森の踏切番日記

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そして、だれもいなくなった~半藤一利の『幕末史』を読む

1月の読書録06ーーーーーーー

 幕末史

 半藤一利

 新潮文庫(2012/11/01:2008)

 ★★★☆

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幕末史 (新潮文庫)

 

今年のNHK大河ドラマは最初から見る気にならないのであります。でありますから、視聴していないのでありますが、今年の読書テーマは久し振りに「幕末」にしようと思い立ったのであります。そこでまず、軽く復習するために本書を読んだのであります。

「あとがき」によりますと、本書は慶應丸の内シティキャンパスの特別講座として2008年に講義した内容をまとめたものだということであります。そのため、講義調の文体で読みやすく、歴史の流れを大きくつかむにはちょうど良い内容になっているのであります。

タイトルは『幕末史』でありますが、取り上げられている時代は、ペリー来航の1853年(嘉永6)から大久保利通が暗殺された1878年(明治11)までの四半世紀であります。この25年間が著者の歴史観では「幕末」ということになるのであります。

 

 

 

はじめの章 「御瓦解」と「御一新」

昭和5年に東京向島で生まれた著者は、父親が新潟県長岡市出身ということもありまして、「御一新」ではなくて「御瓦解」であるという歴史の見方もあると主張しているのであります。

勝者の歴史は常に美しく飾り立てられるものであります。しかしながら、歴史には表があれば、裏もあるのであります。声高に語られる歴史もあれば、ひっそり語られる歴史もあるのであります。歴史観は常に相対的なものでしかないのであります。正しい歴史観とか絶対的な歴史観などというものは存在しないのであります。私は歴史観というものは全てフィクションに過ぎないと考えているのであります。

 

 

 

第一章 幕末のいちばん長い日

嘉永6年(1853)

6月、米国ペリー艦隊、浦賀来航、開国を要求/第12代将軍徳川家慶没(61)

7月、幕府、開国の可否を諸大名に諮問/露国プチャーチン、長崎来航、開国を要求

10月、徳川家定、第13代将軍に就任

嘉永7年/安政元年(1854)※11月27日改元

1月、ペリー再来

3月、日米和親条約

8月、日英和親条約

12月、日露和親条約

 

第二章 攘夷派・開国派・一橋派・紀伊

安政2年(1855)

10月、安政の大地震阿部正弘に替わり堀田正睦が筆頭老中に就任/幕府、長崎海軍伝習所を開く

12月、日蘭和親条約 

安政3年(1856)

7月、ハリス、下田に着任

安政4年(1857)

6月、阿部正弘没(39)

10月、ハリス、将軍家定に謁見

安政5年(1858)

1月、堀田正睦、上洛。条約勅許を奏請

3月、孝明天皇、条約勅許を拒否

4月、井伊直弼大老に就任

6月、日米修好通商条約調印/徳川慶福(家茂)を将軍継嗣と定む

7月、徳川斉昭松平慶永(春嶽)ら謹慎/将軍家定没(35)/薩摩藩島津斉彬没(50)/蘭・露・英と修好通商条約調印

8月、水戸藩「戊午の密勅」問題

9月、日仏修好通商条約調印/安政の大獄始まる(翌年10月まで)

10月、徳川家茂、第14代将軍に就任

安政6年(1859)

6月、長崎・箱館・神奈川開港

9月、梅田雲浜獄死(45)

10月、橋本左内(26)・頼三樹三郎(35)・吉田松陰(30)ら死刑

安政7年/万延元年(1860)※3月18日改元

1月、咸臨丸、アメリカへ出航

3月、桜田門外の変井伊直弼殺害(46)

8月、徳川斉昭没(61)

12月、攘夷派薩摩藩浪士による米国公使館通訳官ヒュースケン暗殺事件

尊王攘夷運動の過激化)

 

第三章 和宮降嫁と公武合体

◾万延2年/文久元年(1861)※2月19日改元

5月、長州藩長井雅楽、開国と公武合体を唱えた「航海遠略策」を朝廷に提出

10月、皇女和宮、東下

文久2年(1862)

1月、坂下門外の変(老中安藤信正暗殺未遂事件)

長州藩公武合体から尊王攘夷に藩論転換

2月、皇女和宮と将軍家定の婚礼の儀

4月、薩摩藩主の父島津久光、率兵上洛。幕府改革案を朝廷に提出/寺田屋事件島津久光、藩内の尊王攘夷派を粛清

6月、大原重徳と島津久光、東下

 

第四章 テロに震撼する京の町

7月、一橋慶喜将軍後見職松平慶永政事総裁職に就任/京で攘夷運動盛んになる(→主導権が薩摩から長州へ移る)

8月、生麦事件

閏8月、会津藩松平容保京都守護職に就任(12月、上洛)

11月、幕府、攘夷勅旨の遵守を決定

12月、高杉晋作ら、英公使館を焼き打ち。

文久3年(1863)

2月、長井雅楽、攘夷派に責められ切腹(45)

3月、将軍家茂、上洛

4月、幕府、5月10日を攘夷期限と上奏

5月、長州藩、下関を通過中の外国船を砲撃

 

第五章 すさまじき権力闘争

6月、米・仏艦隊、長州藩の砲台を報復攻撃

7月、薩英戦争(11月、和議)

8月、八月十八日の政変。薩摩、会津藩が攘夷派の長州勢を京から追放。七卿の都落ち

12月、一橋慶喜松平容保松平慶永山内容堂伊達宗城、朝議参与となる (島津久光は翌年1月から)

文久4年/元治元年(1864)※2月20日改元

3月、参与会議、瓦解

→一会桑政権(一橋慶喜松平容保松平定敬

6月、新選組池田屋を襲撃

7月、蛤御門の変禁門の変)/幕府、西国諸藩に長州藩征伐を命令(第一次長州征伐)

8月、長州藩、英仏米蘭四国連合艦隊に下関を砲撃され降伏

9月、勝海舟、大坂で西郷隆盛と会談

11月、長州藩、征長軍に謝罪降伏

 

第六章 皇国の御為に砕身尽力

12月、高杉晋作、下関で反乱

◾元治2年/慶応元年(1865)※4月7日改元

2月、高杉晋作ら「正義」派、長州藩の実権掌握

3月、長州藩、武備恭順を藩論と決定

4月、幕府、長州再征を令す

閏5月、坂本龍馬、長崎で亀山社中を結成 

9月、英米仏蘭四国公使、条約勅許・兵庫開港要求/再征長勅許下る

10月、条約勅許下る

◾慶応2年(1866)

1月、薩長連合成る/寺田屋騒動(伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件)

 

第七章 将軍死す、天皇も死す

6月、第二次長州征伐はじまる

7月、将軍家茂没(21)

9月、幕長休戦協定

12月、徳川慶喜、第15代将軍に就任/孝明天皇崩御(36)

※この年、一揆・打ち毀し激発

◾慶応3年(1867)

1月、睦仁親王践祚皇位につく

4月、高杉晋作没(29)/海援隊誕生

5月、兵庫開港勅許下る

6月、坂本龍馬後藤象二郎に「船中八策」を示す

8月、名古屋地方に「ええじゃないか」発生、各地に波及する

9月、薩長芸三藩、倒幕挙兵を密約

 

第八章 徳川慶喜、ついに朝敵となる

10月、前土佐藩山内容堂大政奉還を幕府に建白/薩長両藩に倒幕の密勅/将軍慶喜大政奉還を上奏(翌日勅許)

11月、近江屋事件坂本龍馬(33)・中岡慎太郎(30)暗殺される

12月、王政復古の大号令/小御所会議

◾慶応4年/明治元年(1868)※9月8日改元

1月、鳥羽・伏見の戦い戊辰戦争始まる)

 

第九章 勝海舟西郷隆盛

2月、徳川慶喜、上野寛永寺に謹慎/堺事件・英公使パークス襲撃事件

3月、西郷隆盛勝海舟江戸城開城について会談

 

第十章 戊辰戦争の戦死者たち

3月、神仏分離令/五箇条の御誓文・億兆安撫国威宣揚の宸翰/勝海舟、英公使パークスと会談

4月、江戸城無血開城

閏4月、政体書公布

5月、奥羽越列藩同盟成立/上野彰義隊破れる

7月、江戸を東京と改称

9月、明治と改元会津藩など降伏、奥羽戦争終結

10月、江戸城を皇居と定む

※この年、勝海舟46歳、岩倉具視44歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、広沢真臣36歳、木戸孝允36歳、江藤新平35歳、井上馨34歳、三条実美32歳、板垣退助32歳、後藤象二郎31歳、山県有朋31歳、大隈重信31歳、伊藤博文28歳/徳川慶喜32歳

 

第十一章 新政府の海図なしの船出

◾明治2年(1869)

1月、薩長土肥四藩主、版籍奉還を上奏

3月、明治天皇、東遷

5月、五稜郭開城、榎本武揚ら降伏(戊辰戦争終結

6月、諸藩の版籍奉還を許す

7月、官制改革

8月、蝦夷地を北海道と改称

※この年、農民一揆多発

◾明治3年(1870)

1月、大教宣布の詔(神道の国教化)

10月、工部省設置。兵制統一(海軍は英式、陸軍は仏式)

※この年、廃仏運動広がる

◾明治4年(1871)

1月、寺社領没収/参議広沢真臣暗殺される(39)

2月、西郷隆盛、中央政界復帰/薩長土の藩兵を徴集して御親兵を設置

7月、廃藩置県

 

第十二章 国民皆兵と不平士族

11月、岩倉使節団、欧米へ出発(木戸孝允大久保利通伊藤博文田中光顕他46名+津田梅子他留学生42名)

◾明治5年(1872)

2月、兵部省を廃止、陸海軍両省設置

3月、御親兵を廃止、近衛兵を置く

8月、学制頒布

9月、新橋・横浜間で鉄道開業

12月、太陽暦採用(12月3日が6年1月1日)

◾明治6年(1873)

1月、徴兵令公布

5月、大久保利通帰国(木戸孝允は7月に帰国)

6月、征韓論起こる

7月、地租改正条例布告

8月、閣議、西郷隆盛の朝鮮派遣を決定

9月、岩倉使節団帰国

10月、朝鮮遣使を無期延期。征韓論破れ、参議西郷隆盛副島種臣後藤象二郎板垣退助江藤新平ら下野(明治6年10月政変)

※この年、徴兵制反対一揆多発

 

第十三章 西郷どん、城山に死す

◾明治7年(1874)

1月、板垣退助民選議員設立建白書を提出

2月、佐賀の乱江藤新平ら武力反抗)

5月、台湾出兵西郷従道、台湾上陸)

◾明治8年(1875)

2月、大阪会議(板垣退助大久保利通木戸孝允伊藤博文井上馨ら大阪で会合、三権分立などの政治改革で意見一致す)

5月、千島・樺太交換条約締結

9月、江華島事件

◾明治9年(1876)

2月、日朝修好条規締結

3月、廃刀令

10月、神風連の乱秋月の乱萩の乱

12月、地租改正反対一揆激化

明治10年(1877)

1月、地租軽減の詔

2月、西南戦争西郷隆盛、鹿児島に反乱、熊本城包囲)

3月、西郷軍、田原坂に破れる

5月、木戸孝允没(45)

9月、西郷隆盛(51)、桐野利秋(40)ら城山で自刃、西南戦争終結

 

むすびの章 だれもいなくなった後

明治11年(1878)

5月、大久保利通暗殺される(49)

12月、参謀本部が設置される(統帥権の独立)

※この年、山県有朋41歳、伊藤博文38歳

 

ここから大日本帝国は、67年後の敗戦へと突き進むわけでありますが、それはまた別の話であります。

 

 

 

 

 

幕末史 (新潮文庫)

幕末史 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

幕末を暗く彩った暗殺者たち~司馬遼太郎の『幕末』を読む

1月の読書録05ーーーーーーー

 幕末

 司馬遼太郎

 文春文庫(2001/09/10:1977:1963)

 ★★★☆

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新装版 幕末 (文春文庫)

 

本書の「あとがき」の冒頭には、「暗殺者だけは、きらいだ」とある。その司馬が幕末の暗殺者たちを描いたのが、この連作短編集である。司馬による暗殺者の定義は、「何等かの暗示、または警告を発せず、突如襲撃し、または偽計を用いて他人を殺害する者」ということになる。司馬はそのような暗殺者を「人間のかざかみにもおけぬ」という。

この短編集が単行本として刊行された1963年というと、司馬が『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』を連載していた時期と重なる。本書には坂本龍馬土方歳三のような「幕末」のメインキャラにはなり得ない連中が次々と登場する。ここで取り上げられた暗殺事件のほとんどは歴史の「奇形的産物」に過ぎない。しかしながら、これもまた「幕末」の一側面なのである。その中でただ一つ、例外的に「歴史を躍進させた」暗殺事件がある。それが冒頭を飾る「桜田門外の変」である。 (丸数字は本書の目次順)

 

 

桜田門外の変

安政7年(1860)3月3日の江戸城桜田門外における水戸脱藩士17名と薩摩脱藩士1名による井伊直弼暗殺事件を、薩摩藩から唯一人参加した有村治左衛門兼清を主人公にして、安政6年の秋から決行当日までを描いている。有村は井伊直弼の首級をうばったが、重傷に耐えかねて自害した。享年23。

 

この桜田門外の変から幕府の崩壊がはじまるのだが、その史的意義を説くのが本篇の目的ではない。ただ、暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外の変からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。三百年幕軍の最精鋭といわれた彦根藩は、十数人の浪士に斬りこまれて惨敗したことによって、倒幕の推進者を躍動させ、そのエネルギーが維新の招来を早めたといえる。この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない。

 

司馬にいわせると、その後の暗殺事件は、「すべてこれに影響された亜流」であり、「暗殺者の質も低下した」ということになる。

霊山歴史館の木村武仁氏によると、幕末の天誅事件は文久元年から慶応3年までの7年間で、

 文久元年~3年 (1861~63) 97件

 元治元年    (1864)      38件

 慶応元年~3年 (1865~67) 26件

合計161件であるらしい。

 

 

⑦ 土佐の夜寒

 文久2年(1862)4月8日の土佐藩参政吉田東洋暗殺事件が、当時吉田の配下だった下横目岩崎弥太郎の視点で描かれている。事件の首謀者は土佐勤王党武市半平太で、実行犯は那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助。

この事件が他の佐幕開国派に対する尊王攘夷派による暗殺事件と異なる点は、土佐藩の山内系の上士に対する長宗我部系の下士の積年の恨みという複雑な内部事情もからんでいる点であろう。吉田氏は長宗我部元親に仕えたが、土佐在郷の名家ゆえに上士に迎えられた家系である。岩崎家は郷士が落ちぶれた地下浪人だったが、もともとは安芸氏に仕えていたので、長宗我部侍ほど山内氏に対する憎悪はなかったのかもしれない。

吉田東洋は有能だが癇癖の強い性格だったというし、改革派の常として保守派からは敵視されていたので、幕末の動乱期でなくても、いずれ失脚するか、暗殺されるような人物だったように思う。享年47。当時29歳だった岩崎弥太郎は、同僚の井上佐一郎とともに下手人探索を命ぜられ大坂へ向かうが、単身帰国後、小役人に嫌気がさして士籍を脱している。井上は岡田以蔵らによって暗殺された。ここで命を無駄にしなかった岩崎は後に三菱財閥を築き上げることになるのだから面白い。

この事件の直前、3月24日に坂本龍馬土佐藩を脱藩したのだが、那須信吾は父親の俊平とともに伊予との国境まで道案内をしている。土佐では龍馬が吉田を暗殺したという噂が流れたという話もある。那須信吾は事件直後土佐を脱出し潜伏、翌年の天誅組の変に参加し戦死。享年35。かなりの大男だったらしい。那須信吾の甥の田中顕助(のちの光顕)や吉田東洋の義理の甥の後藤象二郎も脇役で登場。

 

 

② 奇妙なり八郎

文久3年(1863)4月13日の幕府刺客佐々木唯三郎らによる清河八郎暗殺事件。清河八郎庄内藩出身の倒幕・尊王攘夷の志士。清河八郎が果たした歴史的役割は、浪士組を結成し、新選組と新徴組への流れを作ったことになるか。有能なアジテーターだったが、背景を持たなかったことが彼の不幸だった。己の才気だけを頼りに天下に事を成そうとしたが、自信家過ぎたのか、「策士策におぼれる」の典型だったという印象。享年34。

佐々木唯三郎(只三郎)は、その後、京都見廻組隊士になる。慶応3年(1867)の近江屋事件の刺客の一人(襲撃犯ではない)と目されている。慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いで重傷を負い、紀三井寺で死去。享年36。

 

 

④ 猿ヶ辻の血闘

文久3年(1863)5月20日の禁裏御所朔平門外の猿ヶ辻における姉小路公知暗殺事件。当時の禁裏御所は、今の京都御所とは形状が異なるので、猿ヶ辻も現在の猿ヶ辻とは位置が異なる。姉小路公知は攘夷急進派公卿の大物だったが、前月に大坂湾防備の視察に摂州にくだった際に、幕府軍艦順動丸上で勝海舟から攘夷の無謀を説かれて、開国派に変節したと疑われたという。享年25。

暗殺現場には鞘が落ちていたのだが、それを土佐脱藩士那須信吾が薩摩藩田中新兵衛のものだと証言したことから、田中新兵衛が捕縛された。田中新兵衛は、島田左近や本間精一郎、宇郷玄蕃を斬殺したというテロリストである。ところが、この新兵衛は黙秘したまま取り調べ中に自害してしまい真相は闇の中に埋もれてしまった。享年32。

司馬は、この事件を会津藩密偵大庭恭平を首謀者として小説に仕上げた。大庭恭平は、この年の2月に起きた「足利三代木像梟首事件」に連座して信濃上田藩に流罪となったのだが、そこから抜け出して暗躍したという筋立てである。小説では大庭は事件の翌日自害したことになっているが、現実の大庭は明治35年まで長生きしている。享年73。この事実との齟齬は、小説であることを強調するためのものだと思われる。

この事件の結果、京における勢力争いで、公武合体派の薩摩藩が後退して、尊王攘夷に藩論を転換させた長州藩が浮上したことになるが、司馬は、長州系公卿を薩摩藩士が暗殺したと見せかけて、長州の勢いを削ぐとともに、もともと仲の良くない薩長の関係を致命的に悪化させて、さらに、薩摩藩の勢いも削ごうという幕府側の陰謀という見方をしている。長州が勢いを得たのは誤算だったということになるか。

当時、長州藩にかくまわれていた土佐脱藩士那須信吾が証言していることや、この事件が起きたのが長州藩による攘夷決行の最中であったことも気になるが、真相はやはり闇の中と言うよりない。

 

 

⑤ 冷泉斬り

元治元年(1864)5月5日、大和国丹波市の鍵屋ノ辻(荒木又右衛門で有名な鍵屋ノ辻とは別)において絵師冷泉為恭(れいぜいためたか/ためちか)が殺害された天誅事件。実行犯は、長州浪士大楽源太郎、神山進一郎、天岡忠蔵の3人。

この小説の主人公は長州浪士間崎馬之助になっているが、どうやら架空の人物のようである。新選組隊士米田鎌次郎も架空の人物で、大石鍬次郎をモデルにしたものと思われる。この二人が対峙する場面と、間崎が米田を斬る場面が良い。

冷泉為恭は宮廷に仕える絵師だが、京都所司代にも出入りしていたことから、尊王攘夷派の機密を漏らしているのではないかとの疑いをかけられ命を狙われる羽目になる。命の危険を察した為恭は逃げまくるが、執拗な追跡から逃れきれなかった。享年42。一度狙ったターゲットは仕留めるまで諦めないというテロリストの特質をよく表現している。

為恭を多くの尊王攘夷派浪士が付け狙ったのは、他藩の浪士に出し抜かれたくないというだけの事であり、くだらない話である。司馬が、架空の人物を登場させてまで、この小者を狙った三流浪士どもの狂騒的な天誅さわぎを描いた真意は、作中チョイ役で登場する坂本龍馬の「天誅さわぎなどは、愚劣すぎる」という言葉に尽きるだろう。

 

 

⑧ 逃げの小五郎

元治元年(1864)夏、但馬出石藩の槍術師範役堀田半左衛門は、領内で不審な男を二度見かける。三度目に城崎の宿でその男と出遭ったとき、彼が長州人であると確信する。その男こそ蛤御門の変後の幕府による厳しい残党狩りから逃れてきた桂小五郎(のちの木戸孝允)であった。「剣でめしの食える男」と言われながらも、剣を抜くこともなく、逃げて逃げて逃げまくった桂小五郎が出石に潜伏し帰藩するまでの動向を描いた異色作。

蛤御門の変での小五郎の動向も描かれていて、幾松も登場する。蛤御門の変後姿を消した小五郎の生存を信じる幾松が、京の焼け跡を何日も探し回り、ようやく乞食に扮した小五郎を見つけ出したときの二人のやり取りが印象に残る。殺伐とした話が多い本短編集の中で、小五郎と幾松のエピソードにはホッとさせられる。

斎藤弥九郎の道場・練兵館の道場訓「兵は兇器なれば一生用ふることなきは大幸といふべし」も小五郎の行動原理として紹介されていて、暗殺者たちへの批判になっているように思われる。

面白いのは、この短編で言及されている長州人気質である。「長州怜悧にして油断ならず」、しかも、「頑固で妥協を知らない厄介な」気質をもっているのだそうな。あの男もそうであるな。

 

 

⑨ 死んでも死なぬ

元治元年(1864)9月25日、山口讃井町袖解橋付近で井上聞多(のちの馨)が刺客に襲われ瀕死の重傷を負った「袖解橋の変」を取り上げた一編で、伊藤俊輔(のちの博文)の視点で井上聞多を描いている。

話は、文久2年(1862)12月12日の高杉晋作久坂玄瑞らによる英国公使館焼き討ち事件の前夜から始まる。伊藤俊輔は百姓の出で上士階級の高杉、久坂、井上とは身分が違うのだが、井上だけは伊藤と友達づきあいをした。第二級の似たもの同士でウマが合ったのだろう。井上は松下村塾出身ではないし、高杉、久坂、伊藤よりも年長である。

文久3年(1863)井上と伊藤は、長州藩の秘密留学団に加わり英国へ密航、国力の違いを実感し攘夷論から開国論に転じる。長州藩の攘夷決行を知り、急遽帰国することに決めた二人の英国滞在は半年ほどだった。

元治元年(1864)6月に横浜に密入国して戻った二人の藩論転換運動は実を結ばず、8月の四カ国連合艦隊馬関砲撃となる。幕府からは長州征伐の軍令がくだされ、窮地に陥った長州藩内は俗論党が台頭し、高杉らの強硬論と対立する。幕府に対し、恭順か、武装恭順かを決める最後の御前会議が山口の藩庁で開かれたのが、9月25日である。その場で熱弁をふるった井上聞多は、藩論を武装恭順に導くことに成功する。井上が襲われたのはその夜、藩庁を退出し帰宅する途中のことであった。

襲ったのは、俗論党の椋梨藤太次男中井栄次郎他数名である。その中の一人だった児玉愛次郎は、明治になってから井上聞多に引き立てられて官途に就いたのだが、30年以上経って犯行を告白、井上に謝罪したという逸話がある。主犯の中井栄次郎は、翌年別の暗殺事件の犯人の一人として刑死。享年23。死んでも死ななかった井上聞多は大正4年まで長生きした。享年80。

司馬はこの短編で、明治になってから「貪官汚吏(たんかんおり)の巨魁として悪名をのこした」井上馨を「袖解橋で死ぬべきであったかもしれない」と酷評しているが、『世に棲む日日』(1971)では肯定的な評価をしている。公私の区別がつかない人ではあったらしい。この短編は、『世に棲む日日』と重なるエピソードが多いので、久しぶりに『世に棲む日日』を読み返したくなった。『世に棲む日日』にも「長州怜悧」という言葉が出てきたのを思い出した。

 

 

⑪ 浪華城焼打

吉田東洋暗殺事件を取り上げた「土佐の夜雨」ではチョイ役で登場した那須信吾の甥の田中顕助は、元治元年(1864)仲間とともに脱藩し、長州へ走った。が、長州は幕府から長州征伐の軍令がくだされ窮地に陥った最中で頼ることが出来ない。そこで、起死回生のため浪華城焼打を計画し、9月に大坂に潜伏する。この時、田中顕助22歳。この計画に参加したのは土佐勤王党の残党と京都浪士で大坂松屋町筋でぜんざい屋に身をやつしている本多大内蔵で、謀主には蛤御門の変では「忠勇隊」に属して奮戦した大利鼎吉が選ばれた。

ところが、この計画は、新選組大坂屯所隊長谷万太郎に情報が漏れてしまう。元治2年1月、谷万太郎らが本多のぜんざい屋を襲撃したのが、「ぜんざい屋事件」である。この時ぜんざい屋にいたのは、本多とその母と妻、大利の四人だけであった。本多は逃亡、討ち取られたのは大利鼎吉だけである。享年24。谷万太郎は明治19年まで生きた。享年51。

この事件の前に、千屋金策、井原応輔、島浪間の三人は、同志を募るために山陰方面へ遊説に出かけている。この三人とたまたま同道した備前浪士山中嘉太郎の四人は、作州津山藩領吉岡村百々で、金策に訪れた造り酒屋の主人に侮辱されたあげく強盗として訴えられ、村人たちからリンチに遭い無念の死を遂げた。四人の死後、村人たちは遺体に陵辱の限りを尽くしたが、遺書などから冤罪が判明したという。なんとも後味の悪い事件である。

小説では、大坂にオンナができた田中顕助は米の飯の誘惑もあって、この山陰遊説に同行せず命拾いしたことになっている。ぜんざい屋事件の時もその場に居合わせなかった顕助は、大和十津川の山中にのがれ、7月になって土佐浪士の指導者中岡慎太郎を頼って、京へ潜入した。死なない奴は死なないようにできているということか。

 

土佐藩は支配層が佐幕だったから、勤王運動をしている土佐人に対して冷酷で、京都でも新選組に斬られる者は多くは土佐人であった。斬られても藩が何の故障もいいたてないから、幕府方は遠慮なしにやった。幕末、もっとも多く血を流した集団の一つは土佐人であったが、藩としての行動ではなかったために、維新政府は薩長に独占された。

 

 

祇園囃子

慶応3年(1867)6月祇園祭宵山の宵に水戸藩京都警衛指揮役住谷寅之介が鴨川東岸松原河原で土佐藩士山本旗郎らによって暗殺された事件を大和十津川郷士浦啓輔の視点で描いている。この浦啓輔は架空の人物であるようだが、幕末期における十津川郷士を描きたかったのかもしれない。

住谷寅之介は第二の藤田東湖といわれ、水戸藩尊王攘夷思想の中心的存在だったが、公武合体を容認していたので勤王派の志士から命を狙われた。享年50。この事件には後日談があって、明治3年(1870)2月24日、神田筋違見付で住谷寅之介の長男と次男が山本旗郎を追いつめ、仇討ちを果たしている。

 

 

花屋町の襲撃

慶応3年(1867)11月15日、坂本龍馬中岡慎太郎が近江屋で暗殺された。海援隊副長格の陸奥陽之助(のちの宗光)は、白川村の陸援隊本部に走り、陸援隊隊士らとともに復仇を企てる。紀州藩出身の浪士である陸奥自身は文官で人を斬ったことがないが、大将として指揮をとる。陸奥らは実行犯を新選組だとみていた。この強敵を相手にするために剣客を探す。一人は、十津川郷士中井庄五郎。一人は、元宇和島藩士後家鞘の彦六(のちの土居通夫)。両名は坂本龍馬とは深い関係ではなかったが慕っており、参加を即決する。

討ち入りの準備が進行する中で、事件の張本人が紀州藩用人三浦休太郎だと判明する。この年の春、海援隊蒸気船いろは丸(160㌧)が、讃岐箱崎沖合で、紀州藩藩船明光丸(887㌧)にぶつけられ沈没するという事故があった。非は紀州藩の方にあり、坂本龍馬は多額の賠償金を紀州藩に要求して、談判が成立したのが一ヶ月前のことである。紀州藩はその事を逆恨みしたに違いない。

12月7日夜、海援隊士・陸援隊士ら16名が、油小路花屋町南の天満屋二階で酒宴をしていた三浦と新選組隊士を襲撃する。これが「天満屋事件」である。この時、陸奥陽之助24歳。襲撃側は中井庄五郎が死亡。享年21。新選組側は近藤勇の従弟宮川信吉が死亡。享年25。三浦は軽傷を負っただけだった。

土居通夫が天満屋襲撃に参加した歴史的事実はない。これは飽くまで歴史上の事件に基づいたフィクションである。危険を察した三浦は新選組に護衛を頼んだようだが、そのため尚更疑いが深められたのだろう。近江屋事件の実行犯は京都見廻組の可能性が高いが、黒幕がいたかどうかは不明である。中岡慎太郎を頼って陸援隊隊士になった田中顕助は自重して襲撃に参加していない。

事件から二日後、王政復古の大号令が下った。

 

 

⑫ 最後の攘夷志士

中岡慎太郎亡き後、田中顕助が陸援隊隊長代理になった。この時、田中顕助25歳。そして、王政復古の大号令、倒幕である。司馬は云う。

「顕助、運がよすぎる」

顕助は大久保一蔵(のちの利通)からの要請で陸援隊残党を中心とした義軍を率い、高野山上から紀州藩を牽制する役割を担う。そこへ軍師として招かれたのが、天誅組の生き残り市川精一郎こと三枝蓊(さえぐさしげる)である。この頃の薩長はすでに攘夷を倒幕の道具として使っているだけで、顕助のような攘夷志士にも思想性はなかったのだが、三枝のような国学系の攘夷志士は別で、純粋に攘夷主義者なのだ。いつの時代にもこういう自国至上主義者はいるものだが、彼らは宗教的で頑迷なだけに厄介である。三枝蓊、目が据わっている。

顕助らの高野山義軍は、鳥羽・伏見の戦いの間紀州藩を牽制し、潰走した幕府側の敗残兵と一戦を交えた後、京に戻り解散し朝廷御親兵となる。 朝廷が攘夷を捨て外交をすることが明らかになると、失望した純粋攘夷主義者たちは暴発し、堺事件などの外国人襲撃事件が発生する。

慶応4年(1868)2月30日、三枝蓊は同志の朱雀操とともに、明治天皇に謁見するために宿舎の知恩院から御所に向かう英国公使ハリー・パークス一行に斬り込んだ。朱雀は、後藤象二郎に斬られて死亡後、斬首。三枝は重傷を負い捕縛された後、斬首。享年29。二人は士籍を削られ、平民に身分を落とされ、罪人として梟首された。

ほんの数カ月前なら、かれらは烈士であり、その行為は天誅としてたたえられ、死後は、叙勲の栄があっただろう。

かれらは、その「攘夷」のかどで攘夷党の旧同志によって処刑され、ついに永遠の罪名を着た。

 

イデオロギーというのは、そういうものであるし、時代の相転移というのは、そういうものである。

死者を祀るのも、死者の名誉を奪うのも、生者の側の都合に過ぎず、死者には関係のないことである。

 

田中顕助(のちの光顕)は、昭和14年まで生きる。享年97。

才質さほどでもなく、維新の志士のなかでは三流に近かったが、一流はほとんど死に、顕助、ただ奇蹟的な長寿を得たために多くの栄誉をうけた。

 長生きの術やいかにと人問はば

   殺されざりしためと答へむ

私は、井上聞多や田中顕助のような二流の生き方が好きである。

 

 

彰義隊胸算用

慶応4年(1868)2月12日、徳川慶喜江戸城を去り、上野寛永寺の大慈院に蟄居恭順となったが、これに不満を持つ抗戦派の幕臣を中心に彰義隊が結成された。この彰義隊の顛末を寺沢新太郎(寺澤正明)の視点で描いている。寺沢は八番隊長で後に《幕末秘録》という回想録を出した人。

彰義隊結成当初の頭取は渋沢栄一の従兄渋沢成一郎、副頭取は天野八郎だったが、二人はそりが合わず分裂、天野派による渋沢暗殺未遂事件が発生、渋沢は彰義隊を離脱し別組織「振武軍」を結成する。小者のお山の大将が集まった組織というのは派閥ができて内部抗争が起こり分裂するものである。

5月15日、新政府軍に攻め込まれた上野彰義隊は惨敗を喫し壊滅した。戦わずに逃げ出した者も多かったようだ。寄せ集めの軍隊であるし、戦力が違いすぎるのだから仕方あるまい。寺沢新太郎他逃亡兵の一部は榎本武揚の艦隊に逃れ、函館へ転戦する。渋沢成一郎も函館まで逃げ込んでいる。函館では、彰義隊の残党と振武軍の残党で渋沢を隊長に彰義隊が再編成されたのだが、松前藩の居城福山城を攻撃した際に、渋沢が金蔵に駆け込んで、一番乗りを逃したことから、又しても、渋沢派と反渋沢派に分裂する。もともと武家ではない渋沢は乱世を金儲けの場と楽しんでいた節がある。面白い人だ。

天野八郎は、7月13日、捕縛され、11月8日牢死。享年38。渋沢成一郎は喜作と名を改め、大正元年まで生きた。享年75。

 

 

 

 

新装版 幕末 (文春文庫)

新装版 幕末 (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

うつ人もうたるる人もあぢきなき

おなじ御国の人と思へば

勝海舟

 

 

 

 

 

有馬温泉でブラタモリ(3/3)

ブラタモリ #97有馬温泉(3/3)

有馬温泉♨人気はなぜ冷めない?


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有馬温泉でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記の続き

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金の湯の前を通って左へ折れます。


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松田先生は物腰がはんなりしたはるしエレガント♥

 

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🔍金の湯 Google マップ

 

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真っすぐ。


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横道も直交して真っすぐ。

 

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タモリ「はあ~」


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直線といえば!

 

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タモリディベロッパーですよ」


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近江ちゃんもチャートと秀吉だけは一生忘れへんやろな。

 


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この名言は、梅林氏との合作だったか。

 


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秀吉は有馬温泉が大のお気に入り。

 

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近江「他のとこ行ってみたいと思わないんですかね」

タモリ「大好きだったんだね」

近江「大好きですね! 有馬ばっかりだなあ」

近江(私は温泉巡りしたいなあ)

 

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松田「有馬で滞在するときの費用にあてた」 

 

 

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1596年(慶長1)の伏見城を倒壊させた慶長伏見地震では、有馬温泉も大きな被害を受けました。地震直後に温泉の温度も急上昇して熱湯になったそうな。

1597年(慶長2)慶長の役が始まった年に、秀吉は有馬温泉の大規模な修復工事を行いました。


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お風呂の実物が今でも残っている。

 

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1598年(慶長3)秀吉は、地震後新たに湧出した温泉に湯山御殿を造りました。

 

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その遺構を保存しているのが極楽寺境内にある「神戸市立太閤の湯殿館」です。

 

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草彅「もちろん源泉掛け流し」

実はこの湯山御殿は言い伝えはあったのですが、文献資料も遺構も無かったのです。


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ところが、1995年の阪神淡路大震災で半壊した庫裏の修復工事の際に遺構の一部が発見されて、言い伝えが本当だったことが分かったのです。


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そこで、この遺構と出土品を保存、公開するために「神戸市立太閤の湯殿館」が1999年に開設されたのです。


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慶長伏見地震がきっかけで建てられた湯山御殿が、阪神淡路大震災がきっかけで発見されたって、なんかすごくない?

 

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あ、そうそう、露天風呂の他に蒸し風呂の遺構もあります。


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寝て入るには深すぎるし、立ってはいるには浅すぎる深さ。ということは…


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近江(?)


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へぇ~


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タモリ「温泉の座り湯の最初が秀吉だった」


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立って入るのは無理だから…


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秀吉のために設計された。


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慶長3年8月18日没


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秀頼のために長生きしたかったのだろうなあ。


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有馬温泉は、江戸時代には天領になりました。

 


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冷めない人気に水をさす大事件が起きた。

 

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何でしょう?


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おやおや


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極楽泉源は極楽寺の前の「ねがい坂」を上がった「銀の湯」の裏手にあります。ちょうど銀の湯と太閤の湯殿館の間になります。


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出てる。


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詰まってる。


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CaCO3


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お湯の中のカルシウムと結びついて固まったと。


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パイプは4日しかもたない。


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近江「大変だ~」


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長い間の蓄積で温泉の吹き出し口を塞いでしまった。


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そういう事


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ですよね。


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新品のパイプを買う方が安く済む。

 

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草彅「その人気を現代にまでつなげたのは」

 

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ですねえ。

 


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ねがい坂をさらに上がっていきます。


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炭酸ガスを有馬名物に変えてしまった場所とは?


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炭酸せんべいです。


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ということで、(株)三ツ森炭酸泉店におじゃまします。


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出来たて好き。

 

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少し上がると、炭酸泉源があります。


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草彅「ここに質の良い炭酸水が湧いていることを知り、好んで飲み始めました」


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NaHCO3


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ウシ分て。


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有馬温泉


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冷めない人気の秘密だったんです。

 


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新ネタお気に入り。


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やっぱり自然のダイナミズムはすごいと再認識しました。


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顔がw

 

 

 

おまけ

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有馬川に架かる太閤橋の近くにある太閤秀吉像。

有馬温泉の人たちにとって太閤秀吉は、有馬温泉を再建してくれた大恩人なのでしょう。


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ねね橋とねねの像

 

 

 

次回は

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鹿児島でブラタモリ


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そりゃ、関ヶ原の恨みを忘れなかったからじゃないの?


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鹿児島でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

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🙀3月17日放送の99回目も引き続き「鹿児島」で島津斉彬が案内人で登場とな。

🙀3月24日放送の100回目は「宮崎」で今年度最後の放送。近江アナ卒業回。

🙀後任は、林田理沙アナ。1989年生。長崎出身。東京芸術大学卒。絶対音感の持ち主だとか。

 

 

📄ブラタモリ関連日記

別府でブラタモリ - 森の踏切番日記 

神戸の街でブラタモリ - 森の踏切番日記

箱根でブラタモリ - 森の踏切番日記

宝塚でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

有馬温泉でブラタモリ(2/3)

ブラタモリ #97有馬温泉(2/3)

有馬温泉♨人気はなぜ冷めない?


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有馬温泉でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記の続き

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きれいな水をペットボトルに入れて、そこに炭酸ガスを注入してみます。

 

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近江アナはシュワシュワ好きか?


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出来たて炭酸水


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ゴクゴク


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立派な炭酸水?


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タモリ「炭酸大好きなんでね♪」


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近江「あ~そうですよねw」


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炭酸水だけ飲んでおいしいか?

 

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世界的にも珍しいとな。


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天神泉源の泉質は「含鉄強食塩泉」で、神経痛、リウマチ、胃腸病に効能があると言われています。

 


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草彅「ここでその秘密が分かるんです」


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白水峡


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花崗岩は硬いけれども、もろくて風化しやすい特徴があります。


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白っぽい花崗岩の所々が赤っぽい。


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更に観察してみると…


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よく見るといっぱい入ってる。


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ドヤ顔w


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有馬は断層の分岐点になっている。


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花崗岩の岩体には至るところに「節理」という切れ目が入っています。


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そこが断層活動によって、大きな割れ目が出来るとともに、ひび割れていくとのことです。

 

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タモリ「うん? 待てよ」


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その熱源は何かというと…


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マントルが温泉の熱源


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のぞいてみましょう!


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沈み込む。


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巻き込む。


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地下60kmで600℃だとマグマにはならないので、火山にはなりません。

火山フロントは海洋プレートが沈み込み、深さ100kmに達した地点の真上に形成されます。

 

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プレートの沈み込み角度が深ければ、海溝と火山フロントの距離は短く、沈み込み角度が浅ければ距離は長くなります。

 

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日本海溝から東北地方の火山フロントまでは約300kmであるのに対して、中国地方の火山フロントは、南海トラフから約400km離れています。


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これは、中国地方ではフィリピン海プレートの沈み込み角度が、太平洋プレートに比べて浅いことを示しています。

※『日本列島100万年史』山崎晴雄・久保純子著(講談社ブルーバックス)より

 

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お湯だけではない。


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炭酸ガスはサンゴだったのか。

 

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花崗岩の中には、さまざまな元素が溶け込んでいます。

 

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ラジウムなど特異な元素も入っています。

 

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そうした微量な元素も運ばれます。

 

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塩分。


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600万年かかって温泉が湧き出てくる。


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地表近くの地下水が温められたわけではない。


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サンゴから考えたら2億年の年月だものな。


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いろいろな条件が重なって有馬の温泉が出来ているということ、よ~く分かりました。


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地球ってすごいな。

 


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見てみましょう。


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杖捨橋


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杖を捨てて橋を渡って帰路につく。


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こちらが昔は有馬の表玄関だった。


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右、六甲山。真っすぐ、京大坂。


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この京大坂への道が有馬街道です。杖捨橋を渡ってずぅ~っと行くと、前々回に登場した宝塚の「小浜宿」にたどり着くわけです。


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草彅「この町にやって来ました」


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湯本坂を下って行きます。


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あれ?


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妬(うわなり)神社の前で佇むこの後ろ姿は…


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やっぱり!

 

 


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「飛び出しおっさん」やないか~い!

普通は「飛び出し坊や」なんやけどな。

 

 


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じゃなくて、相変わらずお美しい…


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松田法子先生!


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3年連続3度目のご登場。

 

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妬神社の裏手に妬泉源があります。

 

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湯本坂(旧有馬街道


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谷筋を下っていく感じ。


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有馬温泉は、もともとは自然の谷地形を使って生まれた小さな温泉街。旅館や店をたくさん作るスペースはありませんでした。


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和ッフル再登場。


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1階は店舗、2階は旅館にして限られた土地を有効利用していた。

 

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では、なぜこれほど大勢の人でにぎわうようになったのか?


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それは、ある有名人が有馬温泉の大ファンになったことがきっかけでした。それは一体誰なのか?


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って、このシルエットクイズ、簡単すぎへん?

 

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左手ですね。


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♨次の記事へと続く

 


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(アニメ『有頂天家族2』第6話より)

タモリさんは金の湯の左手から戻ってきて、右手の道へと向かいます。

 


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有馬温泉の泉源は、金泉源の天神泉源、極楽泉源、御所泉源、妬泉源、有明泉源と、銀泉源の炭酸泉源の6カ所です。金の湯の正面にある銀泉の飲泉場・太閤泉源を加えると7カ所になります。瓢箪から温泉が出てるよ。



 

 

 

 

有馬温泉でブラタモリ(1/3)

ブラタモリ #97有馬温泉(1/3)

有馬温泉♨人気はなぜ冷めない?

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このあと二人が熱湯風呂に挑戦!?

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関西の奥座敷♨有馬温泉


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関東地方の人には馴染みが薄いか。


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観光おみやげの店「若狭屋」の前ですな。

 


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(アニメ『有頂天家族2』第6話より)

カメラの後ろ側に喫茶・パーラー「いずみ」があります。右側(北)に行くと、有馬川親水広場の方へ向かいます。

 


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タモリさんは東へ向かいます。


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50メートル程の距離でしょうか。

 

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「金の湯」に到着。


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「銀の湯」もあるよ。


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今回の旅のお題


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暖簾に千成り瓢箪


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今回の案内人さん


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神戸市北区有馬町

六甲山の北側にあるわずか1km四方ほどの温泉街

京阪神地区からのアクセスは抜群

訪れる人は年間180万人だとか

 

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草彅「なんと1400年近く前のこと」

第34代舒明天皇蘇我蝦夷。630年遣唐使派遣。第33代が推古天皇。第35代が舒明天皇の皇后の皇極天皇


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草彅「過ごしたと記されています」

百済の王子豊璋が人質として来朝したと記されてある次に有馬温泉滞在が記されていて、その次に遣唐使が唐使高表仁と帰国したことが記されている。天皇有馬温泉滞在は、それほど重大なことだったということか。


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「金の湯」がある場所は、その頃から浴場があったそうな。


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有名どころがずらり。

 

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秀吉とねね(北政所)さんな。


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谷崎潤一郎有馬温泉に長期逗留をしました。『猫と庄造と二人のをんな』に有馬温泉の宿屋・御所坊が出てくる他、『細雪』や『春琴抄』にも有馬が出てきます

 

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モナコ大公妃・グレース・ケリー(1929-1982)アメリカの女優からモナコ大公妃になった人。エルメスケリーバッグのエピソードは超有名。生け花や盆栽、日本庭園を愛好した親日家だったそうな。1981年の神戸ポートアイランド博覧会の時に家族で来日。この時、有馬温泉にも宿泊したのでしょう。1982年9月14日、不慮の自動車事故で死去。享年52。

 

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現代は「あなた」 


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神戸市営なんだ。


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この色が有馬温泉の最大の特徴。これを「金」に見立てて「金泉」と呼んでいるそうな。


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左側が「ぬる湯」で、右側が「あつ湯」です。どっち入る?


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ぬるい方ね。


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お気を付け下さいね!

 

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何やってんの?


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なんか艶っぽい。


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あつ湯にも挑戦


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44℃は熱いわ!

 


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(アニメ『有頂天家族2』第6話より)

矢三郎は熱くないのか?

 


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近江アナがしっとりしてきたような気がする。


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この赤くて熱い湯には古くから体を癒す力があると信じられてきました。


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タモリ「これ病人ですか」


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治療が目的


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ちょっとでも長く入りたい人が続出。


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見張り番「早う出なはれ!」

長湯すると、外から棒で壁をバンバンたたかれる。


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恒例の温泉番付。大関が最上位。

 

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始まりましたブラタモリ

赤い橋は「ねね橋」です。北政所のねねさんね。

 

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松田センセ🎵 宝塚の回にも出て欲しかった!

 

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今日は有馬温泉ブラタモリ

 


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金の湯の前から湯本坂(有馬街道)を東南方向へ進みます。

 

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炭酸せんべい


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炭酸和ッフル


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途中で左(北)に折れて…


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ぐるっと回り込んで、少し行くと…


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有馬天神社の境内にあるのが…

 

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天神泉源


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わざわざ遠回りしはったな。

 

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風早さん。忍者の末裔か?

 

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地下185mから汲み上げているそうな。ほぼ100℃。


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お湯を汲みます。


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汲みたてのお湯は無色透明。


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時間が経つと赤くなる。


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ですよね。


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何故か、近江アナがすごくうれしそう。

 

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保温効果


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塩です。有馬の湯は塩を豊富に含んでいます。


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海水の塩分濃度が3%ぐらい


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天神泉源の塩分濃度は、なんと4.6%!


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海水の1.5倍以上


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日本一の塩分濃度


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保湿効果


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さらにもう一つ。


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草彅「大量の炭酸ガスがお湯に溶け込むことで血管を広げ」


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血行を良くする。


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シュワシュワしてない。


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ならば、実験で確かめてみましょう。


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味わう?


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有馬温泉はほとんど自噴。


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この勢いで自噴してきてます。


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ゴボッゴボボボボ


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突然奇声をあげるタモリさん。


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バカウケ


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新ネタできました。


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♨次の記事へと続く

 


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有馬川親水広場

 

 

 

📄ブラタモリこの記事の前

田園調布でブラタモリ(1/3) - 森の踏切番日記

田園調布でブラタモリ(2/3) - 森の踏切番日記

田園調布でブラタモリ(3/3) - 森の踏切番日記

 

 

 

 

 

今村昌弘『屍人荘の殺人』を読んだら評判通りの傑作ミステリ・オブ・ザ・デッド!

1月の読書録04ーーーーーーー

 屍人荘の殺人

 今村昌弘

 東京創元社(2017/10/13)

 ★★★★

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屍人荘の殺人

 

神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、曰くつきの映画研究部の夏合宿に加わるため、同じ大学の探偵少女、剣崎比留子と共にペンション紫湛荘を訪ねた。合宿一日目の夜、映研のメンバーたちと肝試しに出かけるが、想像しえなかった事態に遭遇し紫湛荘に立て籠もりを余儀なくされる。

緊張と混乱の一夜が明け──。部員の一人が密室で惨殺死体となって発見される。しかしそれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった……!!

 

 

 

 

🔘登場人物

葉村譲

神紅大学経済学部1回生。ミステリ愛好会会員。正統派のミステリ好き。孤独を苦痛に思わない性格。親友と呼べる友人はいない。自己評価は根暗。左こめかみに傷がある。この傷の原因となった出来事は彼の人格形成に大きな影響を与えている。この小説の語り手だが、ワトスン役にしてはミステリの知識が豊富。

※神紅大学は関西では名の知れた私大という設定。神紅大学には「ミステリ研究会」という正規のサークルがある。

 

明智恭介(あけちきょうすけ)

神紅大学理学部3回生。ミステリ愛好会会長。愛すべきミステリバカ。長身で、やや面長だが精悍な顔つきとリムレス眼鏡が印象的(福山雅治か!)。「神紅のホームズ」と呼ぶ人もいるが、本人は喜んでいない。論理的な推理を得意とするが、推理が飛躍し過ぎることもある。空気は読まないが、男気はある。「なにかあった時のために」大型免許も持っている。

※彼が「ミステリ愛好会」を立ち上げた。葉村は入学早々、明智にスカウトされてミステリ愛好会に入ったが、会員は彼ら二人だけである。葉村は、明智のブレーキ役を自任している。

 

剣崎比留子(けんざきひるこ)

神紅大学文学部2回生。幾多の事件を解決に導いた探偵少女だが、ミステリの知識はほとんどない。葉村の第一印象は「佳麗」。横浜の名家の令嬢。薙刀道と合気道をたしなむ。彼女の全貌は未だ謎に包まれているという印象。話し方は理知的で、「取引しましょう」が口癖のようである。お嬢様的な面もあり、天然ぽい面もある。つまり、ヒロインとしての属性は全て兼ね備えている。葉村には「比留子」と呼ばせる。

※彼女は特殊な「巻き込まれ」体質を持つが、この設定は藤野可織の「ピエタとトランジ」に登場する少女・トランジとの類似性がみられる。

 

◾進藤歩(しんどうあゆむ)

神紅大学芸術学部3回生。映画研究部部長。眼鏡をかけて気の弱そうな真面目そうな風貌をした痩軀の男性。七宮には頭が上がらない。

 

星川麗花(ほしかわれいか)

神紅大学芸術学部3回生。演劇部部員。進藤の恋人。緩くウェーブのかかった栗色の髪とアイドルのような愛嬌のある顔立ち。合宿で撮影するホラー・ビデオに出演。

 

名張純江(なばりすみえ)

神紅大学芸術学部2回生。演劇部部員。鋭い空気をまとった理知的な印象の美人。神経質な性格。合宿で撮影するホラー・ビデオに出演。

※なばりすみえ→ナーバス

 

高木凛(たかぎりん)

神紅大学経済学部2回生。映画研究部部員。ボーイッシュなショートヘアとくっきりした目鼻立ちが印象的な美女。背が高い。男勝りな性格。

 

静原美冬(しずはらみふゆ)

神紅大学医学部看護科1回生。映画研究部部員。大人しい性格。小柄。

 

下松孝子(くだまつたかこ)

神紅大学社会学部3回生。映画研究部部員。ふわふわパーマ金髪ポニテきっちりメイクのギャル風外見。打算的で強かな性格。

※下・孝→したたか

 

重元充(しげもとみつる)

神紅大学理学部2回生。映画研究部部員。縁の太い眼鏡をかけた肥満気味の男。水分はコーラしか飲まない。あるジャンルの映画のマニア。

 

七宮兼光(ななみやかねみつ)

神紅大学映画研究部OB(3、4年前に卒業)。紫湛荘オーナーの息子。顔立ちは整っているが、肌が白く顔のパーツがそれぞれ小さい上に髪を後ろに撫でつけているので仮面を被っているような印象を与える。拳でこめかみをコンコン叩く癖がある。小柄。父親は有名な映像制作会社を経営している。

 

出目飛雄(でめとびお)

神紅大学OB。七宮の友人。両目の間が広くモヒカンに近い髪型をしていて、魚類を彷彿とさせる。後輩に対しては態度がデカい。

 

立浪波流也(たつなみはるや)

神紅大学OB。七宮の友人。オールバックの髪を後ろで結び、よく日焼けしたワイルドな二枚目。

 

管野唯人(かんのゆいと)

紫湛荘の管理人。眼鏡をかけた誠実そうな雰囲気の男性。三十前後に見える。

 

浜坂智教(はまさかとものり)

儀宣大学生物学准教授。

 

班目栄龍(まだらめえいたつ)

岡山の資産家。班目機関の設立者。

 

 

 

🔘紫湛荘(しじんそう)

この小説のタイトルにある「屍人荘」も「しじんそう」と読むのが正しい。紫湛荘は、沙可安湖(さべあこ)北湖畔の山麓にある。沙可安湖はS県にあり、琵琶湖の五分の一程度の大きさで、三日月形🌙をしている(地図で見ると漫画の笑った口に見えるようだ)。合宿初日には、山の向こうの自然公園でサベアロックフェスが開催されていた。神紅大学のある街から紫湛荘までは、JRに何時間か乗って、私鉄に乗り換えて30分で最寄りの駅に着く程度の距離がある。

紫湛荘は3階建ての洋風建築である。玄関は南側にある。1階には、ロビー、食堂、大浴場、管理人室などがある。2階と3階にそれぞれ個室が8部屋ずつある。個室は10畳ほどの広さでユニットバス付き。各部屋は南面に雁行している。建物を上から見ると、東に銃口を向けたピストル形をしている。2階には広いラウンジもある。3階の同じ場所にはエレベーターホールと倉庫があり、倉庫には屋上への階段がある。定員4人のエレベーターが、1階のロビー、2階のラウンジ、3階のエレベーターホールを連絡している。他に東階段と西南側に非常階段がある。2階と3階は、ラウンジ(エレベーターホール)の中央エリアと東エリア、南エリアの3ヶ所に扉で区切ることができる。建物の南面は小さな崖になっていて、他の三方は藪山になっている。南面の階段を降りると駐車場と広場があり、バーベキューができる。

紫湛荘は昔オーナーが別荘として使っていたものを会社の研修施設兼保養所として増改築したもの。ペンションと呼ばれているが利用者は社員とその家族だけである。地下の隠し部屋で腐乱死体が発見されることはない。

 

 

 

 

🔘感想・オブ・ザ・デッド

そういえば最近、ガチガチのミステリを読んでないなと気がついて、なにか読もうと思っていたら、書店でこの本と目が合った。屍人荘の殺人? 館ものか? オビには何やらいろいろ1位になったとか書いてある。評判の本らしい。私は特にミステリファンというわけでもないし、話題作やベストセラーだからというだけで本を読むこともないし、単行本はめったに買わないのだが、このタイトルには妙に惹かれるものがある。たまにこういうことがある。この予感は当たる時もあるし、外れるときもある。本の最初に見取り図が載っている。実をいうと、私は家の間取りとか見取り図を見るのは結構好きなのだ。これは買おう。ということで、買って帰って、早速読んでみた。大当たりだった。こういう時は、本当に気分が良い。

 

この小説は、大学のミステリ愛好会のゆるい推理合戦から始まり、謎の美人探偵が登場し、映研の夏合宿に強引に参加するという学園ミステリの定番コースとも云える展開だが、ていねいに描かれていて、新人とは思えない技量の確かさが感じられて安心して読める。

ぎくしゃくした雰囲気の合宿は何かトラブルを予感させる。ホラー・ビデオの撮影、夜のバーベキューパーティーと続き、窃盗事件では明智恭介が論理的な推理を披露するが、ここまでは何事もなく、肝試しが始まる。ここまでで、だいたい全体の3分の1程度まで進んでいるのだが、ここから事態が一変する。まさか、あんな事が起きるとは! またたく間にクローズドサークルが出来上がる。しかも、その中で起きたのが密室殺人事件。つまり、二重の密室である。そして、緊迫した状況の中、連続殺人事件へと発展していくのである。

 

ミステリの場合、通常、犯人は登場人物の中にいるわけで、本格ミステリに慣れた人なら、冒頭の登場人物一覧を見ただけで、犯人の目星がついてしまうこともあると思う。当てずっぽうでも、何割かの確率で当てることはできる。しかしながら、ミステリの本質は、なぜその人物が犯人であるか、いかにして犯行を成し遂げたのか、というロジックにある。その点、このミステリは犯人を導く論理がエレガントで大変素晴らしかった。細かい部分まで注意が行き届いているし、ヒントの出し方もさり気ないし、混乱させる要素も無理がない。

また、心理的にこの人物が犯人に違いないと思わせる決定的な場面があるのだが、その場面には痺れた。この小説は、フーダニット(犯人は誰か)やハウダニット(犯行の手法)の面で際立っているだけでなく、ホワイダニット(何故そんなことをしたのか)についても、ていねいに描かれているところが良かったように思う。これは、犯人だけでなく、登場人物の行動全般に云えることである。小説なのだから人間の心理を描くのは当たり前といえば当たり前なのだが、ミステリの中には単なるパズルのような謎解きだけの小説として奥行きのないミステリもあるので、ミステリにも小説としての面白さを求める私には好感が持てた。

 

この小説の最大のびっくりポイントである「想像しえなかった事態」だが、この手があったかというやられた感と、今まで無かったのが不思議なくらいだという納得感があった。一昔前なら、奇抜すぎて評価されなかった可能性すらあるが、読み手の側もこの設定をすんなり受容できるほど、奴らが浸透したということだろう。まさに時宜を得た設定だと思った。しかも、この設定がミステリにも生かされているのだからプロの作家ですら脱帽するのも無理ないと思った。

一つだけ気になるのは、外側の事件は本当に解決したのかということである。外側の事件は、葉村たちにとっては、巻き込まれたとはいえ直接には関係のない事件なので、語り手の立場からは単なる環境に過ぎないのだが、この事件が終わった事件なのかどうかは微妙なところである。

巻頭の「(鮎川哲也賞)受賞の言葉」によると、著者は「本格ミステリに傾倒していたわけでは」ないということだが、おそらく謙遜が含まれていて、本格ミステリを十分に研究したことは疑いないだろう。また、本格ミステリに留まらず、幅広い作風を目指しているようにも思われる。これからも、誰も「読んだことのないミステリ」を作り上げて、読者を楽しませてくれるに違いないと思った。本作の登場人物での続編を期待したい。

 

 

 

 

屍人荘の殺人

屍人荘の殺人

 

 

 

 

 

 

2月に入ったというのに12月の読書録がまだ終わらない!


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あ! もう2月ではないか!

 

最近、本を読み終わってからこのブログに読書録を載せるまでの間隔が徐々に延びておりまして、それでも次の月には載せていたのですが、先月は1月の読書録も並行して載せたこともあって12月の読書録を先月中に全部載せることができませんでした。マジカル粘菌ワールドに時間をかけすぎたかな。取りあえず、まだ読書録を載せていない本をここにリストアップしておこうと思います。

 

 

 

12月の読書録04~07

 

◾『三つの石で地球がわかる

  藤岡換太郎(講談社ブルーバックス

  ★★★★

※橄欖岩、玄武岩花崗岩の話。タモリさんが好きそう。

 

◾『わたしたちが孤児だったころ

  カズオ・イシグロ(ハヤカワ文庫)

  ★★★☆

ノーベル文学賞作家の偉大なる凡作。

 

◾『読む数学記号

  瀬山士郎角川ソフィア文庫

  ★★★

※数学は、やっぱり難しい?

 

◾『文章読本

  谷崎潤一郎(中公文庫)

  ★★★

三島由紀夫の『文章読本』と比較するために読みました。思いのほか、ためになりました。 

 

 

このブログは、もともと読書録をつけるつもりで始めまして、かれこれ1年半近くになります。ところが、ブログに時間をかけるようになったこともあって、ブログを始めてから読書量が激減してしまいまして、なんか本末転倒感があります。

昨年は101冊の本を読んだのですが、これまでのペースに比べて半減しました。それでも本の購入ペースはあまり変わらないので未読本も40冊近くたまってしまいました。困ったもんだ。

まあ、「多読よりも精読を」という人もいますから、今年も年百冊ペースでいければと思っています。12月の読書録の方はボチボチと時間を見つけてやっていこうと思いますが、一ヶ月以上経つと、さすがに細部を忘れてしまいますから、結局再読することになりそうです。ついでに、1月の読書録もリストアップしておきます。

 

 

 

1月の読書録01~08

 

01『命売ります

  三島由紀夫ちくま文庫

三島由紀夫の小説『命売ります』を読んで考えたこと - 森の踏切番日記 

 

02『肉体の学校』

  三島由紀夫ちくま文庫

三島由紀夫の『肉体の学校』は分かりやすい恋愛小説です - 森の踏切番日記

 

03『粘菌 偉大なる単細胞が地球を救う』

  中垣俊之(文春新書)

マジカル粘菌ワールド(1)~粘菌は不思議な生き物なのだ - 森の踏切番日記

 

◾『季語集

  坪内稔典岩波新書

  ★★★☆

※一年かけて空き時間にボチボチと読みました。

 

◾『GOSICK RED

  桜庭一樹(角川文庫)

  ★★★

※未読本の山から発掘して読みました。前シリーズから数年が過ぎて、ニューヨークに舞台を移したけれど、一弥とヴィクトリカは相変わらず。

 

◾『幕末

  司馬遼太郎(文春文庫)

  ★★★☆

※今年の大河ドラマは最初から見る気がしませんが、今年の読書テーマは久し振りに「幕末」にしました。

幕末を暗く彩った暗殺者たち~司馬遼太郎の『幕末』を読む - 森の踏切番日記

 

◾『幕末史

  半藤一利新潮文庫

  ★★★☆

※軽く幕末を復習するにはちょうど良い本です。黒船来航から大久保利通暗殺までの四半世紀が語られます。

そして、だれもいなくなった~半藤一利の『幕末史』を読む - 森の踏切番日記

 

◾『屍人荘の殺人

  今村昌弘(東京創元社

  ★★★★

※評判通りの傑作ミステリ・オブ・ザ・デッド!

今村昌弘『屍人荘の殺人』を読んだら評判通りの傑作ミステリ・オブ・ザ・デッド! - 森の踏切番日記

 

 

とまあ、こんな感じです。『屍人荘の殺人』は、確かに面白かった。現在は、最果タヒさんの『千年後の百人一首』をじっくりと読んでいます。それにしても見事にバラバラやな。