居酒屋どん。


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図星?


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橋を埋め立てたため盛り上がっている。


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草彅「ここに堀があったんです」


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さらに歩いていくと、堀を埋め立てた跡が公園になっていた。


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幅十間。


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ほう。


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堀の内側は、山内一豊に従って土佐入りした掛川衆や山内衆出身の上士の居住地だった。


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外側は、長宗我部旧家臣や町人出身の下士(郷士)の居住地だった。


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上級武士が城の近くに屋敷を持つのは、自然と言えば自然。防御のために堀を作るのも自然と言えば自然。ただ、土佐の場合は上士と下士の間に複雑な感情があったようだ。


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つながる?


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坂本家の場合は、才谷屋という商家の分家で裕福な家庭だった。町人出身の郷士だった。


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かなり差別的だったそうな。


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幕末には、いろいろあったそうな。


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文久元年(1861)の井口村刃傷事件からの土佐勤皇党のことかな。

坂本龍馬25歳の時の事件でした。

土佐勤皇党(土佐勤王党)のほとんどは郷士や庄屋だったそうな。


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この前、浦島太郎が助けた亀はオスかメスかという今更なクイズを出された。


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ウミガメが陸に上がるのは産卵の時だけだものな。


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無理矢理ぽいなあ。


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次の記事へと続く

 

 

 

 

📄この記事の前

🔘高野山の町でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

🔘高野山の町でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記

🔘高野山の町でブラタモリ(3/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

大政奉還150周年記念~明治維新当時の洛中洛外図


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禁裏御守衛総督時代の徳川慶喜

 

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本日の京都新聞の朝刊の全面広告「大政奉還150周年記念特集」は、永久保存版にしたいので、ここに貼り付けておきます。



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大政奉還上意書(茨城県立歴史館蔵)

 

 

慶応3年10月14日(西暦1867年11月9日)徳川第15代将軍慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌日勅許された。

 


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大政奉還図(邨田丹陵画)

 


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離宮二条城二の丸御殿大広間

(出典:JAL - 世界遺産通:古都京都の文化財 Vol.1(2014年11月更新)(JAL旅プラスなび)

 


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徳川慶喜

 

 

明治維新当時の洛中洛外図


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大成京細見繪圖 洛中洛外町々小名/1868年

国際日本文化研究センター所蔵)

※上図は上が東、右が南になります。

 

 

地図を縦にしてみました。
以下の図は全て上が北で、右が東です。

 
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小さいので分割してみました。

※番号は、この広告のスポンサーさんの位置です。

 

西半分

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東半分

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まだまだ小さいので、主要部を拡大してみました。


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北野天満宮周辺。御土居は、一部現存。

 


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洛北。右上が比叡山下鴨神社の上に五山送り火の「妙法」があります。その左に「い」とあるのは、かつて市原にあった送り火です。明治の初めに廃止されました。その下の「ミソロ池」が深泥池です。洛外の位置関係はかなり大ざっぱ。

 


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洛北。上賀茂神社

 


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加茂川の東側。下鴨神社銀閣寺、如意ヶ嶽の大文字、永観堂南禅寺があります。尾州屋敷辺りが京大。

 


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禁裏御所周辺。相国寺の南に「薩州屋敷」とあります。(現同志社大学

④は、虎屋さん。室町時代後期創業の和菓子屋さん。寛永年間以前からこの地で商売をしたはります。

 


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二条城周辺。まえを流れるのは堀川。


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その南にある壬生寺(⑦)周辺。


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二条城、壬生寺から加茂川辺りまでの位置関係。

 


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①②の北に三条大橋三条通があります。その南が四条大橋四条通になります。左端の通りが寺町通

①は、酢屋。享保6年(1721)創業の材木商。6代目酢屋嘉兵衛は坂本龍馬の理解者で、二階が海援隊京都本部でした。

②は、後藤象二郎寓居。

その南に「土州」(土佐藩邸)とあります。(現旧立誠小学校)

③は、長州屋敷。(現京都ホテルオークラ)

 


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⑩⑪の南の通りは松原通。真っすぐ東へ行くと六道珍皇寺があります。

⑩は、上羽絵総さん。創業266年。日本最古の絵具屋さん。

ということは、伊藤若冲存命中に創業していることになります。

⑪は、あの高島屋さん。天保2年(1831)、烏丸松原で創業。

 


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赤印が四条烏丸の交差点になります。「長刀鉾丁」とあります。北に六角堂があります。左端が堀川です。

 


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二条城の東側。東西の通りは上から、丸太町通竹屋町通夷川通二条通押小路通御池通


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東西の通りが上から、姉小路通三条通六角通蛸薬師通錦小路通四条通綾小路通仏光寺通高辻通松原通万寿寺通五条通。(丸竹夷二押御池・姉三六角蛸錦四綾仏高松万五条)

四条通と交わる南北の大きな通りは、赤印のある烏丸通の西が、室町通新町通西洞院通油小路通堀川通東堀川通西堀川通)。烏丸通の東が、東洞院通高倉通堺町通柳馬場通富小路通、ふや丁通(麩屋町通)、御幸町通寺町通

 


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祇園社から清水寺辺りまで。

⑥は、霊山歴史館です。


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洛北。西賀茂から金閣寺辺り。


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嵯峨野。仁和寺、廣沢池、大覚寺、清涼寺、⑤は野宮神社です。


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嵐山から洛西。天龍寺、松尾社、西方寺。この辺りも位置関係は大ざっぱ。(この図に限り上が西)

 


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西本願寺東本願寺

東本願寺の南に東西に延びる御土居が、現京都駅ゼロ番ホーム(全長558㍍の日本一長いホーム)になった御土居です。

 


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洛南。東寺のすぐ下に淀川がある。洛外は省略が多い。⑨は、鳥羽伏見の戦いで敗走した幕府軍野戦病院となった長円寺です。左下が石清水八幡宮

 


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宇治川周辺。醍醐寺、隨心院、勧修寺があります。宇治川の下が平等院。位置関係は、かなり大ざっぱ。

 


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伏見周辺。東福寺伏見稲荷大社があります。⑧は、あの寺田屋さん。 


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寺田屋。慶応2年1月23日(西暦1866年3月9日)伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件があった。


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楢崎龍とされる写真。

寺田屋事件で負傷した坂本龍馬西郷隆盛のはからいで、お龍をともなって薩摩に湯治を兼ねて潜伏した。

 

 

 


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近江屋は土州(土佐藩邸)の西側にありました。「ナラヤ丁」とある左下、正覚寺の右側辺りにありました。近江屋は土佐藩御用達の醤油商でした。

 

近江屋事件

慶応3年11月15日(西暦1867年12月10日)近江屋井口新助邸において、坂本龍馬中岡慎太郎が暗殺された事件。実行犯は江戸幕府京都見廻組が有力とされるが、新撰組説など諸説あり。

 


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🔍近江屋跡・京都市中京区奈良屋町297(河原町通蛸薬師下ル塩屋町Google マップ

 

 


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昔の地図は興味深くて面白いです。

見ていて飽きません。

次の記事は「高知でブラタモリ

~高知の町はなぜ坂本龍馬を生んだ?

 

 

 

 

📄関連日記

京都・祇園でブラタモリ(1) ~祇園町南側どす - 森の踏切番日記

京都・祇園でブラタモリ(2) ~祇園さんどす - 森の踏切番日記

京都・祇園でブラタモリ(3) ~お豆腐さんと鴨川どす - 森の踏切番日記

京都・祇園でブラタモリ(4) ~祇園町北側どす - 森の踏切番日記

 

京都・清水寺でブラタモリ(1) ~清水の舞台から? - 森の踏切番日記

京都・清水寺でブラタモリ(2) ~音羽の瀧の? - 森の踏切番日記

京都・清水寺でブラタモリ(3) ~八坂の塔まで? - 森の踏切番日記

京都・清水寺でブラタモリ(4) ~地獄を? - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

南海トラフ大地震が起きるしくみ 『日本列島100万年史』を読む(5)中国・四国・九州

9月の読書録02ーーーーーーー

 

 
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🐱近畿三角帯と阪神淡路大震災の話 『日本列島100万年史』を読む(4)近畿 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

第7章 中国・四国


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中央構造線

 

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西南日本の地質構造

出典:大鹿村中央構造線博物館subindex03中央構造線ってなに?
 

 

1.西南日本と南海トラフ

◾西南日本の顕著な地質構造は、「中央構造線」と呼ばれる大構造線である。これは、地質が大きく異なる境界の断層線で、プレートの沈み込み境界である南海トラフの北側200~250キロメートルのところを、南海トラフと平行に東西方向に走っている。この構造線を境にして、海溝側(南側)は「西南日本外帯」、大陸側(北側)は「西南日本内帯」と呼ばれる。

南海トラフは、陸に近接しているため陸側からの物質の供給が多く、堆積物に埋められて浅くなっている。そのため、深さは海溝よりも浅い4000㍍級となっている。

フィリピン海プレートは四国に対して西北西に斜めに沈み込んでいるため、中央構造線より南の岩盤はそれに引きずられて西へ、北側の岩盤は相対的に東へ動く。そのため中央構造線は「横ずれ断層」(右横ずれ)として活動する。

(同じような断層にインドネシアスマトラ島スマトラ断層などがある)

 

◾西南日本外帯では、押しつけられた付加体の跡が、帯状の地質構造になったと考えられる。これらの地質帯を海洋プレート側から、「四万十帯」「秩父帯」「三波川(さんばがわ)帯」と呼ぶ。

◽四万十帯は、白亜紀末から第三紀(1億4500万年前~260万年前)の間に大陸の縁に作られた付加体である。

秩父帯は、ジュラ紀(2億年前~1億4500万年前)の間に作られた付加体である。

◽三波川帯は、古生代から中生代ジュラ紀(5億5000万年前~2億年前)の間に作られた付加体の堆積岩が、白亜紀に変成作用を受けてできた岩石(変成岩)で形成されている。

※堆積岩や火山岩が高温や高圧を受けて化学反応によりできる岩石を変成岩という。三波川帯は比較的低温で高圧を受けてできた。

 

◾一方、西南日本内帯では、中央構造線のすぐ北に「領家帯」がある。これは三波川帯と同様に変成岩でできているが、三波川帯とは異なり、白亜紀にマグマから作られた花崗岩が地下深くまで運ばれ、高温変成を受け、再び隆起して地表に現れたものである。

➡さらに北には、「美濃─丹波帯」「舞鶴帯」「秋吉帯」「三郡帯」「隠岐帯」など、三波川帯よりも古い、古生代から中生代の堆積岩や、それが変成されてできた変成岩からなる地質帯が分布する。

※恐竜などの中生代以前の古生物化石は、これらの地質帯の堆積岩中から発見される。

➡これらは、日本列島がまだユーラシア大陸の一部だったとき、その沖合で海洋プレートが沈み込むことで形成されたものである。

➡西南日本の南北地形断面を見てみると、中国山地よりも外帯山地の四国山地の方が高いことが分かる。

「ブラタモリ」ファンの必読書? 『日本列島100万年史』を読む(1)日本列島の成り立ち - 森の踏切番日記を参照のこと)

 


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プレート境界と地震の震央と震源の深さ

震源は、赤い方が浅く青い方が深い)

出典:地震本部地震調査研究推進本部

フィリピン海プレートは四国に対して西北西に斜めに沈み込んでいる

 


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過去に発生した南海トラフ地震

出典:地震本部地震調査研究推進本部

南海トラフは、土佐海盆から駿河湾までそれぞれ140km~180kmほどの5つの区間に分けられる。(プラス日向海盆で6区間

 

 

🔘南海トラフ地震が起きるしくみ

◾過去の南海トラフ地震の記録から、南海トラフのある区間地震が発生すると、隣接する区間でも連動して大地震が発生することが分かっている。

➡連動する際のタイムラグは、ほぼ同時の場合もあれば、1日後、1週間後、場合によっては数年後となることもある。

➡この時間差で隣接する区間に巨大地震が発生し、最終的に南海トラフ全体にわたって地震が起こる。

➡このような活動がおよそ100年ごとに繰り返されてきた。

1854年安政東海地震(熊野海盆~駿河湾までの区間が動いた)の翌日に安政南海地震(土佐海盆・室戸海盆の区間が動いた)が発生した。

※1944年の昭和東南海地震(熊野海盆・遠州海盆の区間が動いた)の時は、2年後の1946年に昭和南海地震(土佐海盆・室戸海盆の区間が動いた)が発生した。

 

◽将来、南海トラフマグニチュード8クラスの地震が起きるのは、2045年あたりになると考えられるが、発生間隔に大きなばらつきがあるために、早くなるかも知れないし遅くなるかも知れない。

 

🐱2011年3月11日は、夕方、ラジオのFM放送をつけるまで地震があったことに気がつかなかった。あんな地震が起きるとは思いもよらなかった。この日が金曜日だったことだけは、何故か今でも憶えている。

 

◾この東北地方太平洋沖地震東日本大震災)は、専門家にとっても想定外の地震だった。この大震災をきっかけに、次に来るかもしれない「南海トラフ地震」では、想定外をなくすために、マグニチュード9の地震が起きることを想定し、対策が進められている。

南海トラフ地震の被害が最大になるのは、南海トラフのすべての区間が同時に動いたケース。その場合に起きる超巨大地震を想定して、浸水域の想定拡大や避難対策、防潮堤のかさ上げなどさまざまな対策が講じられている。

 


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プレート境界地震による津波の発生


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プレート境界地震による津波のしくみ

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 


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東北地方太平洋沖地震における地殻変動(上下方向)

(出典地震本部・提供元国土地理院

※青色が濃いほど沈降の度合いが大きい。

◽太平洋側、上から八戸0.5、岩泉15.0、山田48.4、岩手川崎28.1、牡鹿107.6、相馬30.5、いわき35.5、北茨城44.4、銚子14.8(単位cm)の沈降となっている。

◽八戸の北から秋田県山形県を通る等量線が±0のラインで、八戸の北、東通が0.9cmの隆起の他、このラインの左側(日本海側)では、ごくわずかに隆起している地域がある。

 


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東北地方太平洋沖地震における地殻変動(水平方向)

(出典地震本部・提供元国土地理院

◽水平方向にも、震源地に向かって震源地に近いほど大きく移動している。牡鹿の541.9cmを最大に、秋田県山形県でも1㍍以上移動している。

 

 

🔘巨大地震による地殻変動

◽巨大地震発生時に起きる地殻変動による広範囲の海底の隆起や沈降は、津波の発生や、沿岸地域の土地の隆起・沈降という現象として認められる。(上図参照)

➡過去の南海トラフ地震でも沿岸地域が沈降したことが記録されている。太平洋側に突き出た室戸岬足摺岬では、逆に地盤が激しく隆起したことが分かっている。

➡この岬の隆起は、先端の隆起が最大で内陸に向かって沈降する「傾動」を示す。

➡巨大地震のない通常時には、逆に岬の先端ほど大きく沈降し、内陸ほど隆起する。

➡このことから、通常時はプレートの沈み込みに引きずられて岬の先端部は一緒に沈降し、地震時にはプレート境界断層の活動で、上盤側は切り離されて反発し隆起する地震発生モデルが考えられる。

➡巨大地震によって隆起する量は、通常時に沈降する量よりも大きいため、その差がだんだん累積して岬は長期的に隆起していく。室戸岬では、平均すると1000年に2㍍の速度でこの隆起が起きている。

 

 


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衛星写真(上が北東になる)

※瀬戸内海は東から、紀伊水道、大阪湾、播磨灘、備讃瀬戸、備後灘、燧灘(ひうちなだ=四国のへこんだ部分)、安芸灘、広島湾、伊予灘、周防灘、と区分される。 

 

 

2.瀬戸内海と中国地方

◾瀬戸内海は、水深が60㍍よりも浅い海域が大部分を占める。最終氷期で海水面が低かった2万年前には、完全に干上がって陸地となっていた。

➡この時期には、岡山と香川の間の備讃瀬戸付近を最上流として、東西に流れる河川が形成されていた。

 

◾瀬戸内海の特徴のひとつは、「灘」と呼ばれる比較的広い海域と、「瀬戸」と呼ばれる島が密集した狭い水域が、約50キロメートル間隔で交互に並んでいることである。

➡瀬戸内海が陸地だった時代には、灘は盆地や低地だったところで、瀬戸は川の上流などの高い土地、あるいは渓谷が発達した地域だった。

➡このような地形ができたのは、中央構造線の活動と関連していると考えられる。前述の通り中央構造線より南側の部分は西方に、北側の部分は東方に移動する「右横ずれ」が起きている。

➡この右横ずれにともない、中央構造線より北側の部分に雁行状のシワができた。このシワの盛り上がった部分が瀬戸に、くぼんだ部分が低地である灘になったと考えられる。

(指で腕をつねった感じ)

 

※本書には、この他に出雲平野の変遷などが紹介されている。

 


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断層の種類


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地震は断層運動により発生します

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 

 

第8章 九州

1.九州シラス台地

◾南九州に分布するシラス台地は、大半が鹿児島湾の姶良カルデラから約3万年前に噴出した入戸火砕流によって作られた。

➡南九州は広く火砕流に覆われ、同時に噴出した火山灰(姶良Tn火山灰)は、東は東北地方から太平洋沖に、北は朝鮮半島にまで飛散した。

姶良Tn火山灰の火山灰層は、九州南部や高知県西部で50cm以上、近畿地方で20~40cmになる。

➡シラス台地は、比較的新しい地形なので浸食がまだそれほど進んでいない。シラス自体浸食されにくい地形であることと二次堆積物によって、平坦面が広く残っている。

 

 
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姶良カルデラ

※若尊カルデラなど複数のカルデラが複合したものと考えられる。

※約2万6000年前に桜島火山が誕生した。

(参考:姶良カルデラ - Wikipedia) 


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桜島


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NHKブラタモリ #50富士の樹海」より

 

 

🌋巨大火砕流をともなうような巨大噴火は、軽石の激しい噴出をともなうプリニアン噴火(プリニー式噴火)で始まることが多い。

➡マグマは爆発性の高い流紋岩質マグマで、ガスと軽石、火山灰の混じった噴出物は柱のように上空に上がっていき「噴煙柱」となる。

➡周辺の空気より高温なので、浮力を得てどんどん上昇する。

➡数千メートルまで上昇すると均衡状態になり留まるが、偏西風に乗って噴出物は東方へ流される。

➡その過程で、噴出物の降下が起こる。軽石な岩片など重いものは火口近くに厚く、火口を離れるにつれて小さく軽いものが薄く積もる。

➡この状態で噴出が弱まると、噴煙柱はどんどん縮小し、比較的小規模な軽石噴火で終息するが、噴煙柱が大きくなりすぎると、自重に耐えきれずに噴煙柱は倒壊もしくは崩壊してしまう。

➡すると噴煙柱を構成していた火山灰や軽石、岩片が地表を高速で流れる。これが、シラスを噴出する巨大火砕流なのである。

➡これにともなって、「火道」(マグマの通り道)の下からの圧力が開放され、マグマが大量に一気に噴き出し、火山の周囲に流れ広がっていく。

(炭酸飲料のペットボトルをよく振って蓋を開けた感じ)


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こんな感じw

 

※1991年の雲仙普賢岳噴火の際の火砕流は、溶岩ドームの一部が崩落して砕けたもの(溶岩崩落型)で、「熱雲」とも呼ばれる。

 

🌋巨大火砕流が発生すると、地下のマグマはほとんど放出されてマグマ溜まりに空洞ができる。

➡上部の岩盤がその重みで崩落。

➡地表にはカルデラと呼ばれる凹地ができる。

※大きな火口も同様のメカニズムでできる。直径が2km以上のものがカルデラ、それ以下のものは火口と区別しているだけ。

 


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カルデラ完成!!


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NHKブラタモリ #81十和田湖奥入瀬」より

 


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南九州の火山とカルデラの分布

 

 

🌋南九州には、更新世の中期(78万年前)以降にこのようなカルデラが多数形成された。

➡鹿児島の錦江湾は、姶良や阿多北などのカルデラの並びに海水が浸水したものである。カルデラ底の深さは、最深で水深200㍍ほど。カルデラ間は水深100㍍よりも浅くなるところがある。2万年前の最終氷期最盛期には海面が今より120㍍ほど低かったので、当時はカルデラ湖が南北に連なっていたかもしれない。

 

◽霧島、桜島、池田カルデラ開聞岳などの活火山は、いずれもカルデラの縁あたりに形成されている。これらの活火山はカルデラ形成後の中央火口丘とされており、火山の一生の最終段階にあるという。

 

◽地球では、海洋プレートが作り出され沈み込むことによって、常に地殻変動が起きている。この地殻変動によって火山活動が活発化し火砕流活動が集中して発生したり、沈静化したりするのではないかと考えられている。

 

🌋薩摩半島の南約50キロメートルにある薩摩硫黄島は、深さ400㍍の海中にある巨大な鬼界カルデラの一部で、縄文時代前半の7300年前に起きたカルデラ噴火で形成された。

➡海の中から噴出した数百℃の火砕流海上を時速100キロメートル以上の高速で渡り、南九州地域一帯を襲った。

➡この巨大噴火で、南九州に住んでいた縄文人はほぼ全滅したと考えられる。

➡それ以降日本列島では、このような巨大噴火は一度も起きていない。我々にとって未知の災害といえる。

➡このような巨大火砕流をともなう巨大噴火は防災の対象になっていない。被害が壊滅的で防ぎようがないからである。

 

自然には、まだ人類の力では対応できないものがたくさんあることを知っておくべきでしょう。

 


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1984年のマヨン山(フィリピン・ルソン島)の火砕流。噴煙は上空1万5000㍍まで上がった。
 

 


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🐱感想

地形は、長い時間をかけてゆっくりと変わりゆくものだけれど、時には一瞬で変わってしまうこともあります。

人間とはスケールが違うので、我々は大地は変わらないものだと、つい思い込んでしまうものです。

地球のスケールの大きさに比べたら人間の営みなどはささやかなものだ、という当たり前のことを改めて感じました。

人の一生は100円にもなりませんからねえ。

 


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近畿三角帯と阪神淡路大震災の話 『日本列島100万年史』を読む(4)近畿

9月の読書録02ーーーーーーー

 

 
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🐱南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

西南日本の成り立ち

🔘東北日本では地質構造が南北に延びているのに対して、西南日本では地質構造は東西に延びている。西南日本の成り立ちは、だいたい次のようになる。

(東北日本については箱根火山のカルデラの成り立ち他 『日本列島100万年史』を読む(2)北海道・東北・関東 - 森の踏切番日記を参照のこと)

 

◾2億5000万年前(中生代)以降から、ユーラシア大陸の端でプレートの沈みこみの場であったところに付加体が順次形成されて高まりとなった。

➡さらに、海底火山の噴火などの火成活動で花崗岩が形成されて高まりは陸地となり、西南日本の土台が形作られた。

➡1900万年前頃(新第三紀)に日本海が開き始めたことで日本列島はユーラシア大陸から分離、太平洋へ向かって移動。

➡1500万年前頃に現在の位置に到達。このとき、列島の西部は時計回りに回転、東部は反時計回りに回転した。その際、東西の境で折れ目になった部分が引っ張られて落ち込み、フォッサマグナ大地溝帯)になった。

「ブラタモリ」ファンの必読書? 『日本列島100万年史』を読む(1)日本列島の成り立ち - 森の踏切番日記を参照のこと)

➡西南日本は、約600万年前頃(中新世の末)から隆起運動を受け始める。隆起量や浸食量が、中部山脈地帯に比べて相対的に小さく、それ以前の中新世の安定した時期に作られた平坦面である準平原の遺物が広く残っていたため、比較的なだらかな地形が作り出された。

 

 

第6章 近畿


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1.近畿三角帯──京阪神と中京の地形

🔘近畿三角帯は若狭湾東部の敦賀付近を頂点として、淡路島とを結ぶ左辺と、伊勢湾とを結ぶ右辺、紀伊半島北部を東西に走る中央構造線を底辺とする三角形(上図赤線)のことである。

➡この中には、東海湖盆、古琵琶湖湖盆、大阪湖盆(大阪堆積盆地)という、それぞれ南北方向に細長く延びる三つの大きな堆積盆地が東西に並んでいる。

➡湖盆と呼ぶのは、これらの盆地には湖に堆積した砂や泥がたまっていて、海に堆積した地層が存在しないからである。

➡東の東海湖盆が最も古く、およそ600万年前(中新世末~鮮新世)に形成が始まり、古琵琶湖湖盆、大阪湖盆の順で形成されたが、互いに独立していて、つながることはなかった。

➡いずれも内陸の淡水湖だったが、約130万年前頃に四国紀伊半島間に紀伊水道ができて、海水準の高い時代には大阪堆積盆地に海水が入るようになり、海成堆積物と陸成堆積物とが交互に堆積するようになった。

 

🔘近畿三角帯には、南北に走る鈴鹿山脈や金剛・生駒山地、東西に走る和泉山脈、北東~南西方向に延びる比良山地六甲山地、北西~南東方向に続く養老山地や伊吹山地など、比較的小規模な山地が存在し、地形境界になっている。

➡これらの山地の両側の麓には活断層が存在し、両側から押されて隆起したり(地塁)、一方の断層のみが動いて土地が隆起し(傾動)、山地ができたと考えられる。

➡これらの隆起が始まった時期(活断層の活動開始時期)は新しく、多くの山地でおよそ50万年前(中期更新世前半)からで、これを「六甲変動」と呼ぶ。

 


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近畿地方の地形

(出典:2015年11月24日(火):第7回Nature Salon 「電力屋が見た自然保護」 - 兵庫県自然保護協会

 


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近畿地方活断層

(出典:都道府県ごとの地震活動 | 地震本部

 


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地塁(両側から押されて隆起した地形)

NHKブラタモリ #36京都・嵐山」の画像より

 

 

🔘東海湖盆は、伊勢湾西岸地域や濃尾平野~東濃・三河高原の地域にかつて存在していた。湖は東部の知多半島あたりから始まり、濃尾平野一帯へ広がった。東側から堆積が始まり西へ移動しながら縮小、伊勢湾西岸の養老山地と鈴鹿山脈にはさまれる北勢地域で約100万年前まで存在したのを最後に消滅した。

濃尾平野地殻変動は西側が沈降して東側が隆起する傾動運動で、「濃尾傾動地殻運動」と呼ばれる。約300万年前頃から沈降が始まり、約90万年前頃(前期更新世末)から沈降運動がいっそう活発化した。

➡12万年前の最終間氷期の海水準が高かった時代に濃尾平野に海水が侵入、熱田層という海成層を堆積させた。これが少し隆起して段丘となったところが現在の熱田台地である。

➡伊勢湾は水深が浅く、最深部でも水深39㍍しかないので、最終氷期には干上がって陸地になった。伊良湖水道(最深部110㍍)は、最終氷期に河川によって浸食されてできた渓谷が海底谷になったものだと考えられている。

 


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濃尾傾動地殻運動の模式図


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熱田台地

NHKブラタモリ #76名古屋・熱田」の画像より

 

 

🔘古琵琶湖湖盆は東海湖盆より少し遅れて、

約500万年前~400万年前頃、現在の上野盆地周辺から始まった。

◾断層活動で小さな盆地がいくつもできて低いところに水がたまり、大山田湖ができた(400万年前~320万年前)。このころは、亜熱帯性気候だった。

➡300万年前頃、再び阿山湖という湖ができて北(甲賀方面)へ広がった。浅い湖で、270万年前頃には北から埋まっている。

➡その頃、やや北に甲賀湖が出来た。安定した湖で、20万年ほど続いた。

➡250万年~180万年前頃、湖南から湖東地域にかけて蒲生沼沢地群が形成されたが、不安定な湖沼・湿地だった。

※沈降地域が北へ移動するにともない堆積盆地が移動、さらにそれを覆って扇状地が発達して湖盆の堆積は終わる。

➡100万年ほど前、今の琵琶湖を中心とした近江盆地が沈降地域になり、堅田丘陵あたり(大津市北部)に小さな湖ができる。これが現在の琵琶湖南湖になる。

➡40万年前頃、湖西の山地に沿った断層活動が活発化する。比良山地が盛り上がると同時に琵琶湖部分が沈降し始める。

➡30万年前頃には、今のような広くて深い琵琶湖ができた。

 


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琵琶湖湖底図

※琵琶湖の総面積は699平方キロメートル。周囲は241キロメートル。琵琶湖は北西部の方が深く、最大水深は103㍍。平均水深41㍍(南湖は4㍍)。

 

 

🔘大阪湖盆は、大阪湾から大阪平野周辺、京都盆地奈良盆地に広がる。

◾約300万年前(鮮新世末)頃に淡路島の東側の大阪湾で沈降運動が始まり、河成・湖成の地層が堆積した。やがて、堆積域は東や北に広がり京都盆地奈良盆地にも堆積した。

※大阪湖盆も内陸の堆積盆地だった。古琵琶湖湖盆とはつながっていなかった。

➡約130万年前に紀伊水道紀淡海峡が形成されて大阪湖盆に海が入ってきた。高海面期には、京都付近まで海が侵入した。

※その後、扇状地の拡大によって、京都に海が入ってくることはなくなった。

➡以後、海水準の変化にともない、海になったり、陸になったりしたので、海成層と陸成層が交互に堆積した。

鮮新世以降のこれらの堆積層を大阪層群と呼ぶ。

 

※縄文海進の時期には、上町台地生駒山地の間に河内湾が形成されて上町台地は岬のようになっていた。淀川と大和川(当時は北上していた)の流入により三角州が形成された。

弥生時代後期~古墳時代には上町台地から北方に砂州が発達し湾口がほぼ塞がれ、淡水化して河内湖となった。

➡淀川と大和川からの堆積物により、河内湖は次第に縮小していった。1704年の大和川の付け替え工事後、新田開発が進むと完全に陸地化した。

(参考:河内湖 - Wikipedia

 


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5500年前の大阪周辺


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NHKブラタモリ #53大阪」の画像より

 

 

🔘六甲変動とは、およそ50万万年前(更新世中期)から地殻の東西方向の広域圧縮が強まって、南北方向の逆断層や東西方向の横ずれ断層の活動が活発化した地殻運動のこと。

➡断層運動は、三つの堆積盆地の縁だけでなく、堆積盆地の中にも発生し、湖盆の堆積物を変位する傾動地塊が現れてきた。京都・奈良付近の河川の出口が狭められて、明瞭な盆地となった。

◽例えば、奈良盆地の場合、西側の縁は中央構造線から北に湾曲した金剛断層(20)や、生駒断層(15)によって東方に傾動隆起した生駒山のブロックによって、大阪湾に注ぐ大和川の出口が狭められ、盆地化した。(20と15は上の近畿地方の断層マップの断層の番号)

◽傾動地塊は、断層運動によって一方向に傾斜している地塊のこと。生駒山地は、大阪側が断層になっていて、奈良側の傾斜が緩やか。生駒山の標高は642㍍。六甲山地も傾動地塊。

 

 

2.神戸と兵庫県南部地震

六甲山地の最高峰・六甲山の標高は931㍍で、神戸の街に面した南東側斜面は急な崖になっている。この崖は断層がずれてできたものである。

➡断層が動くと地形的にずれが生じる。それが削られずに残っていれば、次の地震で同じ方向にずれが重なり、次第に崖などができていく。たとえば、六甲山もこのようにして何度もずれを重ねた断層によって、今の高さまで持ち上がった。

 

🐱1995年1月17日は、前の夜からなぜか眠れなくて、テレビの深夜放送を見て、それでも眠れなくて、仕方がないのでミック・ジャガーの日本公演のビデオを久しぶりに見ていたら、明け方に大きな揺れがきた。 あれから22年になるとは、月日が経つのは早いものだ。

 

◾その兵庫県南部地震阪神淡路大震災)は、六甲山の麓から明石海峡を渡って淡路島の北西岸に延びる全長71キロメートルの活断層「六甲─淡路断層系」の活動で引き起こされた直下型地震だった。前回のずれは2000年前だった。

➡最初に断層がずれ始めた場所、つまり震源明石海峡の下だったが、そこから北東と南西の方向に3本の断層が次々連動しながら「断層変位(断層のずれ)」を起こし、強い揺れが発生した。この間わずか10秒から20秒の出来事だった。

地表に顕著な断層変位が現れたのは、淡路島の北部に全長10キロメートル以上にわたって現れた野島断層である。このように地表に断層変位が見られる断層を「地震断層」と呼ぶ。

➡ところが、大きな被害のあった神戸の市街地には、このような地震断層は出現しなかった。地殻の変動がほとんど見られなかった神戸の街で大きな揺れが発生したのはなぜなのか?

 


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震央(×)と震源域(黄色)と野島断層(青線)

出典:File:Map of Great Hanshin Awaji Earthquake Ja.png - Wikimedia Commons

 


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震災の帯

出典:地震本部地震調査研究推進本部

 

 

◾上の地図の赤い領域は、震度7の揺れを受けた地域で細長く延びているので「震災の帯」と呼ばれている。通常は地盤の弱いところに出現するのだが、神戸の場合は扇状地になっているので、地盤は決して弱くない。

➡では何故震災の帯が出現したかというと、次のような理由があることがわかった

➡神戸市の地下には、六甲山を作っている花崗岩の基盤と、その上に大阪層群と呼ばれる堆積層の2種類の地層が存在する。

➡一般に波は、軟らかい物質中よりも硬い物質中の方が速く伝わる。地震波も波なので同様の性質を持つ。

花崗岩の方が大阪層群よりも硬いため、地震波は下層の硬い花崗岩では速く伝わり、大阪層群では遅くなる。

➡そうすると、光が異なる媒質の境界面で屈折するように、硬い基盤を伝わってきた地震波も軟らかい堆積層との境で屈折する。

花崗岩の基盤は海側に向かって傾斜しているので、入射位置によって入射角・屈折角が異なる。そのため、凸レンズで太陽光が集められるように、ある地点に揺れが集まる現象が起こる。

➡また、市街地と六甲山地の境には断層が地下まで続いているので、断層で縦方向に基盤と堆積層の境界があり、六甲山側の基盤を伝わってきた地震波が堆積層に入り地表を伝わる表面波となった。

➡こうした地震波の干渉と増幅を「焦点効果」と呼ぶ。そのまさに焦点にあたるところが強い揺れのゾーンである「震災の帯」となったのである。


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2015年の「NHKスペシャル」の画像より。

※基盤から堆積層への地震波は、これだけではなく、入射位置の異なる地震波が屈折して震災の帯に集中した。

 

 

 


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🐱次の記事へと続く

 

 

 

 

 

南海トラフ地震で富士山が噴火? 『日本列島100万年史』を読む(3)中部

9月の読書録02ーーーーーーー

 


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🐱箱根火山のカルデラの成り立ち他 『日本列島100万年史』を読む(2)北海道・東北・関東 - 森の踏切番日記の続き

 

 

 

第5章 中部

 

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富嶽三十六景凱風快晴」葛飾北斎

 

1.富士山はどうして美しいのか


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🗻富士山は言わずと知れた日本一高い山で標高は3776㍍。裾野面積も日本一で沖縄本島とほぼ等しい1200平方キロメートルに及ぶ。


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富士五湖は、西から本栖湖、小さいのが精進湖(しょうじこ)、西湖(さいこ)、河口湖、少し離れて山中湖。本栖湖から河口湖の北側が900万年前に日本列島に衝突して合体した御坂(みさか)山地になる。

本栖湖の南にある小さい湖が田貫湖本栖湖から西湖にかけての裾野が青木ヶ原の樹海。

◽富士山頂の南東に宝永火口がある。宝永山の標高は2693㍍。富士山の南東の裾野が御殿場になる。

◽富士山の南に愛鷹山(あしたかやま)がある。標高は1188㍍だが、連峰としての最高峰は北側の越前岳で、標高は1504㍍になる。

 

 

🔘富士山の成り立ち


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出典:日本火山学会第11回公開講座

 

🗻数十万年前には、現在の富士山の位置に小御岳(こみたけ)という火山があり、箱根火山や愛鷹山とともに活発に活動していたが、10万年前までには活動が沈静化した。

➡10万年前頃から古富士火山が火山活動を始め、スコリアと呼ばれる黒い軽石や火山灰、玄武岩溶岩などを大量に噴出した。

➡噴火のあと雨が降ると、噴出物を下流に押し流す泥流が発生する。この繰り返しによって泥流が下流に広がり、現在富士山のある一帯に広い扇状地ができた。

➡この時点で現在の富士山と似たような山容はできていたと考えられる。

関東ローム層には、この頃のスコリアや火山灰が堆積している。

 

🗻1万7000年前から、現在の富士「新富士」への移行期が始まる。この時期には、古富士とは異なる性質のマグマが流出した。溶岩を観察すると、黒っぽい地(石基)に長石の白っぽい大きな斑晶が多く含まれる麦飯石が見られる。(麦飯石は花崗斑岩や石英斑岩)

➡それ以降、1万1000年ほど前までは、古富士の爆発的な噴火と、新富士の溶岩をダラダラ流すような噴火が共存する時代が続いた。

➡この移行期終盤あたりでは時々、爆発的な噴火で軽石火砕流を出すような噴火「プリニアン噴火(プリニー式噴火)」があったことが分かっている。

➡大量に噴出された溶岩の一部は駿河湾まで到達した。武蔵野台地や相模原では、細かい火山灰が降ったので黒土(くろぼく)がよく発達して肥沃な土壌になった。

※黒土は関東ローム層の上層部にあたる。

 

🗻1万1000年前からの新富士の噴火活動で、新富士は現在のような円錐形の山容を形作った。

🐱ここで、2015年10月に3回にわたって放送された「ブラタモリ」の富士山シリーズを思い出した。縄文時代には、古富士の西側に新富士が並んでいたことになる。


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NHKブラタモリ #20富士山の美」より

※右が古富士で左が新富士

 

 


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富士山火口


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火口の底が八合目と同じ高さになるのだとか。

 
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NHKブラタモリ #21富士山頂」より

 

 

 

🗻縄文時代の終わりの約2900年前に、現在の御殿場にあたる富士山の東斜面(古富士)で噴火が発生し、それによって大きな山体崩壊が起きた。(古富士が崩壊した)

➡そのとき発生したのが第4章で取り上げられた御殿場泥流である。(前の記事参照)

 

🗻平安時代の864年 (貞観6) から866年 (貞観8) にかけて貞観大噴火があった。

 

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🐱ここで思い出されるのが、2016年10月15日放送の「ブラタモリ #50富士の樹海」です。 


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青木ヶ原樹海。方位磁石が狂いました。 


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この噴火で、溶岩流は富士山の北西山麓を広く覆い尽くし、北側にあった「剗の海(せのうみ)」の大半が埋没。残ったのが西湖と精進湖。溶岩流の跡(青木ヶ原溶岩)が森林として再生したのが青木ヶ原樹海で、周囲とは植生が異なる。


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貞観大噴火は大規模な割れ目噴火だった。


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NHKブラタモリ #50富士の樹海」

青木ヶ原溶岩を調べるタモリさん)

 

 

貞観大噴火の前には、800年 (延暦19) ~ 802年 (延暦21) にかけて「延暦大噴火」という大きな噴火があった。

※この他にも江戸時代までに10回以上の噴火の記録が残っている。

 


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噴火は山頂で起きるとは限らないという話でした。

 

 

🗻2017年現在、最も新しい噴火が1707年 (宝永4) の宝永大噴火である。この噴火の前には、プレート境界の大きな地震が相次いだ。

宝永大噴火は、第五代将軍綱吉 (1646-1709) の晩年にあたる。

◾1703年12月※グレゴリオ暦 (元禄16年11月※旧暦) 関東地方で元禄地震が発生。

➡1707年10月4日 (宝永4年10月28日) 九州から静岡までが震源南海トラフ震源)となる巨大地震、宝永地震が発生。各地に大きな被害をもたらした。

➡余震が続く中、49日後の12月16日 (11月23日) 宝永大噴火が起きた。大量のスコリアと火山灰が噴出、江戸市中にまで大量の火山灰を降下させた。

➡この噴火はプリニアン噴火で、御殿場では噴出物が2㍍も積もった。これは新富士が出来てから最大の噴火だった。

➡噴煙が上昇して空を覆うので、空が暗くなってしまい。江戸では、昼でも提灯を点けて歩かなければならなかったという。

新井白石の随筆『折りたく柴の記』によると、江戸にもはじめは雪のように白い灰が降り、やがて黒い灰が降り積もったことや、噴火の音や噴火にともなう雷の光が届いていたことが分かる。

 

◾御殿場周辺の農地はスコリアが厚く積もって埋もれてしまった。この地域を治めていた小田原藩主大久保忠増は自主復興を断念、領地は幕府直轄領となったが、長らく生産性は回復せず、80年後の天明の飢饉(浅間山の噴火が原因)を迎えることになった。

足柄平野の酒匂川には上流からスコリアが大量に流れてきたため川床が上昇、翌年の梅雨時には堤防が決壊し、大洪水が起きた。幕府は各藩に堤防の復旧工事を命じたが、作っては壊れ、作っては壊れを何十年も繰り返し、足柄平野地域全体が疲弊してしまった。

相模国足柄郡栢山村で生まれた二宮尊徳 (1787-1856) も幼少時に酒匂川の洪水で生家が被害を受け没落、苦労して家を再興した。



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画面下側が宝永火口。上から第一火口(大)、第二火口(中)、第三火口(小)。第一火口と第二火口の境界の右端のピークが宝永山。


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画面中央が宝永山。


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御殿場口から山頂を仰ぐ。


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NHKブラタモリ #20富士山の美」より


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姿を現した「古富士」


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東海道五十三次之内原」歌川広重

※原は現在の静岡県沼津市原。宝永山が描かれている。手前は愛鷹山

 

 

🗻富士山は宝永大噴火以降300年間噴火していない。これは富士山にしては長い休止期間なので、富士山はいつ噴火しても不思議はないと考えられている。

🌋あと30年以内には南海トラフ地震が起きると考えられるが、それに連動して富士山が噴火する可能性もあるという。

 

 

🔘富士山の地質学的背景

🗻火山は、プレートが沈み込んで深さ100kmに達した地点の真上にできるため、プレート境界の内側に帯状に火山が並ぶ火山フロントを形成する。フィリピン海プレートの下に太平洋プレートが沈み込むことでできた伊豆・小笠原弧の火山がこれにあたる。この北側の延長に富士山がある。

➡ところが、富士山は同時に、フィリピン海プレートが内陸側のユーラシアプレートに沈み込む場所でもある。プレートが沈み込んでいるまさに境界からマグマが出てくるという非常に珍しいことが起きているのだ。

 


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出典:静岡大学防災総合センター

フィリピン海プレートユーラシアプレートの境界に、太平洋プレートが沈み込むことで作られた火山フロントが交差する、世界的に稀な位置に富士山はある。

 


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出典:産総研:富士川河口断層帯の位置を陸・海で連続的(シームレス)に特定

※これは、南海トラフの延長上に富士山が位置しているということでもある。南海トラフ地震と富士山噴火の連動の可能性もある。

 

 
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🔘富士山が美しい理由

🗻普通の火山は、奥羽山脈北アルプスの火山のように、おもに山脈の上のような標高が高い場所にできるが、富士山の場合は、直下がプレートの沈みこみ帯になっているので高度が低いところにある。

➡しかも、周囲に高い山地がないために独立峰として自由に噴出物を出して、裾野を広げることができる。

➡さらに、富士山のマグマは玄武岩質のマグマで、高温で粘り気がないため、山の頂上から噴出すると滑らかに流れて非常にきれいな斜面をつくり、円錐形の美しい姿を形成する。

 

伊豆大島や三宅島、ハワイ島玄武岩質マグマで、このタイプは海に面した火山で見られる。

◽一方、箱根や多くの内陸型の火山の溶岩はほとんどが安山岩。(粘り気は中程度)

◽粘性の高い流紋岩質マグマは大爆発を起こしやすい。伊豆七島の中でも新島と神津島の火山は流紋岩質マグマを噴出する。

 

関東平野を覆う「関東ローム」と呼ばれる土壌は、主に玄武岩質の火山噴出物(スコリア)が堆積して風化したもの。鉄分が多いため、酸化して赤土になった。

武蔵野台地の地表部分に見られる黒土(クロボク)は、気候が温暖湿潤になった時期に降った火山灰の上に植物が生い茂り、黒色の腐植土になったもの。

 


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NHKブラタモリ #21富士山頂』より

 

 

 

2.日本アルプスと氷河

日本アルプスは、北アルプス飛騨山脈)、中央アルプス木曽山脈)、南アルプス赤石山脈)の総称。


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日本で二番目に高い山は、赤石山脈南アルプス)にある北岳で3193㍍ある。


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飛騨山脈北アルプス)にある槍ヶ岳は3180㍍。 

日本アルプスには他にも3000㍍級の山々が集っている。


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北アルプス飛騨山脈

 

 

🗻飛騨山脈木曽山脈では、最終氷期の最寒冷期だった2万年前頃と、それよりもさらに古い時期に氷河が拡大したとされる。

◽普通の川はV字型の谷を作るが、氷河はU字型の谷を作る。

◽氷河の浸食作用によって山脈付近に生じた広いすり鉢状または半円状の地形を「カール(圏谷)」と呼ぶ。

※カールは、ドイツ語の Kar から。英語、フランス語では、cirque という。英語の発音は[サーク]、フランス語の発音は[シルク]。[シルク]にはサーカスという意味もある。

◽また、氷河に含まれていた岩のかけらが集まってできた土手のように出っ張った地形を「モレーン(堆石)」と呼ぶ。

日本アルプスの2700㍍~2800㍍より高い山頂部に、このような氷河地形がいくつも残されている。

※北海道の日高山脈でも同様の地形が認められている。

 


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立山の山崎カール。手前はミクリガ池。

立山でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記


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※山崎カールは、日本で初めて確認されたカール。「山崎」は発見者の山崎直方にちなむ。


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中央アルプス木曽駒ヶ岳 (2956㍍)の南にある宝剣岳 (2931㍍) の千畳敷カール。

 

※実際のカールやモレーンは教科書のようには分かりやすくないので、素人には判別しにくい。

🔍堆積岩と地層

※山のことは山男に聞いた方が良いだろう。

🔍槍ヶ岳|北アルプス登山ルートガイド

 

 

 

🔘海外の氷河地形

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アラスカのモレーン(moraine)


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スイスのモルテラッチ氷河。縞になっている部分が土手状になったモレーン

モレーンは他に氷河の先端やカールの下部にも堤防状のモレーンができる。


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こちらはヒマラヤ山脈氷河地形

 

 

 

🔘氷期の日本列島は、海面の高さが120㍍ほど低かったため、瀬戸内海は陸地になっていたし、大陸から北海道までは陸続きになっていた。津軽海峡は完全には陸地になっていなかったと考えられる。対馬海峡もかなり幅が狭くなっていたと考えられる(前の記事の地図参照)。つまり、日本海はほとんど閉じ込められていたことになる。

➡これによって、暖流の対馬海流日本海に流れ込めなくなる。そうすると、日本海側の蒸発量が少なくなり、降雪量が少なくなる。

➡また、海水温も低かったため、台風や梅雨の影響も少なく、降水量も少なくなる。従って、日本列島は全体的に乾燥していたと考えられる。

氷期の日本列島の植物の分布は今とはかなり異なっていて、全体的に垂直方向に下がるとともに、水平方向にも南下していたと考えられる。

 


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立山連峰


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立山連峰剱岳 (2999㍍)


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剱岳に現存が認められた「三の窓氷河」

◾日本に現存する氷河は、立山山東面の御前沢氷河、劔岳の三ノ窓氷河と小窓氷河の3カ所。2009年~2011年の調査の結果、2012年4月に学術的に認められた。

🔍国内初の現存する「氷河」を立山連峰で発見!|立山の雪|とやま雪の文化|富山県

 


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こちらは、北アルプス梓川上高地、奥穂高

 

 


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🐱富士山は、やっぱり興味深いですね。

富士山が噴火をしないという理由はないとのことです。不謹慎かも知れませんが、見てみたいものです。

それと、日本にも氷河があるんです。このまま地球温暖化が進むとどうなるか分かりませんが。🐥

 

 


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次の記事へと続く

 

 

 

 

高野山の町でブラタモリ(3/3)

ブラタモリ』#84高野山の町(3/3)

高野山はなぜ “山上の仏教都市” に?


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近江「ぼーっとしてたかなあ?」

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🔘高野山の町でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き


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江戸時代に、どうやって学生たちを集めていたのか?


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さっきの寮のことです。


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タモリ「織田」


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棟梁「こちらは浅野家」


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おなじみ。


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800年近い歴史を持つ蓮華定院。北の方に位置します。


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何があるのでしょうか。


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それだけ、お寺さんの数も多かった。


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前回放送の奥の院の墓の管理とかもしていたのかな。


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草彅「そして、その関係がそのまま」


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檀家とか末寺とかは持たないということなのかな。

大名が檀家の役割を果たしたということなのかな。


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ボケ合戦。


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草彅「空海が修行のため最初に開いた場所です」


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「絹本著色弘法大師像」太山寺蔵(松山市

松山市ホームページより


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3週続けての登場。


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なんでしょう?


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なむなむ


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右手の高欄。


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だよな。


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建物の維持かと思ったけど。


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昭和元年に全焼。


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タモリ「江戸の町と同じ」

京の都とも同じ。


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棟梁「いかに火事で苦しんできたか」


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火事だらけ


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994年の大火で、高野山は一度衰微したそうな。


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ロウソクとか使うからなあ。


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これはもうあれしかない。


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避雷針がなかったものなあ。


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しょうがないねえ。


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平地でも落ちるものなあ。


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更に建物にも燃えやすい原因が。


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瓦は冬の寒さに耐えられないのでNG。

当時の瓦では、水がしみこんで凍って割れてしまうのだとか。


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丸焼け。


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棟梁が作りました。


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棟梁の自信作。


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リアクションはデカいけど、腕は確か。


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棟梁、力説。


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前回も登場した山口文章さん。


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お寺さん独自で。


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防火戦隊ドレンチャー。


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問題は、近い将来必ず起こると言われている「南海トラフ地震」だな。

地下水路が分断されたりしないか、ちょっと心配。

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高野町のHPによると、高野町の人口は、

昭和40年には、9166人

昭和60年には、7054人

平成7年には、6386人

平成17年には、4632人

平成27年には、3352人

と減少の一途をたどっている。高野町では危機感を持っているようだ。

少子化だし、お寺さんは全体的に後継者不足だし、

21世紀における仏教の在り方も問われているし、

全部解決というわけにはいかないのでは?

これからも、「不断の努力」なのでしょう。



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岡本太郎

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ランチは精進パスタではなかったのね。

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棟梁が、素人とは思えないというか、自然体のしゃべりと番組進行でアッパレでした。宮大工としても頑張ってはるしね。

恐るべし、関西のオッサン。


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次回は、土佐でブラタモリぜよ。

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こちら➡高知でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

📄関連日記

🔘高野山でブラタモリ(1/2) - 森の踏切番日記

🔘高野山と空海さんでブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

🔘高野山の町でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

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